古都奈良の不思議な形の史跡

史跡頭塔
(2010・4・21)

 今年は平城遷都1300年祭で脚光をあびている古都奈良。先日のそのTV番組で知った史跡、奈良には異質のピラミッド状の「頭塔(ずとう)」のことです。興福寺境内や奈良公園を遊び場として生まれ育った町、奈良市ですが、先日歩いた「まぼろしの大仏鉄道」などとともにその存在はまったく知リませんでした。平城遷都1300年祭で4月24日〜5月6日の特別開帳があると知ったが、気になって予約(電話)を入れて、出かけてきました。



史跡頭塔



 今日天気予報はOK、急遽「頭塔」見学に行くことにする。要予約と聞いているので午前9時を待ちかねて奈良県教育委員会(文化財保存課)に電話をいれる。親切な応対と説明を受ける。教えてもらった現地管理人さん(仲村表具店)に直接電話を入れたら、午前中ならOKとの返事をいただく。11時に訪問すると予約して自宅を飛び出しました。

 しかし、近鉄京都駅に着いたが電車の連絡が悪くて約束の時間に間に合いそうもない。もったいないけど、すぐ発車する特急(料金500円プラス)に乗り込む。(^_^;)。




出迎えてくれた”せんとくん”と近鉄特急
( 近鉄京都駅)


新緑の緑が目を癒す
(ワイドビューの近鉄特急運転席から)


 近鉄奈良駅前から「中循環(外回り)」路線のバスに乗る。バスは県庁前から大仏前、春日大社前と奈良公園内を走って約10分ほどで「史跡・頭塔」最寄のバス停、破石町(わりいし)に着く。


バス停の通りを挟んで向側のホテルから頭塔が見えている。このバス道を渡って細い道を西へ入るとすぐに仲村表具店がありました。先着にお二人がおられて、話を聞くと地元の人で、同じテレビ放送で「頭塔」のこと知ったという。管理人さんにの案内で一緒に頭塔の入り口へ・・・



頭塔の入り口、門には世情がされている。


入り口側は頭塔南側で石塔が迎えてくれる。
こちら側は発掘前の現状保存の形で残されている。




上空からの頭塔
南側半分は現状のまま保存されている。
北側(手前)が発掘後復元された頭塔です。
(パンフレットから転載)




復元された頭塔
(北東側から撮影)

頭塔(ずとう)は、

 奈良市高畑町にある土製の塔。1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造をしている。1922年(大正11年)、国の史跡に指定された。『東大寺要録』の記録では、奈良時代の僧、実忠によって造営されたという。そこでは「土塔」(どとう)と表記されている。一方で、平安時代の『七大寺巡礼私記』以来の玄ムの首塚であるという伝承もある。「どとう」が転訛して「ずとう」と称されるようになり、玄ム首塚説との関連で、「頭塔」という漢字が当てられたものと考えられる。

 この頭塔は奈良文化財研究所による1986年からの発掘調査終了後、北面は復元保存、南面は発掘前の現状保存の形で残されている。奈良まちの東方、高畑にあり、現在は地元の民間人によって管理されており、施錠された門を開けてもらい入らないと見学できない。


如来坐像
(現地で撮った石仏写真)


如来三尊像
(現地で撮った石仏写真)


如来三尊像
(現地で撮った石仏写真)


如来三尊像
(現地で撮った石仏写真)



発掘調査前
(北東部から1987年撮影)


北東部の遺構
(1987年撮影)
(現地の説明板より転載)




頭塔北側にある展望スペースから西に大阪との県境にある生駒山が望める。
市街地からはだいぶ高台に位置している。
転載させてもらった写真や説明文はここに掲示されています。







復元された北側の「頭塔」




( 参 考 )

 その形態に類似性が認められる日本国内の遺址として、堺市の大野寺に見られる「土塔」がある。この「土塔」は、大阪府堺市土塔町にある日本で唯一の土で作られた仏塔です。ピラミッドのような形をしていて、一辺が53.1m、高さが8.6m以上あります。土塔は、もともと大野寺の境内に築かれていました。 大野寺は、平安時代末期に書かれた『行基年譜』によると、神亀4年(727)、行基によって建てられ始めたとあります。非常に貴重な遺跡のため、土塔は昭和28年(1953)国の史跡に指定されました。(堺市のHPより)