滋賀県蒲生町発行の「蒲生野ロマン探訪ガイドブック」のサイクリングモデルコースを
歩いてきました。(2005・7・28)
蒲生町は滋賀県の東南部に位置し、鈴鹿山系に源を発する日野川とその支流の佐久良川の流域にひらけた町です。車ではよく通っていたが歩くのは初めてで、数日前よく訪れるU先輩宅でこのパンフレットをもらったのがきっかけとなりました。 真夏の快晴の日に歩くのはつらいが「サイクリングモデルコース」とあるのでレンタル自転車があるのなら安心なので出かけました。JR近江八幡駅で近江鉄道に乗り換えスムーズに八日市駅に着きましたが、桜川へ行く貴生川方面行きの電車は1時間待ち・・・しょっぱなからまいったなあ(^_^;)。 |
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快晴の近江鉄道の八日市駅 |
八日市の名物大凧・・ 駅に展示されていたものを写す。 |
駅員さんが気の毒そうに「途中下車」はご自由にという。ちょうどいまセミの調査(琵琶湖博物館のフィールドレポーター)をしているので、それをかねて八日市駅周辺を時間つぶしに歩いてみました。 |
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カラフルな近江鉄道の車両(八日市駅) |
延命公園の「江州音頭発祥の地」の石碑 |
古来、八日市市は市場町として発達し歴史的な伝統と豊かな民俗文化を形成してきた。江州音頭も幾多の伝承されてきた民芸のなかのひとつである。 江州音頭は江戸時代末期、八日市市場に出入りしていた祭文語り櫻川離山に歌祭文の教えを受けた板前稼業の西沢寅吉が、当時盛んであった歌念仏、踊り口説、念仏踊りを歌祭文に取り入れ大成したのが始まりである。これが当初、江州八日市祭文音頭といわれたものである。そして寅吉は教えを受けた櫻川離山師匠の芸名を用い、櫻川大瀧と名乗り名を成した。 (案内板より一部転載) 10:06発の貴生川行きに乗る。八日市駅を出ると蒲生野が広がってくる。めざす桜川駅は4つ目だ。桜川駅(無人駅)に下りたのは地元の人数人と岡山から朝一番の電車で来たという老夫婦と私だけでした。借りる予定のレンタサイクルのお店は駅前には見つからない、土日曜だけの営業なのか・・・ 一緒に下りた地元の人に石塔寺への道を聞き、真夏の太陽が照りつける農道を歩き出す。 蒲生町観光サイクリングモデルコースとは・・・ |
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無人の桜川駅 |
遮断機のない地道の踏み切りをわたる。 なにか懐かしい光景です。 |
岡山から来た老夫婦と話しながら石塔寺へ。五木寛之の「百時巡礼」を読んで、今日はここだけをお参りするために来たと言う。もちろん切符は青春十八切符(^.^)と話されていました。 |
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最初の訪問先は前方の丘陵地にある石塔寺。 |
石塔寺はもうすぐだ。なかなかしっかりした足どりでした。 |
阿育王山と書かれた山門 |
有名な阿育王塔(アショカおうとう)は山門前にある158段の石段を登ったところにあります。 |
五木寛之氏の一言 「この石の海に、ふとなつかしさのようなものを感じたのだ。もし許されるなら、ずっとこの中に漂っていたい。」 |
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桜川駅から約3kmほどの距離だが、暑さではやバテバテの私をおいて・・・元気なものです。 |
この中央にそびえる塔は阿育王塔という。飛鳥時代末期の建立とされ、日本最古の石塔。ここにある石塔石仏は、約3万といわれています。 また、インドの阿育王が仏教興隆を願って世界にばらまいた一つであるという不思議な伝説が残っている。 |
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石塔寺から参道を下って次の訪問先、野口謙蔵記念館へ向かう。阿育王参道と書かれた石碑のある参道を振り返って写しました。 炎天下の舗装路を30分ほど歩くと綺田(かばたと読みいます)の集落に尽きます。ごく普通の民家の野口記念館に着きました。ここはアトリエを当時のまま復元し、館内には数多くの遺品や作品を展示している。 |
野口謙蔵氏の作品 その画風は和洋折衷的な「日本的洋画」と呼ばれ、自らの絵画の世界を確立しました。画伯の絵は、蒲生及びその近辺の美しい風景やそこに生きる生きる人々の営みを描いたものが大半で、ふるさとを離れることなく一途に制作活動を続けました。 |
野口謙蔵記念館の内部 野口画伯は明治34年(1901)綺田の造り酒屋を営む裕福な家庭に生まれた。美術学校では黒田清輝・和田英作氏の授業を受け、卒業後はただちに帰郷し、ふるさとの蒲生野で制作活動を始める。 帰郷3年目、当時最も格式の高かった帝展(美術展覧会)に初入選する。その後「獲物」「閑庭」が特選となり、昭和9年の帝展では画伯の代表作である「霜の朝」が特選になり、政府買い上げとなりました。しかし、第二次世界大戦中の昭和19年、わずか43才でその生涯を閉じました。 |
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野口謙蔵記念館をあとに梵釈寺へ向かう。 正面の山は雪野山。今日のゴールはその手前、名神高速道路沿いにある蒲生町あかね古墳公園です。 |
左の写真の森のようになっている所はこの佐久良川です。願成寺の人魚伝説のある佐久良川を渡りゴールとは逆の方越え進む。 |
梵釈寺 本尊は木造観世音菩薩坐像、精進料理(要予約)を楽しもうとパンフレットにあったが、人の気配がなかったので通過する。 |
高木神社 大津京を築いた天智天皇の第二皇子大梵天王がこの岡本の地で高岡京を開いたと伝えられています。また、境内に日吉大社がある。 毎年4月、荘園時代の風習の名残りを伝えるケンケト祭りが行われます。 |
・・・ご存知ですかガリ版のこと・・・ 高木神社からすぐのところに「ガリ版記念館」があります。万葉ロマンとは関係がありませんが、ここ蒲生町は謄写版発祥の地です。私はガリ版がなつかしい年代です(^_^;)。 でもガリ版が日本のそれも滋賀県蒲生町の堀井新治郎が発明したことはつい最近まで知りませんでした。昨年、大津市の街中にある小さな民間の「淡々美術館」で行われたガリ版展ではじめて知りました。また、ガリ版伝承館がガも町にあることも、そのとき知りました。 発明者の堀井新治郎父子は、毛筆が主流であった明治27年、大量に同じ文章を簡易に印刷する印刷機の研究に財産をつぎ込み、エジソンの発明した印刷喜恵雄参考に、鉄筆による簡易印刷機を考案し、謄写版と名付けました。ガリ版の発明は、明治期の印刷手段の一大革命となり、大学や商社、官庁、新聞、通信社が率先して使用しました。 昭和62年(1987)ホリイ株式会社は謄写版の生産を中止いました。 (ガリ版伝承館のパンフレットより転載) 体験室と展示室がある。ただし、開館は水曜日のみです。 |
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「ガリ版記念館」 この伝承館は明治42年に建てられた堀井新治郎父子の本家2階建てを修復し、平成10年4月に開館した。 |
赤人寺 ガリ版伝承館から近くにあります。隣り合う山部神社と赤人寺はともに万葉の歌人「山部赤人」ゆかりの社寺。本尊の如意輪観音は赤人が安置したものと伝えられています。 |
山部神社 |
誓安寺 山部神社からは約1時間の歩きでやっと誓安寺に付いたが、境内工事中で拝観はパスして先へ進む。 |
あかね古墳公園に向かう町並み |
酢の醸造をしていた建屋 あまりの暑さにスケッチする気力がわかない(^_^;) |
川合東出の石棺仏(蒲生町指定文化財)が納められた地蔵堂 石棺仏とは古墳に納められていた石棺を後世に転用し仏像を刻んだもの。 |
右の石像が石棺仏です これは鎌倉時代後半の作と考えられています。県内では希少な存在だそうです。 |
石棺仏を過ぎると名神高速道路と雪野山が見えてくる。 やがて本日のゴール悠久の丘 蒲生町「あかね古墳公園」にく・・・・ ここは滋賀県史跡木村古墳群の保護と活用を目的に、昔の姿に整備された史跡公園になっています。5世紀ごろに同じ地域に5基以上の古墳がまとまって築かれており、滋賀県では最大級の古墳群です。 1960年、名神高速道路建設時、木村古墳群の多くが姿を失い、天乞山古墳と久保田山古墳だけが山林と水田として残っていた。1980年から発掘調査がはじまった・・・ |
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天乞山久古墳からの久保田山古墳と雪野山 直径57m・高さ5m以上の円形の古墳(円墳)で、天乞山古墳と同じように造り出し(テラス)が南北に付いています。いずれの古墳も表面に石がはられ、埴輪が立てられていました。 |
久保田山古墳の上から天乞山古墳を写す。 一辺65m・高さ11mの四角い古墳(方墳)で、南北に儀式を行ったと考えられるテラスが付く変わった形の古墳です。 いずれの古墳も見つかった遺構を地下で保存し、土地で覆って復元されている。 |
あかね古墳公園の再現された天乞山古墳(あまごい)の上から久保田山古墳をスケッチしました。 後方の山はやはり山頂で古墳が発見された雪野山です。 この間を名神高速道路が走っています。 いつも車から見えるこの構築物はなにかと気になっていました |
帰りはあかね古墳公園前のバス停からバスで近江八幡駅へでました。