豊臣秀次が築いた八幡城の城跡

八幡山(鶴翼山:標高283.8m)

2005/4/14



 八幡山は何度も歩いていますが、今日はまつしさんに教えてもらった、めったにお目にかかれない可憐な「イワナシの花」が咲いているというのでを探しに不動明王へも寄り道しました。山麓から山頂へロープウエイを使うと約4分で着きますが、ゆっくり歩いても40分の散歩道です。
 
 八幡山の頂上にあった八幡城は豊臣秀次が築いたお城です。八幡城の本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。豊臣秀吉の姉で、秀次の母である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提を弔うため建立した寺院です。



八幡掘りの桜と八幡山
新浜町より写す。


歩いたルートです。
地図にある西の丸あたりから船木への道を歩いてみたかったが見つからなかった。




八幡掘
秀次は琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄港させるためにこの八幡掘を設けた。防御というより商才があったようですね。。。
日牟礼八幡宮の鳥居
日牟礼八幡宮は千年以上の歴史を誇っている。昔から近江商人の絶大な信仰を集めてきました。
 

 1585年、18歳にして近江43万石の領主に任ぜられた。安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開き楽市楽座をつくる。八幡堀と琵琶湖をつなぎ、往来する船を寄港させるなど、商いのまちとしての繁栄の基盤を築きました。若くして悲運の最期を遂げた秀次ですが、近江八幡の開町の祖として市民に慕われている。




ちょっと変わった松明が八幡宮前の広場に並んでいました。
 


 いつも車を止める日牟礼八幡宮の前へ行こうとしたら進入禁止、なにがあるのかと警備の人に聞いたら松明祭りの当日と教えてくれました。だいぶ先の「あきんどの里」の市営観光駐車場に止めて八幡掘り沿いに歩いて日牟礼八幡宮の境内へ。そこには沢山の露店が並びおおぜいの人達で賑わっていました。はじめてみる変わった松明が12本も立っていました。この松明に点火されるのは午後8時とても待てない・・・この模様を放映するという近江八幡のケーブルテレビのお兄さんがお昼から撮影スポットにカメラを構えていました。聞くとこの映像はメジャーなTV局には流れないとのこと (ーー;)
この八幡まつり(松明祭り・太鼓まつり)は秀次の八幡開町以前からある旧村落十二郷の氏子によって行われる。


・・・・・とりあえず今日の目的八幡山城跡へ登ることにする。

八幡神社の石碑の後ろに登山道があります。二番目の石灯篭の所から入ります。


 登りだしの登山道不動明王への参道になっているのかしっかりした道があります。

・・・・・安土城址のように大手道とか搦手道、百々橋口道というはっきりした道は残っていないようだ。頂上は本丸跡といわれているが天主もあったかどうか、北の丸や西の丸などでも礎石がはっきりしていることもありません。下山してから日牟礼八幡宮の鳥居前にある白雲館(観光案内所)で聞いたが八幡城の資料はなかった。

・白雲館:明治10年(1877)に西洋風建築物のひとつとして建てられた八幡東高校を平成6年に復元したものです。








 頂上への中ほどにある不動明王の提灯が並ぶ門(?)があり、分岐になっています。
頂上へは直進しますが、左へ下ると市立図書館や秀次公の銅像のある八幡公園(桜が満開でした)です。右手へ下る道はまだ歩いたことがないので下山時歩いてみることにする。



頂上間近の分岐、まず不動明王へイワナシの花」を探しに鳥居をくぐり直進する。しかし残念ながらイワナシの花を見つけることができませんでした。そのかわり沢山のショウジョウバカマやスミレに出会えました(^.^)。再びここまで戻って頂上(左)へ。こちらの道には黒い小さな門(?)があり村雲御所瑞龍寺と書いてあります。ロープウエイの頂上駅はすぐですよ。



スミレとショウジョウバカマ


 
 ケーブル山頂駅をすぎると八幡山の山頂にある村雲御所瑞龍寺門跡の山門に着きます。



瑞龍寺門跡手前を右に取り城跡を巡ることにする。すぐに展望の開けた北の丸跡に着く。ここに八幡山の三角点があります。正面に長命寺山(左)と津田山(右)が見える。





北の丸からの展望
西の湖の向こうに織田信長の居城の会った安土山(低く小さく黒っぽく見えている)、その後方の一部禿山になっている横長の山が観音寺城のあった繖山(きぬがさやま)です。
安土山は200m足らずの低山です。ちなみに繖山は432mです。




 少し歩くと中の丸の広場になる。三上山から湖南アルプス、音羽山、比叡山そして比良山系と大パノラマだ・・・・



 その中の丸の左端にある道を下っていくと一段下がったところに西の丸跡がある。ここは初めて訪れました。散策する人達はほとんどここまで来ないで中の丸から瑞龍寺へ戻ってしまいます。


 一段下ったところにある西の丸跡から頂上の瑞龍寺の建物を写す。


下山は中ほどの分岐より多賀町へ下りました。住宅街の舗装道路から振り返って八幡山を写す。