リベンジの鎌刃城跡から比婆之山経由して男鬼へ

2005・4・27



 昨日は突然の天候異変(ヒョウと風雨)で鎌刃城跡へ登れず敗退しました。今日はそのリベンジ山行きをしてきました。
JR米原駅から、危険な国道8号を通らず、今日は集落の中の旧北陸道を歩き、旧中仙道への分岐から緩やかな坂道(深坂道)で米原高校へ出ました。そこからは昨日通った道を番場宿へ・・・



町並みの旅館の前に三叉路があり、道標には「北陸道(左)と中山道への連絡路」石柱に刻んである。



北陸道・中山道分岐点の道標
弘化三年(1846)に再建されたもので、江戸時代の交通上貴重な道標である。

深坂道

 三叉路から中山道への連絡路は「深坂道」と呼ばれていました。・・・慶長十六年(1611)北村源十郎だ中山道番場宿を結ぶ深坂道を開き、美濃や尾張からの荷が、米原湊に集積され、丸子船で大津を経て京都へ人や物が運ばれるようになった。


 永禄四年(1561)六角方の吉田安芸守が守る太尾山城を、浅井長政方の今井定清がこの深坂から攻め込んだが失敗に終わったという記録がある。


深坂道



1時間ほどの歩きで番場宿の家並みと鎌刃城跡のある低山(中央の低い山)が見えてくる。





 旧中山道へ入り西番場へ向かう途中に鎌刃城跡への道標(左へ入る)がある。
昨日はもう少し先の道から入ったが取り付きの山道が荒れていたので、今日はここからアプローチすることにする。


名神高速の下をくぐると竹藪の中の道になり、やがてこのような山道になり高度を上げていく。道ははっきりしていて迷うことはない。



9:49 尾根に出るとT字の合流点がある。
ここを右に登っていくと、やがてフラットな新緑の尾根道になる。


尾根道の右手(北〜北東方面)が開けていている場所があり、長浜方面の琵琶湖・山本山・小谷山・伊吹山などが展望できる。残念ながら遠くはちょっと霞んでいました。
この左手は少し小高かくなっている。ここが地形図にある276mピークでした。




10:17 フラットな尾根を過ぎて再び登りに差しかかるところで、右下から西番場よりの登山道が合流してくる。昨日アプローチした道だ。ここの道標に鎌刃城跡まで1kmとある。




10:28 大堀切横(鎌刃城跡)に着く。道標があり、このまま直進するとトレッキングコースとあり城跡のよこをトラバースして番場〜武奈幹道の切通しにでる。右へ土手を登ると大堀切・大石垣・櫓のある鎌刃城跡だ。



大堀切@
@ 大堀切
 城の北方を防御するための主要施設であり、鎌刃城跡の中でも最大規模の堀切。長い年月経過で斜面崩壊が進み深さも浅く、傾斜も緩やかになっていると説明板にあった。



櫓跡のノリ面にある大石垣A。
高さ4m×長さ30mの石垣は湖北地方最大のものらしい。


櫓跡Cの一段上にある枡形虎口Bのある広場で休憩&記念撮影。



B枡形虎口
 櫓跡から一段上にあり、3間四方(5.9m)規模の門の跡です。その構造は「コ」の字状に三段の石段(石垣)を配し、内部に礎石建ちの四脚門があったと想定されている。

C 曲輪(櫓跡)
 鎌刃城の北端を防御する重要な役割を果たし、周囲に土塁をめぐらしている。平成10年の発掘調査で、柱間が6尺5寸とする5間×3間以上の礎石建物(櫓)が検出された。出土品位:瀬戸美濃産の天目茶碗・中国製の白磁皿・大量の鉄釘など。


 西番場へ向かう中ほどにあった鎌刃城跡の案内板

  鎌刃城跡のみどころ

  @大堀切 
  A大石垣
  B枡形虎口
  C櫓 跡
  D主 郭
  E副 郭
  F堀 切
  G畝状堀切
  H切通し
  I青龍の瀧 鎌刃城の水の手と伝えられる石桶が残されている。

 あまりのよいお天気と時間的に余裕があったのでこのまま引き返すのがもったいない。思い切って男鬼町、霊仙、河内を経由して多賀町まで行けるだろうと歩き出しました。

 結果的には右の地図にあるように鎌刃城跡からはかなりの距離がありました。そのときは気づかなかったが無謀な挑戦でした。幸いなことに霊仙山から下山してこられた愛知県(一宮)の方に多賀近くまで車に乗せてもらい助かりました。
登山靴での林道歩きで足指にまめが出来て痛くて数日間はおとなしくしないといけない状態になりました(^_^;)



今日歩いたルート(ハンディGPSの軌跡)


D主郭の広場

主郭の枡形虎口(正門)

 D主 郭

  鎌刃城の中心部となる曲輪で、その周囲は石積みによって固められている。曲輪内部では、主殿の一部と思われる縁側を有する礎石建物跡が確認されており、格式の高い建物が存在していたものと思われる。
 曲輪の北辺には石段と石積みで構成された枡形虎口(正門)が設けられており、礎石建ちの門跡が検出されています。また、主郭北側斜面では虎口に至る通路遺構の存在が明らかになった。これは”城道”と呼ぶにふさわしい本格的なものであり、全国的に見ても中世城郭で確認された例はほとんどない。安土城はじめ、後の近世城郭に見られる”大手道”に相当するものと考えられ、城郭史を考える上でも大変貴重な遺構といえる。(城跡説明板より転載)




F堀切
やせ尾根の絶壁が続き慎重に歩く。こんな歩きにくい道には7本もの掘切は必要ないなあ・・・



H切り通し
番場〜武奈幹道の切り通しで、掘切としても利用されている。

この切通を直進すると青龍の滝へ下る。そこから滝谷武奈林道に出てもいいが、左の尾根にとりつく竜宮山(0.5km)の道標があったので登っていきました。
が、すぐに林道に出て竜宮山への道がわからない。あきらめて右方向に林道を歩き出す。



林道から間近に見える鎌刃城跡の森。遠方には長浜の町と琵琶湖が展望できる。



武奈滝谷林道の石碑



林道を進むと青龍の滝からの林道が右手から合流してくる。さらに進むと「モリアオガエル産卵地」と書かれた「菜種川源流」の標識に出会う。そこから10分ほど歩くと見覚えのある「武奈滝谷林道」と書かれた立派な石碑に着く。



ちょうど12時、霊仙山が見えてきたところで腹ごしらえしすることに・・・



緩やかなくだりから登り道に変わって見晴らしのいいところに着く。どっしりと構えた霊仙が展望できる。

 軽トラの上で休憩したしていたおじさんに声をかける。鳥居本方面から山菜取りに来ているとのこと、これから比婆之山登って河内を経由して多賀まで歩くといったらびっくりされました。男鬼町が見下ろせるところまで乗せてあげるというのでご好意に甘えました。ラッキー!!



13:57 鳥居本、男鬼・多賀への分岐に着く。男鬼方面には「比婆神社」の道標もある。この前登山口が分からず敗退した比婆之山にリベンジしたくなり多賀方面へ道をとる。


13:05 先ほどの分岐から10分弱の歩きで比婆神社の参道に着く。標高500mの林道から100mも下ってしまったことになる。

 
 比婆の山の標高は669m、350mの登りまあ何とかなるだろう・・・登っていくとやがて霊仙山が見えてくる軽自動車が通れるコンクリート道をどんどん登っていく。標高500mくらいまで高度を上げたところに赤テープのしるしがあり、左の樹林帯へ入る山道がある。標識はないが比婆神社をショートカットして山頂へ出る道だと思い入っていく。やがて藪漕ぎすることになったがテープの目印はは続いている。

13:41 藪漕ぎしながらなんとか尾根までたどり着いたが比婆の山山頂が分からない。先が長いのでこれ以上頑張ったら多賀まで足がもたない。地図ではこのまま反対側へ下ると甲頭倉のはず、多賀へはかなりのショートカットだが、初めての道なので不安だ。しかたなく元来た道を引き返しました。



14:13 やっと着いた男鬼の集落は人影のない静かな所でした。(彦根市男鬼町)


14:35 河内の手前で大洞谷からの道と合流。



 この出合いで霊仙山から下山してきた愛知の男性と言葉を交わす。この時期、西南稜から霊仙に登り大洞谷へ下山するルートは一年で一番素晴らしいときだと教えてくれました。是非一度トライするよう勧められました。彼はそんなことで毎年この時期に来ているらしい。車を西南稜上り口近くに止めているので多賀近くまで乗せてくれるという。足にまめが出来たようで痛い、まってましたとご好意に甘える。今日2回目の幸運でした。というわけで無謀な挑戦は無事終了しました。(^。^)