紫香楽宮跡発掘現地を訪ねて

2005・3・13



 数日前、新聞記事で知った「平成16年度滋賀県発掘調査成果報告会」(ピアザ淡海)に行って、史跡・古墳・城跡の盛り沢山の報告を聞くことができました。県内には4,650箇所もの埋蔵場所があるという話を聞いて、その多さにびっくりしました。

 報告のあった多くの遺跡は低山歩きなどで何度か歩いているので、より興味を引きました。特に安土城址・紫香楽宮跡はよく訪れている。会場で翌日に「史跡紫香楽宮跡<甲賀寺>」の現地説明会があることを知り、さっそく参加してきました。

 

今回の現地説明会位置

 説明会は13:30から、午前中の空き時間を利用して近くの飯道山へ宮町側の登山口から登る。頂上はすごく寒かったが素晴らしい展望を楽しむことができました。
下山して現地に着いたらまだ12時前でしたが、資料をもらい静かな現場をゆっくり見て回れ、発掘担当者の松室さんやスタッフの方から発掘調査のいろいろな話を聞くことができてラッキーでした。

調査の経緯(報告資料より抜粋)
 史跡紫香楽宮跡の所在する丘陵は、古くから「内裏野」「寺野」などと呼ばれていた、すでに江戸時代に礎石が露出していたことなどから、聖武天皇の紫香楽宮として推定され、大正15年に史跡に指定された。昭和5年の調査で中門跡、経楼跡、鐘楼跡、塔跡、塔院回廊、食堂跡などが見つかる。これらが東大寺に似た伽藍を持つことから、これらの礎石群は紫香楽宮跡ではなく、寺院の遺構であるとさせるようになる。中略
ながらく実体が不明であった紫香楽宮は、昭和50年代から継続的に実施されてきた調査から、史跡紫香楽宮跡の2km北側にある宮町遺跡に所在することが明らかとなり、史跡紫香楽宮跡は、甲賀寺の遺構である可能性が高くなってきた・・・・しかし、甲賀寺の候補地とされているが、これまでの調査では、まだまだ十分な回答が得られていない状況らしい・・・
いろいろ勉強になりました(^_^)
滋賀県教育委員会文化財保護課




紫香楽宮跡(甲賀寺跡)




中門跡から金堂跡を見る



中門から続く回廊跡



回廊跡から中門跡(右上の写真の逆方向から)



現地説明会の風景




経楼跡南側で火災により建物が崩壊した痕跡が発見された。





現場に展示されていた単弁軒先丸瓦(たんべんのきさきがわら)
史跡紫香楽宮跡(甲賀寺跡)奈良時代(8世紀)と推定されています。



 引き続いて、甲賀市教育委員会の「東山遺跡第一次現地現場説明会(甲賀市信楽町黄瀬)」に移動して現地説明を聞く。

場所は史跡紫香楽宮跡の裏側(北辺)に隣接したところでした・・・・




雪と風の寒い中、熱心な見学者に説明する小谷(調査担当)さん



軒丸瓦の破片 高台付杯(つき)

長頚壷

古代の都 紫香楽宮 ←詳しくはこのページをどうぞ!


今からおよそ1250年前に、滋賀県甲賀市信楽町北部に造られた都、紫香楽宮。
存在したのはきわめて短期間でしたが、光を放って存在した離宮であり、都でありました。
なぞの多かった都でしたが、これまでの発掘調査によって次第に当時の様子が明らかにされてきています。
平成12年度の発掘調査では、紫香楽宮の中心は宮町遺跡にあり、それまで中心と考えられていた史跡紫香楽宮跡は甲賀寺であると考えられるに至りました。