天の香久山・耳成山

天の香久山 標高 152m・耳成山 標高 139m
(2005・7・18)


今年の5月大和三山を回るはずが、畝傍山から飛鳥の里へと歩いてしまいました。
そこで大和八木まで行ったついでに「天の香久山と耳成山」を歩いてきました。
その途中で予期していなかった藤原宮跡へも立寄ることができました。日本における最初の本格的な都なのに、飛鳥や平城京のようには有名でないのか、こんなところにあるとは知りませんでした(^_^;)。

 時間が空いた午後3時半八木西口を出発する。ちょっと遅いスタートでした。
 そろそろ歩き易くなる時間帯なのに頭がガンガンするくらいのきつい真夏日に汗が噴き出す。日陰のない舗装路歩きはきついが、とにかく明日香方面に向かって歩きだす。車の多い道をさけてちょっと近道をしようと入ったところで藤原宮跡に出会いました。




藤原宮の宮城門(西面南門)跡。

案内板があるこの場所は掘立柱塀の西側跡地が北に向かって整備されている。中心部は住宅街になっているようだ。写真の前方(北側遠方)には大和三山の一つ耳成山が見えています。
 
 西暦694年、飛鳥の地から、わが国初の都市計画された本格的な都「藤原京」に遷都されました。
ここ橿原市はそのときの日本の首都で、大和三山に囲まれたなかにつくられていました。
藤原宮こそ、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)をはじめとする万葉の宮廷歌人達が活躍した舞台。
 
 私は、200年ほど後の平安時代の王朝文化を指す「藤原」と混同していました。その間、都は藤原京から奈良市の平城京、京都府の恭仁京(くに)、大阪の難波宮(なにわ)、また京都に戻り長岡京、平安京と遷都を繰り返している。


約1km四方の藤原宮の外周は2.7m間隔で柱を立て並べた掘立柱塀(大垣)で、その各面には3ヶ所、計12ヶ所の宮城門がありました。
 
 発掘調査では門の跡は見つかりませんでしたが、この付近だけ塀の柱穴がないことから、門があったことがわかります。藤原宮の宮城門は桁行5間(約25m)梁行2間(約10m)で、基壇を伴います。
西面の中門の調査では、扉の軸を受ける穴(軸摺穴)のある唐石敷という石材や、これと組むように加工された礎石が見つかりました。この唐石敷には柱に添える方立を立てる穴や、蹴放(けはなし)の加工もあります。
(案内板より)

西面大垣

 大垣は2.7m間隔に柱を立てならべた堀立柱塀で高さ5.5m、土塀の厚さ20cm、瓦葺の立派なものでした。大垣の外側に幅5mの外濠、内側には1.8mの内濠が発掘で見つかっています。

 ここは藤原宮の西南隅にあたり、昭和56年の発掘調査で、大垣、内濠、外濠などの外周を囲む施設が見つかりました。



藤原宮の配置図
赤線で囲んだところを歩きました。

特別史跡 藤原宮跡

 藤原京は持統8年(694)から和銅3年(710)までの16年間日本の首都があったところです。日本における最初の本格的な都城(とじょう)で、その中心に位置するのが藤原宮です。ここには内裏(天皇の居所)や朝堂院(政治を行う広場)それに八省百官の役所がありました。昭和9年から10年間、日本古文化研究所はこの遺跡をはじめて発掘調査し、中心施設である大極殿・朝堂院の位置と規模を明らかにしました。昭和41年からは奈良教育委員会、昭和44年からは奈良国立文化財研究所が継続して発掘調査を行っています。その結果、現在までに朱雀門・猪使門(いつかいもん)・山部門の三つの宮城門とそれにとりつく大垣、大極殿周辺の回廊や建物、さらに西や東の一群の役所などの様子がわかってきました。また木簡をはじめとする出土遺物は、この時代を解き明かしてくれる貴重な資料です。(1985年奈良国立文化財研究所)





歩いたルートです





藤原宮を過ぎたところから望む天の香久山

大和三山の一つですが、耳成山、畝傍山が独立峰であるのに対し、香久山は多武峰、音羽山につづく龍門山塊の一部で、一番目立たない山だが、三山の中では最もよく知られている山です。

持統天皇

春過ぎて 夏来にけらし 白砂の
 衣干すてふ 天の香久山







藤原宮跡から天の香久山へ向かう途中、左手(北)に耳成山が見える。




香久山の中腹にある頂上への分岐



分岐にある道標です。



この分岐から耳成山が展望できる。




ほんの少し登るとまた分岐道があります。
これは左へとった頂上へ向かう道です。これもほんの少し歩くと頂上の広場に出ました。






頂上広場にある國常立神社(くにとこたち)

祭神は國常立命(転地開闢とともに現れた国土形成の神)、俗に雨の竜王と称され、境内社として”(たかおおかみ(竜神)を祀っている。



欽明天皇

大和には群山(むらやま)あれどとりよろふ
     天の香久山登り立ち国見をすれば
            国原は煙立つ立つ海原はかもめ立つ立つ
                    うまし國そ蜻蛉島(あきづしま)大和の國は

 「大和にはたくさんの山々があるけれど、天の香久山に登り大和の国を見下ろすと、平野部には煙が立ちのぼり、水面には水鳥が盛んに飛び交っている。大和の国は本当に良い国だ」という意味と橿原市教育委員会の解説あり。




頂上のほんのわずかな隙間から見える大和三山の一つ、畝傍山



天の香久山神社方面への下り道から頂上を振り返る。



下り道



天の香久山神社の鳥居



耳成山に向かう途中から天の香久山を振り返る。
柿本人麻呂

 ひさかたの天の香久山このゆふべ
      霞たなびく春立つらしも

「ひさかたの天の香久山には、この夕方、霞がたなびいている。ああ、春になったなあ」の解説がそえられてありました。



耳成山の登山口にある天神社の鳥居
急な道を登らない遊歩道もあります。





天神社への参道

もう午後6時前、ゆっくり遊歩道散策している時間がないので、直登する薄暗い参道を登りました。



頂上手前にある天神社

頂上は社の後ろ、ほんの少し登ったところにあります。



耳成山の頂上

三頭三角点があります。木々に囲まれたちょっとした広場になっているが展望はない。



 耳成駅に戻るより大和八木駅まで歩いたほうが早そうなので八木に向かう。夕闇迫る午後6時半に近鉄八木駅に着きました。予定していなかった歩きなので着替えは持っていない。汗びっしょりのままでは電車に乗りにくい。気持ちも悪いので近鉄デパートでTシャツを購入して着替える。さっぱりして近鉄特急に乗り込み帰路に着きました。約3時間ほどの万葉ロマンのミニ旅でした。