第9回 琵琶湖一周カメラウオークに参加して
飯浦から賤ヶ岳・西の水道
2005・10・10


 前回の第8回大浦から八田部集落を経て月出集落・飯浦までのウオークは都合がつかず参加できませんでした。今回はその大浦から旧国道でトンネルを抜けて賤ヶ岳リフトで賤ヶ岳へ登り、頂上で昼食と展望を楽しみます。午後は尾根道を山本山方向に進み、その途中の分岐から西野水道を目指して下山します。近江の青の洞門といわれている西野水道を見学してから、国道歩きでトンネルを抜けて尾上の湖北町水鳥ステージ隣の道の駅がゴールです。



スムーズな走りでラフォーレ琵琶湖のバスは予定通り10時半過ぎに奥琵琶湖ドライブインに到着しました。


休憩の後11時にドライブインを出発すぐに
旧国道への分岐になる。旧国道はちょっと登り坂になります。



旧国道のちょっと小高いところからスタート地点の飯浦を写しました。



旧国道の賤ヶ岳トンネルを抜ける



明音山・千手堂
小さな御堂の中には十一面千手菩薩像が安置されていました。



トンネルを抜けると旧国道は下り坂・・・





弘法大師作と伝えられている十一面千手菩薩像




リフト乗り場の手前ですう匹のアサギマダラに出会いました。賤ヶ岳ではあちこちで見ることができました



リフト手前の道、ここから登山道が分岐している。今回はリフトでらくちん登山です(^.^)



 頂上への途中にある賤ヶ岳合戦の戦死者の慰霊の石碑。あちこちに点在していたものを、ここに集められたそうです。







リフトを降りて頂上へ向かう道からの望める奥琵琶湖の展望
右下が飯浦、長く続いているのが葛籠尾半島







展望台からの眺め
左は小谷山その後ろに伊吹山、右はこれから歩く山本山への稜線、後方にとがって見えるのが山本山です。




頂上の展望台



賤ヶ岳の頂上はかなり広い



余吾湖の後方に昨年登った行市山(戦国時代に柴田勝家の砦となった山)が望める。



横山岳がどっしりした山容を見せている。







尾根道の樹林の切れ目から横山岳が望めました。




尾根歩きもけっこうアップダウンがあり
時々休憩


60名だとこんな行列が続きます(^.^)



行列が途切れると静かな山の雰囲気に・・・




アケビを見つけたが手が届かない・・・
残念!! あきめられずに見上げているメンバー



熊危険・蜂に注意!の看板が・・・とくに最近スズメバチの被害がでているとある。それもそのはず途中にスズメバチが群がっているのを実際に見ました。おそるおそる忍び足でビビリながら通り過ぎました。ホッ!!



近江の青の洞門といわれている西野水道

 ちょうど人一人がたって歩ける狭い水道内を少し入ってみたが、歩きぬける勇気がなくてすぐに引き換えしました(^_^;)。

 
西 野 水 道

 江戸時代後期の文化四年(1807)天保三年(1832)、同七年に当地を襲った大洪水と大飢饉により西野は壊滅的な打撃を受けた。この惨状を救うため、西野充満寺住職恵荘は西山を堀り貫き水道をつくり、余吾川の水を琵琶湖に流すしかないと考えた。
 天保十一年(1840)より着工され多くの労力・経費を費やし、幾多の苦難を乗り越えて弘化ニ年(1845)に水道は完成した。
 水道は「近江の青の洞門」と呼ばれ、長さ220m、古生層の岩盤からなる山塊をくり貫いてつくられた排水路で、近世の民衆史上特筆すべき貴重な遺跡である。
 水道内の壁にはノミ痕が残り、水路は所々で折れ曲がるなど、工事中に何度か方向とレベルを修正したことがうかがえる。





二代目の今は使われていない真っ暗な放水路を抜けると琵琶湖岸に出られます。
葛籠尾半島の左は竹生島です。逆光の反射がまぶしい。



現在使われている西野水道の放水路(トンネル)





現在の放水路から見える浅井長政の城跡のある小谷山と右遠方に霞む百名山の伊吹山








国道のこのトンネルを抜けると尾上の湖岸に出る





尾上漁港
後ろに見えるのが山本山、今回はパスしましたが、頂上には城跡があり、展望は良好ですよ。



水鳥観察センターが見えてきた、ゴールはもうそこです。



ゴールの道の駅には予定より少し早い到着でした。休憩を兼ねて夕日撮影の準備をする。





初めての夕景撮影でした。
道の駅の二階の窓越しからの手抜き撮影なので湖面に邪魔者の木が(^_^;)・・・
天気予報では雨模様と報じていましたが、晴れ間も顔を出すラッキーな一日となりました。