わが町・守山宿をスケッチ
2005・5・24



地元をスケッチするのは初めてでした。




中山道・守山宿の民家

 中山道は、徳川幕府が制定した五街道の一つで、江戸板橋宿を第一宿として、武蔵・上野・信濃・美濃の各国を経て近江国守山宿まで六十七宿が定められましたが、守山は、東下りの第一番目の宿として「京発ち守山泊まり」で旅人に知れています。




勝部神社

 大化5(649)年の創建と伝わる神社。当初は物部神社といいましたが、そののち勝部(かつべ)という地名になり、勝部神社と呼ぶようになりました。戦国時代の1492年に佐々木高頼が再興したもので国の重要文化財。
 毎年1月には、750年の伝統ある火祭りが行われます。1月の第2土曜日に勝部神社で行われる勇壮な火祭りは県の無形民俗文化財です。
 いい伝えによると、その昔、嵯峨(さが)天皇が病気になり、占いで近江の川に住む大蛇(おろち)が天皇の命を狙っていることがわかりました。そこで周辺の農民が退治に出かけ、見事勝利を収めて天皇の病気も回復。退治した大蛇の胴は勝部で、頭は同じ守山市内の浮気(ふけ)にある住吉神社で焼き、戦勝を祝いました。以来、勝部神社では大蛇の胴に似せた松明(たいまつ)を、住吉神社では頭に似せた松明を燃やすようになったといいます。