2006・10・19
一昨日、疏水の工事で使われた竪抗(シャフト)を探しに歩いた続きです。今日は琵琶湖疏水の残り半分、山科駅から京都の蹴上(けあげ)まで歩きました。こちらの疏水にもトンネルがありますが竪抗は無いようです。 ・・・・ということで、JR山科駅から再び毘沙門堂(北)目指して疏水へ。疏水出会いから今日は京都市内(西)へ向けて歩きます。 今日歩いたルートの略図です。 ※ 細い黄土色の線は山歩きの道です。 スケッチしながら平坦な疏水沿いを歩く。時々ジョギングや散歩の人に出会うが静かな道です。鬱蒼とした天智天皇陵を過ぎ、本囶寺(ほんこくじ)の赤い橋のところで一枚目をスケッチする。 この少し先に疏水はトンネルに入ります。 第二トンネル入り口 この疏水トンネルは短い。左手の坂道を登って住宅街を少し行くと出口になります。下ると |
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トンネル出口の名板。蔦や陰でよく見えませんでした。 京都市水道局HPの資料には下記の解説がありました。・・・ 隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる)西郷従道 筆 山にそって行くと水源にたどりつく 第1疏水第2トンネル西口(出口) 入り口はシンプルでしたが、出口はこんな立派なれんがと石造りでした。 第二トンネルから少し歩くと第三トンネルがある。ここからは日本初のコンクリート橋を渡って、水道局の施設の横から日の岡山に登って行く道がある。ここを登ると京都トレイルのコースと合流、南禅寺・日向大神宮・大文字山に行ける。今日は住宅街を下って三条通りから蹴上へ行ってみることにしました。三条通を蹴上方面に歩いたが面白くない。山も低そうなので山越えしようと再び住宅街を登っていきました。不明瞭な消えかけた道を赤いテープたよりに雑木の中を大汗をかきながら登ってやっとのことで京都トレイルコース(標識:東山NO.35)に合流できました。ここははっきりした道だし、何度もとっているの場所が確認できてホッとしました。 ここから日向大神宮経由で蹴上まで下りました。 |
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第二トンネル出口を出たところから下流の疏水風景です。 |
ちょっと長い第三トンネルを出たところが蹴上発電所です。ここで第一疏水と第二疏水がで合流しています。 |
合流点の発電所の建物もれんがと石造りで風格がありました。 中央が第一疏水、左端のトンネルが第二疏水出口です。第二疏水は琵琶湖の取水口からここまで地上には顔を出さずトンネルの中を流れています。 この先疏水は左のトンネルに入る南禅寺の境内にある水路閣に顔を出します。 往時、枇杷湖と京都鴨川の水運として、30石舟はここからインクラインを台車に乗せられて鴨川連絡水路に上り下りしていました。 |
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蹴上船溜(疏水)からインクラインへ レールと三十石舟を載せる台車。 |
インクライン 上り下りの幅の広いレールが敷かれています。 この坂を下ったところに鴨川につながる南禅寺船溜になります。 |
インクライン(傾斜鉄道) |
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インクラインの終点南禅寺船溜 ここから鴨川につながっています。 これで疏水歩きは終わりました。 |
第二疏水第2代西郷菊次郎市長は,京都市の三大事業(第2疏水事業,水道事業,市電開通及び幹線道路拡幅)を計画しました。第2疏水は明治41年10月に着工して,明治45年3月に完成しました。琵琶湖三保ヶ崎の取水点から第1疏水の北側にほぼ平行して建設され,水道水源として汚染を防ぐため全線を掘抜きトンネル又は鉄筋コンクリートの埋立てトンネルにしています。水路延長は約7.4キロメートルであり,蹴上で第1疏水に合流しています。(京都市水道局HPより) |
あとは疏水歩き番外編の京都市内散策スケッチです。 新風館 烏丸御池から姉小路通に入ったところにある新風館の中庭はちょっと外国の雰囲気でした。 大正十五年、京都三条烏丸に通信時代の礎を築く電話交換オペレーションセンターとして生まれた 洋館が、2001年1 月26日(金)本格的なリアル&バーチャル性を備えた新たなタイプの情報発信型商業施設”新風館”として生まれ変わりました。 姉小路通から三条通りに出でると京都文化博物館別館がある。夕闇が迫って明かりが点りだしていたが、スケッチしてみました。 この別館は、日本の近代建築の祖ともいうべき辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、明治39年(1906)に竣工した日本銀行京都支店の建物です。明治を代表する洋風建築として昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されました。 |