2006・4・18
今日は午後から宇治へ講演会を聞きに行く予定がある。天気もよさそうなので少し手前の駅から山歩き&スケッチと”一石三鳥”と欲張ってみました。JR山科駅で地下鉄に乗り換え終点のろくじぞう駅を目指す。 朝起きてから決めたので地図はいつもザックに入っている1/12万図だけしかない。とりあえず日野薬師をたずねてから舗装路で長坂峠越で炭山へ出て、そこから東海自然歩道を歩いて志津川を経由して講演会場のある”ゆめりあ うじ”(JR宇治駅前)へ向かう。 旧奈良街道(旧国道24号) 8:40出発 地下鉄ろくじぞう駅から地上へ出たが方角がよくわからない。すぐのところにJR六地蔵駅があったので地図はないかと、もらった地図は近辺の市街地のみしかカバーしていない。コンパスで方向を見て北東に進むこの道を行くことにする。正面の山は山容と方向から滋賀県境の音羽山だろう。方向は間違いない。途中でであったおばさんに”日野薬師はどちらの方向ですか?”と尋ねたら”次の右へ行く道を行けばいいですよ”と教えてもらいました。 小高い御蔵山団地から滋賀県境の山々が見える。 左から音羽山・千頭岳です。この山並みは岩間山へと続いています。 すぐに右へ入る道がり右折する。住宅団地の中をだんだん高台に上がっていく。分譲中の見晴らしのいい場所に出る。どうも一本早く曲がってしまったようだ。ここでも散歩中の男性にあったので道を聞く(^_^;)。この真下に見える道が日野街道で日野なら右に行けばよいとのことでした。 |
|
日野道を進むと石碑が見えてくる。 右は”親鸞聖人日野誕生院”と”ひのや久し”の石柱があり、また直進は鴨長明方丈石1000mの道標がありました。 |
鴨長明方丈石まで距離を100mなら立ち寄ってみたくなり直進する。すぐにピンクの美しい枝垂桜が満開のお寺がある。 |
犬を連れた散歩中の方にであったのでまたまた道を聞きました。方丈石はこの突き当たりを右折してすぐの道を左折して山に向かうとあるらしい。ここで100mではなくて1,000mの読み違いだと知る(^_^;)。道が荒れているうえ、ただ石碑があるだけといわれて中止する。この先に日野御廟所と書かれた小さな社がありました。つづいて工事中のお寺があったので日野薬師ですかと聞いたら、やくしさんはこのお寺の下にあるという。 町や住宅街の道はわかりづらい、今回も道で人を見つけるたびに尋ねていました(^.^)。 |
日野御廟所(日野家墓所) 9:15着 |
日野(ひの)家は、藤原氏北家流の名家の家格を有した公家。儒道や歌道の面で代々朝廷に仕えた。 藤原家宗が、伝領地である山城国宇治郡日野に弘仁13年(822年)に法家寺を建立して薬師如来の小像を祀った。代々この薬師如来を伝承し、永承6年(1051年)、子孫の日野資業(ひのすけなり)が薬師堂を建立し、法界寺を建立。これを氏寺とし、寺は日野薬師とも言われるようになる。
|
|
ひのやくしの石標のある法界寺山門 |
桧皮葺で四角形をした阿弥陀堂 (国宝 藤原時代) |
法界寺は「日野薬師」または「乳薬師」ともよばれ、授乳祈願の信仰で知られている。 阿弥陀堂は藤原時代に起こった浄土教の流行や末法思想等の影響で極楽浄土の具現化として各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建設の一つで、平等院鳳凰堂と相前後して建立されたました。 祀られている阿弥陀如来座像(国宝)は宇治の平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式の典型的なすぐれた仏像で、寄木造、漆箔、八角九重の蓮華座の上に飛天光背を背に座る。円満豊麗な藤原時代阿弥陀仏を代表するものです。 住職が丁寧に案内してくれました。 |
|
薬師堂(重要文化財 室町時代) |
薬師堂の正面には (薬師如来は拝観できない、そのかわり乳薬師といわれるだけに沢山の○○が奉納されていのが見えます(*^。^*))。西国薬師第38番霊場) |
拝観の後、どこへ行く予定ですかと住職が尋ねられたので、炭山まわりで宇治へ行くと話すと、鴨長明の方丈石方面から峠越する山道があると教えてくれました。舗装路歩きを覚悟していた私には山道が歩けることになり嬉しい出会いでした。9:55住職にお暇する。 先ほどの道まで戻り、方丈石に向かう。少し高台になっていて六地蔵方面が展望できる。 |
|
10:10 京都市日野野外活動施設に着く。ここの入り口に手書きのガイド(上図)がありました。 人気の山なのかたくさんのコースが書き込まれていました。参考になりました。 青線は今日歩いたコースです。黄色文字は後から書き込みました。 歩くことにした道にはたか尾根コースと書かれていました。 |
|
今日歩いたコースです。 意外と距離があり、しっかりと4時間かかってしまいました。 |
|
野外活動施設のグランドの後ろからたか尾根コースに入る。すぐに方丈石への分岐がありました。日野薬師の住職は方丈石へ行くとそこで行き止まり戻らなければならないと話されていました。しかし活動施設の案内地図には道が書いてあり、この分岐からは方丈石へ行く道のほうがはっきりしている。10人ほどのご婦人のグループは史跡を尋ねて行くようだ。 |
急坂の山道を行くと鴨長明の方丈石に着く。 (10:20)。 石に刻まれた碑文をグループの一人が声を出して皆に読みだす。「方丈石はこの下の巨岩といわれる。ここに鴨長明が方一丈の庵を・・・ 私は先を急ぐのでお先に失礼して、この方丈石の後ろを登って行くる。急坂を登るとすぐにたか尾根コースに合流しました。 |
ミツバツツジの鮮やかな紫色があちこちで目を楽しませる。 |
10:45 ユウレイ峠への分岐に着く。 なんとも不気味な名だ・・・ |
ユウレイ峠へはこの分岐を左斜めに登っていくが、私は直進して供水峠へ向かう。ここから5分と書いてある。私の歩きはこのボーイスカウトの歩行時間にはついていけません(-_-;) |
フラットな歩きやすい道を行くと小さな祠と沢山の石仏がある。その先に供水峠がある。左:ユウレイ峠15分、右:天ガ峰15分、直進して炭山へも15分とある。まだ先が長いし、天ガ峰へ登ってみたいが往復30分使うと講演時間に間に合いそうにないので諦める。 |
峠を越えて下りだすと、道はすぐに左右に分かれる。右の方が方角的にはあっているように思うが、左への道にテープがあるのでこちらを選ぶ。後で略図を見るとどちらの道を行っても炭山で出会うようになっていました。 |
11:08 雑木林の中から民家が見えてきた。炭山に着いたようだ。 |
山道から飛び出した里、炭山はのどかで静かなところでした。 |
静かな山里、町から単車で来たというご婦人二人がヨモギとりをしていました。 |
赤い鳥居と満開の桜がよく似合っている。このあたりは寒いのだろう・・・ |
笠取に向かう東海自然歩道と出会う。案内板には東笠取10.2km、西笠取6.8km、 岩間寺12.4km、宇治 6.8km とある。 12:17 志津川バス停着 |
三室戸寺への分岐 志津川で集落の方へ下らなかったため東海自然歩道と別れてしまいました。時間がないので三室戸寺経由の近い方がありがたい。ここでも道を聞いたが、三室戸寺への道は少し登りになっているので平行に走っている住宅街の道を下ってきました。 左が三室戸寺へ登っていくみちです。わたしは右の道を下ってきました。 このまままっすぐ下ると大通りに出るが、左折して住宅街の道を選ぶ。 |
方Y字の分岐を振り返って写す。 私は左の道を歩いてきました。立派な石の道標には・・・ 右へ石山寺 五里、立木寺 三里半、喜撰法師古跡 一里半、志津川村 十三丁 左へ黄檗山 二十丁、三室戸 十丁 とありました。 |
宇治橋画正面に見える大通りに出ました。 あと1km足らずでJR宇治駅前です。 |
宇治橋上から宇治川上流方面を見る。 (12:45宇治橋着) |
13:30よりの開演になんとか間に合いそうで一安心しました。時間に追われて休憩もとれませんでした。橋を渡ったところのベンチで宇治川を眺めながらおにぎりの昼食と休憩をとり、オプション歩きも無事終了しました。スタート地点で道を見つけるまで時間ロスしたり、日野薬師でゆっくり拝観したりしたり、歩く距離が思ったより長くて、さすがにスケッチする時間がとれず一石二鳥に終わりました(^.^)。 |