オーストラリア(シドニー)の旅:1994年7月14日
ハーバーブリッジとオペラハウスは
シドニーのシンボルになっている。
☆---- 大韓航空はソウル半日のおまけツアーがついていた。 ----☆
7月14日、いつものように5時に目がさめた。鹿児島空港ホテルの窓からは
周囲の山々が綺麗に見える、とくに桜島はひときわ目立って正面に噴煙を上げ
ていた。
空港で軽い食事をとり、大韓航空でソウルへ出発しました。約1時間30分で
ソウルの金浦国際空港に着きました。ソウルは2年前につづいて2回目の訪
問です。とても蒸し暑く梅雨といっても日本と同じく空梅雨の状態です、さっそ
く入国手続きをして市内観光バスに乗車、ソウル市内の観光へと出発しました。
日本語勉強中というガイドの金(キム)さんの説明を聞きながら、韓江(ハン
ガン)沿いのフリーウエイでソウルの中心街へ、韓江(ハンガンリバー)道路沿
いは沢山のアパートが林立していました。この前の訪問は日曜日で大渋滞だ
ったが、今回はスムーズに市内へ到着することができました。
ビジネス街になっている人工島(ヨイド)には国会議事堂や文化放送局、遠く
からでもすぐわかる東洋一の高さを誇る大韓生命63(63階建)ビルがあり、島
を縦断する形でヨイド広場、ここは非常時に戦闘機等が離発着できる滑走路と
なる大きな中之島でした
韓江も川幅が約1kmと大きな川でした。繁華街に入ったところでさっそく名物
焼き肉の昼食となりました。焼き肉やレーメンなんでもハサミで切るのには2回
目でもやはりびっくりしてしまいます。それにしても本場のキムチはからい(^_^);
昼食後は韓江を渡りソウルの中心街へ、
まず小高い山にある南山公園で小休止、
時間がないためソウルタワーには昇れず
市街を眺望できなかったのは残念でした。
次は南大門、シティホールを通り国立中央
博物館がある景福宮内を散策。この国立
中央博物館の建物(バスガイドは韓国のハ
ジと言っていた)は日本が韓国を統治してい
たときのものということで来年には撤去される
とのことでした。
駆け足ツアーのためゆっくり見学する時間がない、つづいてこの宮殿の奥にある
大統領府(せいがだい:漢字忘れました)の前をドライブスルーで見学すること
ができました。昨年まではこの道路は一般には開放されていなかったが、金大統
領が文民政治と言うことで解放されたとのことです。ただし、この大統領府は地
図には記載されていないのが印象的でした。常時臨戦態勢をとっている国なのだ
な〜と感じました。
金浦国際空港への途中、韓国名産の紫水晶加工販売しているみやげ物店へ立ち
寄りましたがこれからメインのオーストラリヤ旅行ということで私は見るだけに
しました。
蒸し暑く、忙しい半日バスツアーは午後5時金浦空港着で終了。午後8時発の
大韓航空機でオーストラリヤへ出発となりました。
P.S
お金のレイトは空港でソウル市街の地図を買ったとき2,500ウオン、日本円で
300円払ったので1/8.33ということでした。2年前はたしか1/6くらいだった、や
はりこちらでも円高が進んでいるということですね。
☆---- いよいよオーストラリヤへ出発 ----☆
ソウル金浦国際空港を午後8時離陸、日本の津島、九州上空を経て南下一路
オーストラリヤへ。機長より韓国語、英語つづいて日本語であいさつ、国際便
に乗っているのだな〜と実感。
雲上はきれいな夕焼け(西方)、進行方向はもう真っ暗、南の空には月が冴
えた光を放っている。その近くの右側に星が一つ、づっとついてくるように見
える。離陸してからは眼下に韓国の街の灯、津島の明かり、九州ととても綺麗
に見えていました。機内のスクリーンにははじめてみる航空ナビゲーターが次
々と現在位置を表示していた。津島あたり(20時45分ころ:オーストラリ
ヤ時間に時計を合わせている:時差+1時間冬時間)での表示は下記のような
数字でした。
時 速 :903km/h
高 度 :8800m
上空温度:−25度C
シドニーまでの距離:8、000km
ジェット機の位置は画面の地図に航行した軌跡と飛行機の絵が表示されとて
もわかりやすい。ただし太平洋上の陸地のない所では表示がでません。
7月14日 9:00PM夕食がサービス 窮屈な座席(満席だった:勿論エ
コノミーです(^_^);)での食事は大変でした。
時差は1時間(冬時間)でほとんど気になりません。ソウルを出発したとき時計
を1時間進めるだけ、あとは寝ているうちに調整されてしまいました。
☆-- -シドニー キングスフォード・スミス空港に降り立つ-----☆
シドニーの空の玄関口は市内から南へ約10km、ボタニー湾に向かって
十字の滑走路を持つシドニー空港です。入国手続きを済ましバゲッジクレーム
の搬出ラインで荷物がでてくるのを待っていると、係官が麻薬探索犬ををつれ
て荷物の間を嗅ぎながら巡回してきた。外国の映画ではたびたび見る光景だが
実際に行われているのですね。
空港の外にはJTBシドニーのモダンな観光バスが待っていました。ドラ
イバーは陽気なオージーMr.テッド、ガイドは日本人のMissイトオが迎え
てくれました。あらかじめ用意していた信楽焼のミニ狸をラッキーチャーム
といいながらプレゼント、ちょっぴり故郷のピーアール、とても喜ばれました。
天候は快晴、少し肌寒いが半袖に夏物ブレザーで十分。午前8時30分
いよいよシドニーの観光に出発です。今日の観光予定コースはボンダイビ
ーチ→サウスヘッド→シドニー市内へ、ホテルのチェックインは午後3時の
予定。
乗車早々Miss.イトウよりのオーストラリヤでのバスマナーについて教
えられる。 それは
1、走行中席を立たない、バスガイドも日本のようにお客に向かって立って
案内することができない。お巡りさんに見つかるとやばいとのこと!!
2、食べ物やお酒の持ち込みもダメ
3、公共の場ではお酒は飲めない、飲めるのは酒場(パブ)やレストラン。
いきなり日本との違いを痛烈に感じるオーストラリヤの第一歩でした。
通勤ラッシュの時間帯で混むとの話でしたが、日本の通勤ラッシュとくら
べものにならないくらいスムーズな走り、韓国と違い車の通行は左側と違
和感がない。窓外には気温11度Cの表示がでていた。
約1時間のドライブで最初の訪問地ボンダイビーチに到着、紺碧の海、波
の高さはどのくらいあるのかわからないがサーフィンにもってこい、浜辺には
色鮮やかな建物が並んでいる。とても綺麗なビーチです。それにしてもすべて
の建物が煉瓦造り、屋根の色も赤い色をしている、なぜかとたずねたらオース
トラリヤの内陸部の土(鉄分を多く含んでいて焼くと赤い色となる)を使って
いるためとか。
また、オーストラリヤのビーチの条件にはつぎの3項目が必ず備わっていな
いとならないと教えられる。
1、プールがあること
2、海難救助隊があること
3、サメよけネットが設置されていること(沖に)・・・昨年も結構サメ騒動
があったとのこと。
海難救助隊は古い歴史があり浜辺の中央に建物があり、ジャージや絵はがきな
ども販売していた。それにしてもショートパンツにランニングでジョギングし
ている人や、泳いでいる人もいて真冬という感じがしない。日本人にはでもか
なり寒いと思うのだが。
☆--- ボンダイビーチ -----☆
日本と逆で今は真冬そんなに寒くない。
シーズンオフのせいか人はまばら。
シドニーはビーチ抜きにしては語れないといわれているが、もっともポピュラー
なビーチがボンダイ・ビーチである。シティ(中心部)から東方へほんの数Km、
太平洋に面して恵まれた地形をもつ海岸、真っ白な広い砂浜と高い波、旅行者に
もっとも人気の高いリゾート海岸です。サーファーは年中絶えることがないとのこと。
私たちのバスはビーチからサウスヘッドと呼ばれる南太平洋からシドニー湾への
入り口の半島の先端へ向かって出発。
小高い丘の上からのシドニーハーバーブリッジやオペラハウス、シドニー中心街の高層ビルと港の遠望はなんと綺麗なことか。
日本に比べ空気が綺麗のか湿気がないせいかとても鮮明に見えます。サウスヘッドの奇岩の上から、対岸のノースヘッドを眺
めてから、いよいよシドニーの中心街へバスは進んでいきます。高級住宅街が広がり、その中に緑豊かな公園や観光スポット
がつづく。ワトソンズ・ベイからローズ・ベイ、上流階級の人々の間で、ショップやレストランの宝庫として人気の高いダブル・ベイ
(別名ダブルペイと皮肉られるくらい値段が高い(^_^))とつづく一帯にはヨットだ沢山停泊、バスガイドのMiss.イトウはヨットの所
有は33人に1人と非常に高く自家用車より優先して購入するくらいヨットが好きだとのこと。ちなみに車は日本車が多いがその
価格は非常に高い、ちょうど日本でベンツやBMWを買う感覚だそうです。
キングスクロスでは最初の免税店WINDSでのショッピングです、オーストラリヤ貨幣への換金はここが一番率がよいそうです。
たしか80円=1A$だったと記憶しています。後で滞在しているホテルでは1万円=102A$でしたし、1日1人1万円までの制
限付きでした。
ウルムルの港にはオーストラリヤの艦船が3隻停泊、その艦壁には赤いカンガルーのマスコットが描かれていました。なぜコアラ
でなくてカンガルーなのか?それはカンガルーは前進しかしないという習性(退却しない(^_^))をならったとか。
次の観光スポットはミセス・マッコーリーズ・ポイントという湾に突き出た小さな半島の先端(緑豊かな公園になっている)です。
ここからはすぐ目の前にオペラハウスとハーバーブリッジが見え、
記念写真屋さんが待ち受けています。われわれもおきまりの記念
撮影”ハイ・チーズ”でなくここでは”シドニー”といいます(^_^)
それにしても免税店や写真屋さん日本人客の立ち寄るところはほ
とんど日本人があいてをしてくれる、ありがたいが私にとっては異
国情緒がなくがっかりでした。
つづいてすぐ向かいのオペラハウス見学、この建物は1957年
ニュー・サウス・ウエールズ政府が、ベネロング岬に芸術的建物を
オペラ・シアターとして作るため、世界規模のデザイン募集コンテス
トをして建築された。5,000ポンドの賞金にたいして233の応募
があったが、デンマークの建築家ジョーン・ウオッツンの作品に決
まった。推定建設費700万ドルと安く、3年もあれば完成するはず
だったのが結局着工後15年の歳月と1億200万ドルという
ばく大な費用を要して1973年10月エリザベス女王臨席の
もと盛大な落成式が行われたそうです。
あの独特な屋根には、表面にスウエーデンから運ばれた
防水タイルが105万6,000枚が張りめぐらされています。
ここにはオペラシアターのほかに4つの劇場と5つのリハー
サルスタジオを含む900を超す会場、レセプション・ホール、
レストラン3つ、バーが6つ、それにたくさんの休憩室やロビー
、衣装室、図書館、アートギャラリー、みやげ店などが入った
巨大な建築物の集合体です。せっかくここまで来ましたがゆっ
くりするまもなくカフェテリヤでオーストラリヤビールを飲んだ
だけ。
昼食はロックスの煉瓦造りのレストランへ。
バイキングの昼食をとり免税店を1軒経由して15時やっとシドニー駅近くのホテルに
着きました。さっそく夜行フライトの疲れをとるためシャワーを使い一息着くことがで
きました。結構強行軍でしたが、すぐ友人から電話がかかり夕食までの間町を散策しに
行こうと誘われ、ダウンタウンへと出かけました。
☆-- オーストラリヤの電車に乗って ------☆
夕食までのわずかな時間を惜しんで、年中お祭り騒ぎでにぎやかなプロムナ
ード、サーキュラ・キーへ出かけることになり、まずは電車にトライしました。
シドニーの電車はどれも2階建て(ダブルデッカー)、乗降のドアーも日本の
電車より広い。ホテルから約500メートルのセントラル駅を道で聞いたが、探し
当てた駅はMUSEUM駅だった。セントラルが聞き取ってもらえなくステーショ
ンだけが通じたみたい、1駅分歩いてしまっていました。さっそく窓口で2駅先の
目的地”サーキュラ・キー”と窓口で言ったら無事通じて代金$1.20(約100
円)を払い磁気テープ式の切符をくれました。自動改札機に切符を入れたらゲー
トはいったん開いてすぐしまってしまった。そのゲートの手前に切符がでてきた
ので、抜き取るとゲートが開き通過できた。日本では切符を入れたらゲートが開
きそのゲートを通過した先に切符がでてくる、ちょっとした違いがいを不思議に
感じました。 目的地のサーキュラ・キーには5分ほどで到着、駅員さんに頼み
込んで使用済みの切符を記念にもらい、ついでに一緒に写真も撮らせてもらい
ました。
改札口をでるとすぐフェリーの桟橋(ワーフが5カ所もある)
そのプロムナードではナイフ投げと一輪車のパーフォマンス
に人垣ができていた。ギターを弾いている人、船の模型を作
りを見せる人いろいろで大変なにぎわいでした。右手に行け
ばオペラハウス、左手に行けばハーバーブリッジ、とりあえ
ずハーバーブリッジの方向に歩きロックスにあるパブを探し
入ってみた。イギリスの雰囲気を漂わせる店内で談笑しなが
らお酒を飲んでいる人をながめながらバーテンにビールを注
文、夕食の時間がちかづいたため名残惜しいが、タクシーで
ホテルへ。ここでもタクシーのドアーが自動で開かない、夜空
の月は左右が反対になっている(ここは南半球か)等々なん
でも不思議に感じてしまうKENでした。
ホテルに帰ったら、消防車が来ていて大騒ぎ、グループツアーのメンバーに聞いたら
私がホテルからでたすぐ後のこと、非常ベルらしきものが鳴り”??ファイヤー??”
の声が聞こえたとか聞こえなかったとか(^_^)。ある人はわからず寝ていたり、ある人
はシャワー中あわてて服を着て部屋を飛び出し非常階段から脱出したとか。言葉習慣
の違っている外国での危機対策の難しさを痛感しました。何はともあれ誤報とわかって
一安心したそうです。
夕食をホテルのレストランですました後、我々日本人は(^_^)おきまりのカラオケへ、
ガイドが案内したのはダーリングハーバーにあるホテルニッコーの中にありました。
店の名前は”鴨川”ウエイターも日本人、歌も演歌とくれば雰囲気は日本そのもの、
まいったな〜〜、帰りにチャイナタウンの海鮮料理店でラーメン(があったのです)
沢山の海産物がのっていてとても美味しかったですよ、それに青島ビールもね。
なにはともあれ12時過ぎにホテルに帰り、長いオーストラリヤの第1日が終わり
ました。明日は約70km西方にあるブルーマウンテンとコアラでお馴染みのワイルド
ライフパークへ行く予定です。
☆-- 今回のオーストラリヤの旅は ------☆
シドニーにわずか3日間という短い時間、1日目はシドニー市内とその周辺の
バスツアー、2日目はシドニー郊外の動物園からブルーマウンティン国立公園の
1日観光、3日目はやっと一人で市内を散策できたフリータイムというものでした。
だから、オーストラリヤというばかでかい大陸のほんの一部の旅でした。
オーストラリヤは日本国土の22倍もある広大な大陸、北は赤道付近から南は
南緯40度まで達しているため、気候も熱帯から温帯までと幅広い。いまオース
トラリヤは冬だが、私の訪問したシドニーの気温(昼間)は11〜15度Cくら
いでセーター1枚あれば充分でした。滞在中晴天続きはラッキー(^_^)!!
通常時の時差は西オーストラリヤ州は日本より1時間遅れ、ノーザンテレトリー
と南オーストラリヤ州は30分進み、クイーンズランド州、ニュー・サウス・ウエ
ールズ、ヴィクトリア、タスマニアの各週は1時間進みということです。
サマータイムが実施されるのは10月の最終日曜日で、午前0:00が午前11:00に
なる。終わりは3月の第1日曜日(タスマニア州は異なる)で、今度は反対になる。
ただし、西オーストラリア州は夏時間はない。ということでシドニーは日本より
1時間早いだけだったので時差ボケはありませんでしたよ(^_^)
オーストラリヤの歴史は、シドニーのあるニュー・サウス・ウエールズ州(NSW)
から始まった。1788年にアーサー・フィリップ総督がシドニー流刑囚植民地を開き
そのあと約50年にわたって囚人の輸送が行われた。
1851年にバサーストで金鉱が見つかるとゴールドラッシュが始まり、一攫千金を
夢見てオーストラリアにやってくる人で人口は急増した。人の”欲”は歴史を動かす?
建国200年を迎えた現在も、NSW州はオーストラリア最大の人口を持ち、ナショ
ナルリーダーとしての役割を果たしている。
面 積:約80万Ku(この州だけで日本国土の2倍あるのですね)
人 口:約580万人(大阪の人口より少ない?・・・自信がないです(^_^);)
SYDNY(シドニー)
オーストラリアでもっとも古い歴史を持つ町である。キャプテン・ジェームス・ク
ックがボタニー湾から上陸したのが1770年。その18年後の1788年1月26日
アーサー・フィリップ総督に率いられた船団がジャクソン港に到着し、英国領と宣言し
た。それから200年後の現在、シドニーの人口は354万人に膨れあがり、NSW州
の州都として、またオーストラリアの経済・文化の中心として重要な役割を果たしてい
る。
オーストラリア史の起点であるジャクソン港は、リオデジャネイロ、香港とともに
世界三大美港のひとつ。深く入り組んだ数々の入り江と周辺の緑に抱かれてこの港の
景色は、開拓後200年経った今でも変わらない美しさを持っている。
(JTB:オーストラリア自由自在参照)
シドニー湾という名前が地図にない?中心街のCITYにはノース、サウス・ヘッ
ドの間を入ってジャクソン港に入ることになる。そこのは沢山の湾(Bay)と入り
江(Cove)の名前があります。その奥は川につながるなかなか複雑な構造になっ
ています。第二次世界大戦のおり、日本軍の特殊潜水艇が3回にわたって進入して活
躍した話をガイドのMiss.イトオが話してくれました。日本海軍の勇敢な戦いぶりで
シドニーでは結構有名なことだそうです・・・私は初めて聞きました。みなさんは
ご存知でしたか?
☆-- ブルーマウンティン観光へ ------☆
7月16日(土)今朝も晴れ、2日目の観光コース
はシドニー近郊のオーストラリアン・ワイルドライフ
.パーク(動物園)とブルーマウンティン・ナショナル
・パークへ。服装も寒さに備えセーターを着込んで
さあ準備完了、JTBのデラックスバスとガイド
のMiss.イトウが迎えに来てくれた。
シドニーの中心街を抜け入りへに沿ってドライブ、
暫くするともう郊外の住宅地が広々している。日本
のように洗濯物は見られない、ガイドによれば景観
を損ねるためそう決められているとか、でもたまには
違反している家も見られました。
グレート・ウエスターン・ハイウエイかウェスターン・MWYどちらかはっきり覚
えていない(すぐそばを平行して走っている)が快適に西に向かってバスは走
る。
約1時間のドライブで最初の訪問地オーストラリアン・ワイルドライフ・パークに
着くとのこと、その間Miss.イトウはいろいろなこと話してくれた・・・
オーストラリアの樹木は98%が常緑樹でユーカリが非常に多い、ユーカリに
は約500種類もあるが、コアラはこの中の5〜6種類のものしか食べないため
、どこにでもいるわけではない。またコアラは北の方(クイーンズランド州)へ行
くほど体が大きい。常緑樹が多いためか、最近は日本のモミジを庭に植え紅葉
を楽しもうとしているとか、でもシドニー近郊では気温が日本の冬ほど下がらない
のであまり綺麗に紅葉しないらしい。
車は約80%が日本車ととても多い、前にも書きましたが日本車はとても高価、たとえばレクサス(日本ではウインダム)は900万円
位するとか、中古車でも結構高い。ただし、ガソリンは産出国だけあってかなり安い(値段は覚えていない)。
なぜ有袋類(コアラやカンガルーなど)がオーストラリアに多く生息しているか、それは大陸移動と大いに関係があるらしい、大昔1つ
の大陸であったものが最初に南極大陸、つづいてオーストラリア大陸とそのほかの大陸より早い時期に分離したため、ほ乳類による
弱肉強食の世界から隔離された形で進化し損なった有袋類がゆったりと生息できたとのこと。
有袋類はほとんどは草食、夜行性。コアラかカンガルーかはっきり覚えていませんが妊娠期間は夏の1カ月の間、この時期をのがす
と子どもができるのは1年先になるそうです。その赤ちゃんは人差し指の第二間接くらいの大きさで、未熟児の状態で生まれる。赤ち
ゃんは自分の本能で母親のおなかの袋に入らなければならない、もしできない子どもは育たない、厳しいですね。それからおなかの袋
で3カ月母乳で成長する・・・
・・・興味のある話に耳を傾けているうちに9時40分(ホテルから約45分)ワンダーランドに到着、この南半球最大の遊園地(総面積2
19ha)に隣接して1番目の訪問先オーストラリアン・ワイルドライフ・パークがあります。
ここは90年末にオープンしたところで、オーストラリア全土の様々な動物が、自然に近い状態で飼育されています。ここの目玉はシド
ニーにたった1頭しかいない白いカンガルー(実際には2頭いました(^_^))やワニ、ウオンバット、エミューなどたくさんの動物がいます。
私たちは朝の人出の少ないうちに、まずコアラを抱いて記念撮影ができるコーナーへ急ぎました。そこで料金A$6でポラロイド写真を
とってもらいました。コアラはじかに抱くとその鋭い強力な爪で怪我をする、ここではコアラのぬいぐるみにつかまっているコアラを抱い
て写真をとるおもしろい方法を使っていました。さわった感じはぬいぐるみも本物のコアラも見分けがつかない(^_^);。あとはカンガル
ーやエミューなどの放し飼いしている柵内へ入ってさわったり、餌をやったり、写真を撮ったりしました。
11時、つぎの訪問地ブルー・マウンティンズ・ナショナル・パークへ出発。
☆-- カトウーンバという町へ ------☆
ワイルドパークを後にして15分くらい走ると標高1000mく
らいのブルーマウンティンの青い山脈が前方に見えてきまし
た。ネパーン川を渡ると山道にさしかかる。ブルーマウンティ
ンの名前の由来は、ユーカリから発散される油滴のために真
っ青になった霧がいつもたちこめて、山々が青みがかっって見
えることからつけられた。日本なら遠くの山々は湿度(?)のせ
いでみんな青みがかって見え不思議な光景とは思わないです
よね。
山をだいぶ登ったところから家並みが見えてきた、12時少し
前にカトウーンバの街に着いた。バスを降りると冷たい外気が
襲ってきた、シドニー市街とは7〜8度気温が低いとのこと。今
日の昼食は駅前の小さな中華レストランです、こんな山奥の
観光スポットでも中華料理店があるのには驚いた。勿論日本
料理店などはないと思う。
カトウーンバ(Katoomba)はシドニーのセントラル駅から電車で約2時間(シドニーの西約100km)のところ、ブルーマウンティン
国立公園にある大自然に覆われた小さな町でした。昼食後のわずかな時間、駅前のツーリストで地図を買ったり、町の様子を聞い
たら親切に教えてくれましたよ。それから町や駅の写真を撮り、ふたたびバスで町の目抜き通りを約10分、サイクロラマ・ポイントに
着きました。ここには”オーストラリアのグランドキャニオン”と呼ばれる風景を一望しながら乗れるスリル満点の空中ケーブルとトロッ
コ列車があります。
空中ケーブルからはカトウーンバ滝とザ・スリー・シスターズの奇岩、断崖と深く落ち込んだ谷とすばらしい展望が楽しめる。ただし
地上から500m以上あるので高所恐怖症の人はどうかな・・・
トロッコ列車は52度という急傾斜の斜面をゆっくりと降りていく、途中巨大な岩を切り抜いた割れ目を過ぎるともう終点。小さなプラ
ットフォームがあるだけ、そこからスリーシスターズの奇岩やブルーマウンティンの遠望を見て、すぐ上がってくるという簡単なもの、た
だしこのトロッコは1878年作られ、渓谷にあった炭坑から石炭を輸送するに使われていました。最初に人を乗せるようになったのは
1935年とか、52度の傾斜で207m降下は真下に落ちていくような感じでスリルがありました。年間25万人もの乗車があるようです。
帰りのバスからはブルーマウンティンの遠望を楽しみながら緑豊かな森林のなかを下りました。来たときと同じハイウェイを一路シド
ニーへ、一眠りして目が覚めると目の前にシティの高層ビルの間にひときわ高いシドニータワーが見えてきました。
市内では再び免税店へ立ち寄りホテルへ無事帰着。シャワーを浴びてディナークルーズへと出かける予定です。
☆-- ブルーマウンティンは ------☆
うっそうと繁る樹木に覆われ、渓谷や滝、緑豊かな高原でした。この山脈は東海岸と内陸とを分断するグレイト・デバイディング・レン
ジと呼ばれビクトリア州からクイーンズランド州まで連なっています。オーストラリアというと乾燥した赤土の大地のイメージがあります
が、ここはかなり違う光景ですよ。むきだした断崖絶壁は赤い色をしていました。
・・・この旅行記は、私のつたない記憶だけではなく、ガイドブックもおおいに参照しています(^_^);
☆-- シドニーの夜、ショーボートクルース ------☆
観光2日目の締めくくりは世界三大美港の夜景を満喫しながらのディナーをショーボートで2時間30分。デッキにでると真上の夜空
には南十字星(サザンクロス)が輝いていました。私は教えられるまで、南十字星はてっきりひとつの星だと思い込んでいました(^_^)。
船が港をでると船内には聞き覚えのあるメロディーが流れてきました。よく聞くと荒城の月、次にはさくらさくら・・・周囲を見ると、やは
り日本人が圧倒的に多い、ストレートになっとく(^_^)。ディナーが終わったらバンドのショーが始まる、さっそく最初にオーストラリアに敬
意をと”ワルシングマチルダ”をリクエスト大いに盛り上がったあとはダンス(適当な踊りでしたが)を楽しみ陽気なオージーとの思い出
のひとときを過ごしました。
いよいよ明日は最終日(3日目)、一人でフリータイムを過ごす予定です。
今度は昼の帆船クルーズに思いを馳せながらグッド・ナイトのKENでした。
☆-- シドニー・フリータイム(3日目) ------☆
今朝も快晴、夜半少し雨が降ったのか路上は少し濡れていた。朝食はいつものバイキング、食後荷物をパッキング(といってもバッ
グひとつですが(^_^))してチェックアウト。フロントで今日の予定の帆船クルーズについて聞いて”帆船バウンティ号”を予約ブランチク
ルーズA$30とのこと。9時30分のスタートまで余裕があるので、セントラル駅まで歩き写真を撮る。クルーズ乗り場(サーキュラ・キ
ー)までの切符を買ってプラットフォームへ、一昨日乗ったミュウジアム駅に比べ沢山のプラットフォーム、間違うと郊外に行ってしまう。
近くにいた子ども連れの婦人に聞いたがよくわからない、その婦人はイラクから移住したばかりとのこと、隣にいた男性に教えられよく
見たら行き先表示と停車駅が簡単にわかる表示ボードがありました。でも車内のアナウンスはなにもない。サーキュラキー出下車、フェ
リー乗り場(ワーフ)からハーバーブリッジを眺めながら少し歩くと、煉瓦造りのレストランが並ぶ港に帆船が2隻停泊していました。
看板には The BOUNTY
The famous replica of Captain Bliegh's Vessel.
Built :Whangarei New Zealand 1979Length:133 feet
Mast height:107 feet
Displacement:380 tons
Number of sails:19
Sail area:800 sq feet
Engines:turbos 415 h.p
Number of passengers:85 harbour25 overnight
Originally built The movie "Bounty"
staring Mel Gibson. this
vessel saild from England with First Fleet Re-enactment,
has fatured numerous films &documentaries and has crossed
evrery ocean of the world.
とありました。そういえば以前”なんとかバウンティ号”という映画
の話聞いたことがありました。
きれいな女性の船長さん、
9時30分、いよいよ2時間のシドニー湾内のクルーズに出発です。
クルーメンバーが大声で出発の合図をしている、その言葉はなにを
言っているのか全く聞き取れないが、海賊船などの映画で見た服
装そのまま、帆船クルーズの雰囲気満点です。エンジンは湾の中
央に出て停止、船員がすばやくマストの上にかけ上り、乗客にロー
プを持たせるよう指示、大きなかけ声と共にロープを皆で引くと、大
きな帆は強い風を一杯に受け380トンもの船が少し傾きながら搬送
しだした。ハーバーブリッジやオペラハウス、シティのすばらしい景
色を見ながら湾内をゆったりと周回。船員が話しかけてきて、今日
は風が強い帆船航行にはラッキーデイだよと、でも真夏の日本から
来たため海上の強風で体が凍えるというと親切にウインドヤッケを
持ってきてくれました。真冬というのに沢山のヨットが湾内を航行、
まるで琵琶湖の夏の景色と間違いそうでしたよ。30分ほどたつとブ
ランチタイムとなり、いろいろのパンやクッキーと温かいコーヒーや
紅茶のサービス。外人(逆に自分が外人ですよね(^_^))は老若男
女、皆よく食べよく飲むのに感心しました。 (写真) デッキでブランチ(^^);クッキーやパンなど自由に飲んだり食べたりできる。
話しかけてきた中年の2、3組のカップルはドイツの人で気に入ったシドニーの町に
に住み着いているとの話でした。3日間のシドニー滞在はあまりにも短い、メルボル
ンやブリスベン各地をあるかないと値打ちがないよ、今度はもっと余裕を持った旅をし
なさいとアドバイスもくれました。日本の印象は、まだ行ったことはないが人が多くご
みごみしている町だと思っているとのこと。言われてみると正直言ってシドニー市街や
郊外の住宅地などとても綺麗な町には違いないなあ。
次はハーバーブリッジを歩いて渡りに行きました。船を下りて坂道を歩き出したら
道路には沢山の露天が出ていて、大勢の人でにぎわっていました。日曜日だけの
歩行者天国なのかな、昨日バスで通ったときなたしかなかったから。店を見ながらブリッジの方へ細い裏道
を歩いていたら、若い(そうな?)男が近づいてきて、バスに乗るお金がない2ドルくれないかと話しかけてきた。
断ると私の後を歩いていた人に同じことを言っていた、どうもその人は日本人みたい親切にお金を上げていまし
た。
ハーバーブリッジはオペラハウスとならんでシドニーのシンボルになっている。この橋は1920〜30年代に
吹き荒れた不況対策の公共事業として作られた。両岸の土台やアプローチだけで5年、水面からの高さが
134mある鉄骨のアーチをつなぐのに2年、アーチから吊り下げられているように見える本体部分が最後の
2年、計9年の歳月をかけて1932年完成した。
全長1,149mは、シングルアーチとしては世界第2位。全幅49m、8車線の車道と電車、両脇の歩道が
ある。市内と北部を結ぶ重要な橋です。シティから北へ向かう場合は無料だが、北からシティに入る場合は
有料(2ドル)である。ただし歩行者や自転車は無料です。歩道には散歩する人ジョギングする人自転車で
走る人でにぎわっていました。アプローチにあるシドニー側の土台(石造りの塔)まできたら、子ども連れの
おばさんが塔から出てきたので、上には登れるかと聞いたらこの一カ所のみ有料で登れるとのこと。塔の中
はハーバーブリッジ建設の資料や写真が展示、絵はがきや壁掛けなどのみやげを売っていました。塔の上
からはシドニー湾の遠望や町が一望でき、知らなかったが結構いい観光スポットでした。
橋を渡り終え、タクシーを拾ってシティへ帰り、今度はシドニータワーへ行きました。海抜324.8mと南半
球一の高さを誇っています。高層ビルの谷間からにゅっと突き出ていて町のどこからでも一目めでわかりま
す。さっそくおのぼりさん気分で「センターポイントS.C]に入り、Podium Levelまでエレベーターでそこで
料金を払い別のエレベーターで一気に展望コーナーへ、晴天に恵まれ遠くは太平洋やシドニー空港、真下に
はダーリングハーバーのテーマパーク、大勢の人でにぎわっているのが見える。遅い昼食をとるためダーリン
グハーバーへ、モノレールで行く方法もあったが、近くなので町を散策しながらいきました。
その昔、ここの入り江を取り囲む一帯は、入り江自体の名前でもあるコックル・ベイと呼ばれ、倉庫や造船
所、製粉所などの工場が建ち並ぶ代表的な貿易港だった。そしてこの港がにぎわいを見せていたのは、羊
毛の輸出である。当時オーストラリアの羊毛の1/3が、この港に集められていたという。しかし、いつのまに
か港は寂れてしまい、工場や倉庫は廃虚となって放置されいた。
訪れる人もいなかったコックル・ベイを再
開発するきっかけになったのは、1988年
の建国200年祭だった。この記念行事の
ために、整備と再開発が進められ、約50
万uに及ぶコックル・ベイ一帯は、大規模
なショッピング・センターやエキビジション
・センター、コンベンションセンターなどが建
てられ、シティとのアクセスにモノレールも
建設された。こうしてダーリングハーバーは
一大アミューズメント・エリアとしてオープン
した。
日曜日もかさなり大変な人出でにぎわっていました。昼食にビールとラーメンを食べSydney Aquarium(水族館)
へ、透明ガラスのトンネル内を動く歩道で移動しながらの海底散歩は、大きなさめやエイを間近に見れてなかなか
のものでしたよ。
わずか3日間のオーストラリア(シドニー)の旅でしたが、無事終わり、ブリスベン経由の夜行フライトで帰路に着き
ました。
KEN