※若かりし頃の明智光秀が籠城した記述がある
田中城跡ハイキング

2020・11・14
 ”びわ湖高島「戦国・紅葉ハイキング&トレッキング」という案内チラシを入手。その中の一つ、「田中城址ハイキング」に参加したくて申し込んだが、すでに定員(20名)でした。それでも行きたくなってイベントの当日JR安曇川駅へ向かう。詳しい資料が欲しくて”びわ湖高島観光案内所”をスマホでチェックしたら、JR新旭駅前でした。・・・ということで、二つ先の新旭駅へ。駅前の案内所で情報と地図をゲットして再び安曇川駅へ戻りました。


 

10:25 JR安曇川駅に戻る。
 

駅前にある中江藤樹の像
 田中城跡へは安曇川はら路線バスで約10分、上寺バス停で下車するのだが、バスは10:20発しかない。おにぎりとお茶を買いに近くのコンビニへ行ったが、せっかちな性格でバス待ちはあきらめて、歩いてアプローチすることにしました。バスで10分なら徒歩では約1時間、バスとほぼ同じ時間にバス停に着くだろう。観光案内所でもらった地図を見ながら上寺バス停を目指す。


 

10:15 駅から25分、田中城跡のある丘陵に近づいてきた。
後方のどっしりとした山は何度か登っている「蛇谷が峰」です。


 

 10:30 上寺バス停が見えてきた。バス停手前でバスに追い越されました。
 

 イベント参加者のグループが準備運動をしている。田中城跡の案内板を見て、お先に失礼する。
 

バス停にあった案内板(上)と散策コースの図(右)
 

(以下の説明は案内板からの抜粋です。)

  築城は室町時代 城主は佐々木田中氏(室町幕府の外様衆)
田中城跡は、泰山寺野台地(たいざんじのだいち)から舌状にのびる支丘の先端部に位置している。田中城は、佐々木高信を祖とする西佐々木一族の佐々木田中氏の居城とされている。
 城跡は、標高160~220mに築かれ、三方すべて急峻な形状(切岸)を呈し、泰山寺野につながる背後の尾根も非常に細かく整形され、防御性に優れた山城。主郭は最高所の221mに設けられている。
 要所に堀切、土橋、土塁、武者隠しなどの防御遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であった。
 築城以前、統治は天台寺院「松蓋寺(まつがいじ)があった。城はこの寺院跡を利用し、城郭として増築されたと推測されている。
 浅井長政の勢力下にあった田中城は、元亀4年(1573)7月26日、信長の高島攻略時に攻められ、明智光秀の支配を受けて終焉を迎える。

 
 

バス停から少し歩く。このゲートを開けて中へ。


 

主郭目指して樹林帯の中を登って行く。


 

順路案内板があり、主郭への道から右へ
 

武者隠し、土橋へと案内される。
 

ここから土橋へ下って行く。
 

武者隠しから土橋に着く。この先は荒れていて、戻る。
 

土塁を越えて・・・


観音道への石段

 

観音堂に着く。
 

観音道のある平坦な所にあった「松蓋寺遺跡」の案内板
  「松蓋寺(しょうがいじ)遺跡」

 松蓋寺は、上寺地区に所在する遺跡で、高島七寺の一つに数えられる天台系寺院です。




順路に従って先に進むと「見張り所跡」に着く。
 

見張所跡のあたりはショウジョウバカマが咲いていた。
 

曲輪に着く。その先へ行くと「天守閣」案内板がある。


曲輪から少し登って行くと「天守閣」に案内板が・・・。
 

 天守への⇒(右上の写真)で見誤って直進したが、この先で行き止まり。後で田中城の図で確認したら、一番上の”土塁”の手前まで行ってしまったことがわかる。
 

 天守への案内のあった所まで引き返して、展望の開けた広場の「主郭」に無事着きました。上の案内板はこの広場にありました。


 

安曇川の町とその向こうにびわ湖が広がっています。
(田中城跡の主郭広場からの展望です。)



いい天気に恵まれて、楽しい城跡めぐりができました。