天王寺から堺へ

2008・3・6 

 スケッチかねて、知り合いの娘さんが出品しているという近大芸術学科「造形芸術専攻制作展」を大阪市立美術館へ見に行きました。最近抽象画にも興味が出てきたので、若いアーチストの感覚はとても参考になりました。






大阪市立美術館

 美術館本館ではちょうど「日展」が開催されていましたが、また京都で見ればよいと思ってパスする。美術館は天王寺公園の中にあり150円の入場料がいる。倹約したわけではありませんよ(^_^;)。
今回の「造形芸術専攻制作展」は入場無料の美術館地下展覧会室でした。





通天閣

 展覧会を見たあとちょっと通天閣界隈を歩いてからJR天王寺駅へ。通天閣界隈で多くの方がスケッチされているおなじみのアングル「づぼらや」のフグ提灯と「ビリケン」さんを入れてスケッチしました。





このあと前から行きたいと思っていた百舌鳥(もず)の仁徳天皇陵へ。天王寺から阪和線で百舌鳥駅へ。駅から400mほどで大仙公園観光案内所のある仁徳陵の正面(拝所)に着く。ここで「大仙公園周辺マップ」と立派な「堺観光マップ」をもらいました。



仁徳陵の正面(拝所)



仁徳陵の向かいにある大仙公園散策はパスする。

仁徳陵古墳

 1500年ほど昔の古墳時代最盛期、その大きさを競って人に見られるために作られたといわれる、周囲を三重の堀に囲まれた前方後円墳です。日本一の大きな古墳であり、1872年(明治5年)には、前方部から石室が発見され、短甲、冑、ガラス碗等が出土したという記録がある。

その広さは甲子園球場が12個も入る大きさとか、外周一周すると2,850mもある。木々で囲まれた陵の周囲を歩いても面白くないので、約4kmくらいあるが堺の湊まで歴史散歩することにする。



堀に沿って歩くとひなたぼっこをしているカモ?とタヌキ?が・・・



市名の由来

 「堺」の地名は旧摂津国と旧和泉国と旧河内国の3国の「境(さかい)」に発展した町であることから付いたといわれる。
戦国時代
 布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は『東洋のベニス』として、当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より



阪堺電軌阪堺線




 うれしくて、この古いタイプの電車に乗ってみました。
(*^_^*)


 仁徳陵から堺の海に向かって約2kmほど歩くと市電(阪堺電軌阪堺線)の通る大通りに着く。この大通りは旧紀州街道と沿っている。 歩いてもしれている距離ですが、ここ御陵前から宿院まで2区間市電を楽しみました。料金は定額で「えびす町」まで行っても200円です。宿院駅で降りたのは、この近くに千利休屋敷跡があるからでした。少し電車道を行くと与謝野晶子生家跡もありました。その他にも堺市内には「堺刃物伝統産業館」や「鉄砲鍛冶屋敷」、江戸時代前期の町屋「山口家住宅(重要文化財)」などがあります。今回は旧堺燈台を見に行くことにしました。



千利休屋敷跡

境に生れ、わび茶を大成させた千利休の屋敷跡には今も椿の井戸が残っている。



与謝野晶子生家跡

歌集「みだれ髪」で知られる明星派の中心的歌人。


堺ゆかりの人々・・・・

千利休、与謝野晶子、奈良時代の名僧、東大寺大仏殿建立の功績により大僧正に任じられた行基、天才棋士・坂田三吉、日本の喜劇の草分け・曾我廼家五郎などの人々を輩出している。







南海電車の堺駅近くの学校の塀にあったタイルの壁画




南海電車の堺駅近くの学校の塀にあった壁面




旧堺燈台があるというので南海電車の堺駅を過ぎて大浜(堺の湊)へ

”乙女さん”の愛称で親しまれる平和と繁栄のシンボル「龍女神像」が見えるモダンな船泊まり。



灯台へ向かう途中振り返って堺駅方面を撮る。南海堺駅は中央の高層ビル(リーガロイヤルホテル堺)の後ろで見えない。





貨物船が荷降ろししている港の風景



旧堺燈台(国指定史跡)

当初の場所に現存する日本最古の木造様式燈台

このあと堺市街を散策しながら4kmほどの道のりをJR堺市駅まで歩きました。