土倉鉱山遺構と金居原の森散策
(滋賀県長浜市木之本町金居原)
主催:ながはま森林マッチングセンター
協力:滋賀県・長浜市・金居原自治会
2018年11月11(日)
 何処かへ出かけようとネットで検索していたら「金居原の森散策ツアー、歴史を重ねて森になった鉱山跡を歩く。」 先着定員20名、参加費1,000円(保険代、資料代、お弁当を含む)の参加者応募案内が目にとまる。鉱山の遺構は是非見たいと、さっそくネットで申し込んだが、その応募記事をよく見ると、すでに”満員御礼”となっていました(^^;)。・・・でも行きたい衝動に駆られイベント当日の11月11日、キャンセルを頼みに集合場所の「JR木ノ本駅」へ出かけました。改札口を出た所に出迎えていた係の人に”キャンセル待ちを期待してきました”と言うと、問い合わせてくれ”出発間際にお1人がキャンセルされました。お急ぎください”という返事、出発時間ギリギリで幸運を得ました。お陰様でこのツアーに参加することができました。

 ※土倉鉱山は明治40年に銅鉱脈が発見され、昭和40年に閉山という60年間の歴史がある。
 

出口土倉
簡単な説明を聞き、4グループに分かれて出発です。
 マイクロバスは9時半過ぎ木ノ本駅を出発する。ルートはR303を北上、目的地の「出口(でご)土倉」へ向け杉野川に沿って走る。杉野の集落、金居原の集落を過ぎてどんどん高度が上がって行く。やがて旧国道への分岐があり、R303から別れ細い道の旧国道へ入って行く。木ノ本駅から約30分ほどで出口土倉に着きました。


今日歩く予定のルートマップをもらう。

  
 
 金居原自治会の方からの説明では、この付近一帯には、1965年(昭和40)3月、土倉鉱山が閉山されるまでの間、金居原地区の枝郷「出口土倉(堀近村)」と呼ばれてた集落があり、鉱山事務所、職員寮、医局、映画館やマーケットなども建ち並んでいたという。昭和24年3月には、木ノ本から土倉間に国鉄バスが開通された。現在は木々に覆われていて建物跡はない。
 

道は整備されている。
この林道を行くと、すぐに鉱山の遺構に着きました。

 

土倉鉱山の選鉱場の遺構に着く。


 

鉄筋コンクリートの遺構
 ここは1942年(昭和17)に新設された三代目の選鉱所です。初代の選鉱所はこの奥地「奥土倉(本土倉)」にあるそうです。今日はそこまでの約2kmを往復する予定です。
 主催者からの挨拶と土倉鉱山の解説があり、集合写真を撮って、10:40スケジュール通り出発しました。



選鉱場跡をバックに主催者のスタッフさんに撮っていただいた集合写真です。


 

10:45 奥土倉目指して出発
 

黄葉と秋晴れ真っ青な空の下を歩く。
 

  出発して約10分で坑道入口に着く。冬季の豪雪から鉱山から運ぶ鉱石と作業者の人命を守るために造られました。
 

 坑道は立ち入り禁止、柵にかぎが掛かっていました。私達はこの杉野川沿いの道を歩いて奥土倉鉱山へ向かいます。天気はいいが、日陰に入ると寒い・・・
 

11:20 川が二股に分れている場所に着く。ここから右へ、奥土倉鉱山をめざして入って行く。
 

 分岐から約15分ほどで奥土倉鉱山の二代目選鉱場(1934年)に着きました。


 

樹木に覆われた二代目選鉱場を見学



主催者のスタッフさんに撮っていただいた集合写真です。


 

ここは坑道跡と説明されたが荒れていてよく分からない。
 

やがて初代の選鉱場跡前の大きな堰堤に着く。
 

いったん川に下りて渡渉、堰堤の左側を登る。
 

12:00 予定通り、初代の選鉱場跡に着きました。
 ここで金居原自治会の山崎さんの説明を聞き、昼食タイムとなる。




 これはお弁当をいただいた初代選鉱場跡から、今超えてきた堰堤方面を描きました。


後は、来た道を戻るだけです。
私は三代目の選鉱場跡遺構を描くため、スタッフの方の了承を得て1人速足で戻りました。



土倉鉱山の三代目選鉱場の遺構

さすがに着色する時間がなく鉛筆描きとなりました。
この絵は帰宅してから加筆をしたものです。


出口土倉へ戻って、グループ単位でミーティングをしてからマイクロバスで木ノ本駅へ戻りました。
 木ノ本駅へは予定通り15:00到着、土倉鉱山と金居原森林散策ツアーは無事終了となりました。

主催者とスタッフの皆さま、大変お世話になりました。素敵な歴史散歩ができ感謝です。