薬師寺で写経
2014・11・20
 この日は会社のOB会イベント「薬師寺見学と写経」に参加です。集合は西ノ京駅に午後一時半、いつものように早めに出かけ近辺を散策する予定で出かけました。西ノ京駅の二駅手前の大和西大寺駅で下車して。史跡などを訪ねながら歩くことにしました。まずは近くの西大寺(南都七大寺の一つ)訪問からはじめよう。その後、菅原天満宮、喜光寺、垂仁天皇陵、唐招提寺を経由して集合場所の西ノ京駅へ行くコースです。





10:09 駅から近い西大寺東門から入る。
もうすでに団体の訪問者が・・・



境内に入るとすぐにこの四王堂がある。
 創建期の由緒を伝える唯一の堂。本尊は、正応2年(1289)亀山上皇の院宣によって京都から移安された、仏師円信の作になる本格的な藤原彫刻の十一面観音立像。しかし建物は再三焼失し、現堂は延宝2年(1674)の再建。東西九間、南北七間の簡素な重層建築。現在、毎年三月に初午厄除祈願会が開催される。(西大寺のHPより)
 765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである。南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。平安時代に火災などによって一時衰退したが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。
 伽藍地だけでも奈良創建頃の約半分くらいに狭まっていたものと思われる。いま見る西大寺は、その堂舎の配置はもちろんのこと、それ等に安置されている仏像などもほとんどみな叡尊上人の鎌倉再興の頃のものばかりである。 (西大寺のHPより抜粋)
 

東門からまっすぐに進むと塔跡がある。
その後ろが愛染堂、右側に金堂があります。
 

南大門からの塔跡の石垣、その後ろが本堂です。

 

本堂



 西大寺では四王堂の十一面観音像を拝観しただけで、あとは境内を歩いて南大門から出る。門を出て右(西)へ、とりあえず歩いたことのない道を行こう。突当りに石の鳥居が見えてきた。そこは八幡神社でした。はじめてなのでちょっと寄り道しようと木々に囲まれた薄暗い参道を入って行く。
 

参道の中間にまた鳥居がある。
奥に本堂が見えている。なかなか奥深い。

 

本堂のある境内広場
誰もいない静かな空間、紅葉もきれい。
さっそくスケッチをする。
 

八幡神社の本堂
(奈良市西大寺芝町)

 この神社は西大寺の鎮守で明治維新の神仏分離によって独立したという。叡尊入寺後の弘安八年(1285)にご神体を安置、本殿は室町時代の建物で、国指定重要文化財だそうです。西大寺の行事として知られる「大茶盛」は延応元年(1239)の正月修正会後に鎮守の八幡社で叡尊が献茶を参詣人にも振舞ったことに始まるといわれる。



ゆっくりスケッチをしたので少し時間を使ってしまいました。先を急ごう・・・
次は菅原天満宮、ここは何度も訪れているので道に迷うことはない。
 


11:20 菅原天満宮に着く。
菅原道真の生誕地である菅原の里にあります。
 


ちょうど七五三の季節
何組みかの家族連れがお参りに来ていました。


 次は天満宮のすぐ近くにある喜光寺(きこうじ)です。
 アクセスは近鉄橿原線「尼ヶ辻」駅から徒歩約12分 です。



大通り(阪奈道路)に架かる歩道橋上よりの喜光寺全景です。
このお寺は行基が創建したという法相宗別格本山です。
 喜光寺は阪奈道路の脇にあり、車で大阪方面から奈良市街へ向かうとき、左手に喜光寺が眺められます。門が真新しので目を引きます。
 


「試みの堂」と呼ばれる本堂
 喜光寺のこの本堂は、行基が東大寺を造営するにあたり参考にしたとの伝承があります。そのため、この本堂は、大仏殿の「試みの堂」として知られています。 寺伝によれば、養老5年(721)、行基(668-749)が元明天皇の勅願で創建したと伝えられ、菅原道真の生誕地である菅原の里にあることから"菅原寺"とも呼ばれたという。 私は奈良生まれ、奈良育ちでここはよく知っていたが、長い間菅原神社と思い込んでいました。



次は阪奈道路を横断してさらに南へ。約7分ほどの歩きで大きな垂仁天皇陵に着きました。
この大きな 垂仁天皇陵(宝来山古墳)は 前方後円墳です。垂仁天皇(すいにんてんのう)は第11代天皇です。
この御陵も詳しいことは知らないが、子供のころからよく知っている場所でした。
11:45
 

垂仁天皇陵の池畔(濠)にそって歩く。
 

御陵正面の鳥居が見えてくる。



水面に映る御陵の木々が美しい。
 



こちらは御陵の水面に映る若草山と世界遺産の春日山です。
 
 

古墳かな?
 御陵に隣接するように古墳のような盛り上がったところが見える。何かなあと行ってみると白杭に垂仁天皇陵の飛び地と書いてありました。
 

垂仁天皇陵の遠景
 この位置から南側を見ると薬師寺の巨大な東塔改修工事の仮覆い建物見えている。





12:05 唐招提寺に着く。 
 


見学はせずに門から撮影だけをさせてもらいました。
紅葉もあって素敵な雰囲気でした。


 ゆっくり散策してきたが集合場所の近鉄「西ノ京駅には1時間も早く着いてしまった。それでも幹事さん達はもう来ている。ありがとう。集合時間まで、薬師寺近くのカフェ・レストランでOB仲間数人と食事をしながら時間つぶしをする。

 午後はいよいよイベントの始まりです。まずはまほろば会館でお坊さんからの講話から始まる。「ここは平城京・南都、奈良は仏教の原点(南都七大寺)、お寺は大学だった・・・・、仏教の開祖、お釈迦様の話から仏像の種別、「如来・菩薩・明王・天」・・・それから写経の話へ。まほろば会館の大広間に響く声でジョークを交えて話が弾む・・・。約30分ほどの講話が終わって、そのあとは「唐招提寺拝観組」と「写経組」の二組に分かれて行動する。私は写経組を選択、「お写経道場」へ案内される。


初挑戦した写文です。
筆などめったに持たないので、この一文を写経するのに
悪戦苦闘でした。でも、よい経験をさせてもらえました。
静寂の中、黙々と筆を進める。



 写経について
(薬師寺公式HPからの転載です)

 薬師寺では白鳳伽藍を復興させ、そのたたずまいを子孫へ残すためにお写経勧進を行っております。

 お経を見る事には非常に大きな功徳があり、また、声に出して読むと更に大きな功徳があり、更には書き写す事で非常に大きな功徳があるといいます。お経を一文字一文字心をこめて書き写すのは仏像一体一体を刻む事と同じ事なのです。どんな人々にも本来清浄な心があり、自らの手でお経を書写することにより発菩提心を発見することがお写経の最大の功徳であります。

 現在、皆様にお納め頂きましたお写経納経供養料によって、金堂、西塔、中門、回廊の一部や僧坊が既に復興し、玄奘三蔵院伽藍が建立されました。また平成15年(2003)には大講堂も落慶致しました。しかし、薬師寺ではまだまだ復興が続きます。お写経をとおして、書写された方に心の安らぎを頂戴していただき、更に皆様の御結縁を頂きますよう宜しくお願いを申し上げます。

薬師寺

「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山で天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718) 現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。(薬師寺のHPより)

  

写経の後、唐招提寺組と合流して玄奘三蔵院から薬師寺を案内してもらう。
 


玄奘三蔵院の伽藍
この玄奘塔の中には玄奘三蔵座像(大川逞一仏師作)が祀ってある。
玄奘塔からお坊さんの案内で次に「大唐西域壁画殿」へ。
平山郁夫画伯の描かれたシルクロード、長安からインドへの大壁画を見る。
「不東」の精神で・・・・


 

金堂と西塔(三重塔)
 いよいよ薬師寺の中心、有名な「薬師三尊」が祀られている金堂に案内される。金堂の本尊「薬師如来像」は持統天皇の病気平癒の願いを込め天武天皇が発願された・・・説明を聞いた後、僧侶にリードされて拝む。つぎは大講堂です。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだとか・・・説明を受けてたこのお堂でも僧侶の言う作法通りに拝む。最後は国宝の東院堂です。このお堂は養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立されました。白鳳仏を代表する国宝 「聖観世音菩薩」と鎌倉時代の四天王像を拝観しました。
 

中門から金堂を写す。
夕やみが迫る午後5時過ぎにバスで食事会のレストランへ向かう。 
午後10時まえに無事帰宅することができました。



 今日もいつものように一日を目いっぱい行動しました。一石二鳥と欲張った予定で出かけましたが、今日は好きなハイキングができて、スケッチも一枚描けたし、初体験の写経もできて満足の一日となりました。