欲張りな一日
2009・2・19

 今日は大阪の吹田市役所の傍の吹田市文化会館(メイシアター)へ”絵になる吹田・なつかしい原風景「岩田重義さんのスケッチ画〜吹田百景展」”と奈良地区のOB飲み会と一石二鳥ではないが欲張って出かけました。




まず一つ目の訪問先吹田市文化会館(メイシアター)へ

 

吹田市文化会館(メイシアター)

 岩田先生の個展会場メイシアターは阪急千里線の吹田駅なら下車してすぐとある。しかし守山からは大阪で阪急に乗り換えて戻ってくるという遠回りになる。地図で見るとJR吹田駅から歩いて15〜20分ほどで行けそうなので、運賃時間を倹約して吹田駅から行くことにしました。
 会場には岩田先生がおられて、作品のスケッチ場所などの説明しながら親切に案内していただきました。吹田市にこんなに懐かしい風景が沢山残っているのに驚きました。帰り道、吹田市の地図をもらってスケッチポイントの一つ、内本町を散策して吹田駅に戻りました。





・・・・・・ 次は京都駅まで戻って近鉄電車で西大寺に向かう。




 OB飲み会は飲み会は夕方5時から、今から行くと約3時間ほど余裕時間がる。何処かを散策したいなあと思案しているうちに西大寺駅が近くなる。城下町の大和郡山は西大寺から近い。城跡は何度か訪れているが、城下町はまだ歩いたことがない。これに決めたと西大寺駅で橿原行きの普通電車に乗り換える。郡山駅が近づくと車窓右に郡山城跡の石垣と堀が見えてくる。
近鉄大和郡山駅でもらった「城下町ウオーク・マップ」をもとに古い町屋を訪ねて散策する。郡山は金魚の養殖でも有名ですが時間があまりないので郡山城跡と城下町の町屋を訪ねて歩きました。




大和郡山城の追手門(梅林門)

 織田信長の下で事実上大和国の主となった筒井順慶が、天正8(1580)年に城郭の建築を開始した。天正11(1583)年4月、天守閣完成する。(『多聞院日記』) その後、豊臣秀吉の弟秀長の居城となり、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた城である。
 現在城跡には遺構の他に、柳沢家初代郡山藩主吉里の父吉保を祀る柳沢神社(本丸)、柳沢家時代の史料を保管する柳沢文庫(毘沙門曲輪)、市民会館(常盤曲輪)等がある。さらに郡山高校(二の丸屋形跡)がある。




天守台(石垣のみ)の前にある柳澤神社





天守台の石垣の上から奈良市の展望。芝生の山の若草山は一目でわかります。中央の建物は市民会館です。






元旅館だったいう花内屋





元造り酒屋という中村邸




−−−−− 面影を残す町名 −−−−−

本町・新中町・魚町・塩町・雑穀町・茶町・綿町・藺町・豆腐町・紺屋町・車町・材木町・鍛冶町・大工町・洞泉寺町・奈良町・柳(1丁〜6丁)・堺町・今井町

−−−− 箱本十三町(はこもと) −−−−−

豊臣秀長は商工業種別を基本とした箱本十三町を造った。その運営は十三町の当番制の自治で、当番の町は、特許状の入った朱印箱を置き、「箱本」と染め抜いた小旗を立て、一ヶ月全町の治安・消火・伝馬の世話をした。
◆治安・・・柳町・高田町・鍛冶町の大門の勤番。
◆消火・・・柳町・堺町の火の見櫓での火の見の勤め。
◆伝馬・・・藩の公用に供する伝馬駅役の勤め

(城下町マップより)





和田徳(元呉服屋)



町屋(マップには紹介されていない)


 町屋を描くはずだったが、気に入った構図が見つからずに二時間ほど歩いただけに終わってしまいました。写真ならシャッター押すだけで簡単に撮れるが、町屋のスケッチには時間もかかるし、複雑で難しい。次回はゆっくり時間をとって来てみたいです。