日曜写生会で八坂の塔へ
(京都市東山区)
2014・12・14(日)

 今年最後の第二日曜写生会12月例会は京都の八坂の塔でした。10,11月の例会は雨のため中止、久々の例会となりました。集合は午前九時、八坂の塔前だ。ちょっと出遅れたが、地下鉄東西線の東山駅から歩くしかない。




祇園さんで知られる八坂神社
東大路通を歩いて八坂神社に着く。



八坂赤神社の境内をちょっと覗くと・・・
 寒い朝、まだ午前9時前というのにもう観光客が、露店ももう営業していました。

 

 東大路通から左折して八坂通りに入る。正面に八坂の塔(五重塔)が見えている。集合時間に少し遅れてしまった。通りに入るとメンバーはすでにスケッチを始めていました。この通りは人気のスポット、人通りの少ないうちにしか腰を下ろせないからと底冷えする狭い道で頑張っている。ここはあまりにも定番のスケッチポイント、何度か描いているのでパスする。
 
 

 八坂の塔を通り過ぎてさらに坂道を登って行く。写真は上から見た八坂の塔です。何人かの写生会メンバーがスケッチしていたが、ここも何度か描いているのでパス。 
やがて三年坂に着く。二年坂から三年坂の通りは京都らしい土産物店、食事処 が軒を連ねています。
一人歩きの私には興味がないので通りすぎるだけの道です(^^;)。
 


三年坂
 


上から見た三年坂
  三年坂から清水道へ合流する。石畳に素足に草鞋の托鉢僧が・・・さむ~い
   
 清水道はもう観光客が大勢押し寄せている。聞こえてくる話声は中国語がやたら多い。円安の影響か?
 

清水坂の突当り、高台にある清水寺の仁王門に着く。
仁王門の後ろ右は西門、その後ろは工事中(テントのをかぶっている)三重塔です。

             ・・・ 清水寺 ・・・
 北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。(京都観光NaviのHPより)

 

仁王門の上からの眺め
 

年末恒例の”今年の漢字”は「税」
(2014年12月12日発表)
「今年の漢字」20周年記念で経堂に歴代”20の文字”が展示されていました。初めて”今年の漢字”の実物にお目にかかれました(^^)。
 ちなみに、1995年の1番目の文字は阪神淡路大震災、オウム真理教事件、金融機関崩壊などにふるえた年「震」からはじまりました。食・倒・毒・未・金・戦・帰・虎・災・愛・命・偽・変・新・暑・絆・金・輸、そして今年の「税」となりました。

  

清水寺の本堂

 江戸時代初期建築の国宝建造物で、舞台は約12メートルの長い樹齢500年以上の欅の大木の束柱を貫で組み合わせて支えられ、断崖上に架かっている。本尊は国宝の十一面千手千眼観音立像です。
 


京都タワーが望める
寒いが天気がよくて素晴らしい展望でした。


   
 迫力ある 清水寺の舞台を下から見上げる。
 

音羽の滝
 清水寺の寺名の由来となったのがこの音羽の滝です。音羽の滝は地下伏流水が東山に連なる音羽山から雨の水が加わって滝となって流れ落ちるのだそうです。
 「黄金水」、「延命水」の御利益を信じて三本の滝の一本だけを選んで一口だけを飲むことをお勧めしますとある。
 

子安の塔
清水寺の本堂から錦雲渓をへだてた丘の上にある。総丹塗り、桧皮葺の三重塔(重文)で江戸時代初めの再建。清水寺の塔頭で泰産寺という寺名をもつ。塔内には千手観音が安置されている。

この後、裏口から抜け出して東山トレイルの道まで行ったが、
今日はまだ一枚もスケッチしていないので山歩きはあきらめて、五条坂へ下る。


 

若宮八幡宮(陶器神社)

 五条通を下っていくとこの「若宮八幡宮」がありました。若宮八幡宮(陶器神社)は清水焼発祥の地にある。平安時代に創建された古社で源氏や足利氏の崇敬を集めて繁栄したという。毎八月の「五条坂陶器まつり」は有名とか・・・・
 
若宮八幡宮から五条通を下り、細い路地があったので右折(北方面)して道なりに歩いて行くと、以前来たことのある六波羅蜜寺に出ました。

六波羅蜜寺

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所です。

 

 国宝本尊の十一面観音像・空也上人像・平清盛像などすぐれた仏像を多数所蔵しています。



 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)

 

平清盛の塚(左)
拝観せずにパス、六波羅蜜寺を過ぎてすぐの松原通に入って八坂方面目指して東へ上がっていく。
すると左手に赤い門が、その前に黒っぽい大きな石に刻まれた「六道の道」が目を引く。
寺の案内板に、地獄の冥官、小野篁の伝説が残る、現世と冥界の境界に建つ寺とある。
「六道の辻」、なんとなく不気味な感じ、気になって寄り道することに・・・
 

六道珍皇寺の赤門と目立つ石碑

 

境内正面奥に六道珍皇寺本堂が・・・
その前に「六道の辻」中心付近に建つ三界萬霊供養塔
六道の辻
愛宕の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや
実(げ)に恐ろしやこの道は 冥土にに通ふなるものを
心ぼそ鳥辺山煙の末も うす霞む・・・
(謡曲「熊野」より)
 

お堂の中には閻魔大王と小野篁像が・・・
 

六道珍皇寺本堂
冥界への入り口伝説
「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するという。 この六道の分岐点で、この世とあの世の境の辻が、古来より六道珍皇寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきたという。 このような伝説が生じたのは、当寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、小野篁が夜毎冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。
(六道珍皇寺のHPより)

昼食をとって 、午後1時前にやっと出発点の八坂の塔に戻って来ました。
もうこの通りは観光客でいっぱい、
遠慮しながら壁にもたれて立ったまま一枚スケッチする。


 
八坂の塔




 スケッチした後、再び高台の方へ上って行く。ふと気づくと急坂の上の方に写生会のメンバーがスケッチしている。どんな構図だろうと気になって上がっていくと、京の町屋、その後ろに八坂の塔が・・・。なかなか良い構図だ。気に入ったので、さっそく私も大きめの用紙を取り出して座り込む。




 だが、冷たい風が吹き上げてきて寒くてゆっくり描けない。荒っぽく描いてお先に失礼する。帰り道、どこへ出るのかわからないまま、この先の急な石段を登って行く。高い所へいく性分がまたまた顔を出す。
 

この石段の下でスケッチしていました。
 

西法寺
石段の突当りにあったお寺、門は閉まっている。
戻って、広い道を右手へ、
 

京都霊山護国神社
 霊山歴史館、坂本龍馬の墓がある京都霊山護国神社を過ぎて下っていく。
 

高台寺の高台から見える八坂の塔


 

二年坂(高台寺の高台からこの写真を撮る)
 あとは高台寺傍を通って、丸山公園、知恩院前から青蓮寺門跡を通過して午後4時過ぎに地下鉄東西線の東山駅に帰り着きました。 この日の顛末も、いつものごとくスケッチのみに集中できませんでした。スケッチポイント探しというより京都八坂近辺の観光歩きとなってしまいました。それでもなんとか上に貼り付けた八坂の塔のある風景を二枚描けたので写生会参加の名目は立ちました(^^;)。