戦国の攻防の跡、横山城跡を歩く

2005・3・30



 この横山は昨年末、伊吹から横山丘陵の観音坂トンネル越えで長浜へと[絵馬探検」で通っていました。今年になって埋蔵文化センターの「平成16年度発掘調査発表会」を傍聴して横山城跡へ行ってみたいと思っていました。
 今日の湖南地方はいい天気、横山城跡を歩こうと長浜行きの新快速に乗る。湖北に向かうときいつも気になるお天気の違い、あんのじょう彦根あたりに近づくと曇ってきた。長浜に着くと霧雨が振ったりやんだり、とにかく駅の案内所で横山城跡について資料をいただく。この資料は「横山城及び関連砦、横山古墳群関係現地説明会」のタイトルのついた長浜市教育委員会の現地説明会用(平成17年12月13日)のものでした。
 しかし、ハイキングコースなどの資料はありませんでした。とにかく発掘現地説明会のあった長浜市東上坂町・垣籠町へ行くためバス停へ行ったが、バスはちょうど出発したところで次は2時間後、約6kmくらいなので歩くことにする。途中市役所の観光課にも寄ったがハイクコースなどの資料はなかった。正面に見える伊吹山に向かって東進、国道8号線、北陸自動車道を越えて石田町に着く。この石田町は石田三成公の出生地だったことをはじめて知ました。

  


石田町から見える横山丘陵と後方の伊吹山




石田治部少輔出生地の石碑
石田町自治会館にある三成屋敷跡。



石田会館に各史跡までの距離が書いてありました。賤ヶ岳古戦場 25km、小谷城跡 12km、姉川決戦場 3km、関ヶ原古戦場 17km、観音寺 3km、長浜城 6km。
・・・横山城跡は比高312m。




八幡神社の後ろにある石田神社の石碑
この石碑に隣接して供養塔がある。
昭和十六年に八幡神社の地中より故意に破壊された多数の五輪塔の残欠が発掘された。





三成に思いを馳せながら石田の里を過ぎ、山東町への車道を登っていくと白玉稲荷神社参道&大山寺跡石仏・石塔供養地の道標がある。お寺(?)と小屋の間に細い道がある。地図で見ると横山城跡はこの奥の上方向にあることになる。とにかく登山口がわからないので、この道に入っていくことにした。



大山寺跡
この付近は、大門・別当・堂の奥・十僧などという寺院に関係すると思われる地名が多く残っている。一説には、大原観音寺(山東町朝日)と同名の観音寺という寺があったとも言われているが、中世の文書に登場する大山寺の跡地の可能性が一番高い。当地の石塔は、付近に散在していたものを平成4年に一ヶ所にまとめたも。



大山寺跡を過ぎるとすぐに小さな社がある。これが白玉稲荷神社なんだろう。うっそうとした樹林地で少し気味が悪い。そこから先は杣道が続いている。
 やがて道跡もなくなり急な登りになるが、標高300mなので一気に草木につかまり急登する。






一汗かいたころはっきりした尾根道に飛び出した。道標には横山ピクニック道と書いてある。ここが横山城跡の掘り切りの一つだった。
(大山寺跡から35分)


樹林越しにに見る石田町近辺か・・・




今日歩いたコースです。
尾根のハイキングコースに出るまでは樹林帯の急な登りで道はありません。

尾根道はハイキングコースになっていて迷うことなく横山城跡にいけます。



飛び出した尾根道にある分岐道標
私の後方へ行くと観音寺へ下れます。
頂上にある横山城跡へは左手の急坂を登ります。



ちょっと登ると、この鐘つき堂と石碑のある小さな広場にでる。ここはピークになっている。周囲は木が茂っていて木々の間から伊吹山が見えるが写真にはならなかった。


いったん下っていく。虎口・竪堀・曲輪などの標識がつづき、再び登り返すと横山城跡のあるピークにつきます。



横山城跡の三角点横からの伊吹山の眺め。
この山頂は四方展望抜群でした。
瓢箪型のテーブルのようなものは頂上からの山々や町の方角を示す案内板です。




 横山城は、長浜市と山東町の境界をなす横山丘陵(臥竜山)の最高所(312m)を中心に三方の尾根にY字状に遺構が配置されている。その主な施設は、40ヶ所以上の曲輪(くるわ)からなり、いたるところに土塁・堀切・竪堀などの防御施設が設けられており、その機能は堅固で典型的な戦闘用の山城であった。
 
 当初、京極氏の支城として築かれたといわれ、その後六角氏と浅井氏との対立激化にともないそれぞれの前進基地として争奪が行われ、浅井氏の勢力が拡大したことにより浅井氏の南進基地として役割を果たした。この城が歴史の表舞台に登場するのは、元亀元年(1570)の姉川合戦(別名野村合戦)とそれ以降の織田氏・浅井氏の攻防においてである。

 ここ江北(湖北地方)は、古くから北国や東国から京都に通じる交通の要衝の地である。姉川の合戦により浅井氏から奪った秀吉は浅井氏滅亡の天正元年(1573)までの約3年間守り通した。信長も小谷城攻めに際して何度も本拠地として利用するなど重要な役割を果たし、長浜城に劣らめ重要な歴史的価値を持っている。




頂上からの琵琶湖方面の眺めです。




横山頂上から尾根道を下る。見えている送電線の鉄塔から左へ下る。
湖北の山々はまだまだ雪国です。


送電線に沿って下ると池の手前で林道に出会う




長浜へ帰途、この道から振り返ると白い伊吹の前に横たわる横山丘陵。写真右の鉄塔の先端あたりが横山城跡になります。