西国三十三所、第二十一番札所・穴太寺
穴太寺から行者山迷い道
Part−1
(あのうじ・ぎょうじゃやま標高431m)
京都・亀岡市
(2012・1・18)
 三井寺で御朱印帳購入してもう10年にもなります。この日は思い立って残り4ケ寺の一つ、京都亀岡市の穴太寺へ出かけました。いつものようにスケッチ道具一式を持参していましたが、結局一枚も描かずに近くの低山(行者山)を歩いてしまいました。この行者山はだいぶ以前にJR千代川駅から歩いていたのでイージートライしたのが間違いでした。下山途中で道に迷って悪戦苦闘、見通しの聞かない里山で冷や汗をかきました。




 正面の突き当りが穴太寺が見えてくる。巨木(名前わすれました)と民家、絵になるなあと思いつつ通り過ぎてしまう。
10:24 JR亀岡駅に着く。出かける前に穴太寺へのバス時刻(11:00発)を調べていた。時間があるので亀岡の地図をもらおうと駅中の観光案内所へ入る。案内の女性から穴太口から10分ほど歩くなら「京都学園大学」行きバスがすぐあるという。階段を駆け下りてバスに飛び乗る。しかし、このバスは大学行きの直行便でした。そういえば大学生らしき乗客しかいない。
 まさか同じ乗り場から1分違いで各駅停車のバスがあるなんて・・・運転手さんにクレームをつけると、こんなの特例ですよと念を押してから「穴太口」で停車してくれました。おまけに親切に穴太寺への道も教えてくれました。(感謝)


穴太寺の正門
ここにも先ほど見たのと良く似た巨木が・・・
だが良く見ると感じが違うなあ


正門に貼り付けられた札がいっぱいある。
ご朱印もらうときに聞いたのに・・・
この札の名前忘れてしまいました。
穴太寺(あのうじ)
西国三十三所、第二十一番札所です。 奈良時代末期、慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立された、と伝えられる丹波でも屈指の古刹です。



正門からの境内を見る。
正面には本堂、左側(写っていないが)多宝塔
がありました。


本堂でお参りする。


穴太寺のご朱印

西国三十三箇所めぐりの参考知識
(ネットで調べた知識の抜粋です)

 西国三十三箇所は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33箇所の観音霊場の総称。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。
 「三十三」とは、「観世音菩薩普門品」(『法華経』)に説かれる、観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。(ウイキペディア、フリー百科事典より)
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 ・訪れたすべての寺で「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」と唱えなさいと・・・

 札所で熱心に経を唱えている参拝者を見かけるが、気にしていなかったのでこのように念仏しているかはわかりません。 私の持っている「西国三十三観音霊場納経帖」には下記のものが載っていました。

   ・十句観音経
   ・摩訶般若波羅蜜多心経


 また、西国三十三所の札所本尊はすべて観音菩薩であるが、札所の本尊と寺院全体の本尊とは異なる場合もあります。この21番穴太寺では札所本尊は聖観音であるが、寺本尊は薬師如来だそうです。


穴太寺の納経所で、この近辺の情報を仕入れる。近くに金剛寺(応挙寺)がある。
さらに湯の花温泉に行く方向に造り酒屋(酒蔵見学OK)もあると…
まずは金剛寺とその周辺を散策しに行くことにしました。
スケッチしたいような立派な民家があちこちにありましたが、酒蔵が気になりパスしてしまいました。



金剛寺(応挙寺)の楼門

 穴太に来てから気がついたが、風景スケッチが好きな私にとってはとても縁のある所でした。それは写生画を取り入れた江戸時代を代表する画家圓山応挙の生誕(1733年(享保18))地でした。応挙は9歳のときこの金剛寺に入門しています。
 生家やいわれのある史跡は残っていないようですが、応挙と所縁が深いことから「応挙寺」とも呼ばれています。

 金剛寺の楼門は約250年前のもの。楼門の扁額「金剛窟」は朝鮮通信使のメンバー朴徳源(パクトクウォン)の書とか。





行者山遠望
亀山運動公園を過ぎて、国道327号を歩いて登山口へ向う途中で写しました。



このままつづけると長くなりそうなので、この後の行程は別ページにしてリンクしました。
・ 「穴太寺から行者山まよい道」 Part−2はここをクリックしてください。