壁画一般公開で明日香へ
2006・5・12(金)



 今日から明日香で古墳の壁画が一般公開されるとニュースで知り、急遽飛びだしました(^.^)。乗り換えの橿原神宮駅ホームでは吉野行き電車待ちの小学生団体で一杯いでした。この集団も明日香駅で下車。先生に先導されて高松塚古墳へ直行するようだ。詳しい情報チェックしていなかったので、今日の壁画公開はこの高松塚壁画館だと思い込んで着いていきました。
 


何度も来ている明日香村ですが、裏から高松塚へ向かうこの道ははじめて通りました。先導の先生に感謝です。
前方中央のものは高松塚ではありませんが、こんもりしているとみんな古墳に見えてくる(^.^)。



高松塚は壁画の保存管理で主要部分が無粋な建物で覆われている。

どの散策路にも小学生の団体がいる。





建物の中をのぞくと、温度・湿度管理用のパイプが走り、とカバーで覆われている。

 

きれいな色彩の対比に思わずシャッターを切る
近くの散策路で・・・


 高松塚壁画館には極彩色の貴婦人で有名な壁画の模写が展示してあるが、ここも見学したことはない。大渋滞している行列に並んで待つ。隣にいた男性に公開壁画の話をすると、それはここと違うという。その公開は奈良文化財研究所飛鳥資料館の春期特別展「キトラ古墳と発掘された壁画たち」で古墳違いでした(^_^;)。まあ、せっかく高松塚に来たのだから、ここから見える明日香の里山風景をスケッチしてから散策しながら最後に資料館へ行くのが効率的だ。

スケッチはここをクリックしてください。
1、明日香村の里山風景
2、高松塚から中尾山古墳へむかう散策路





高松塚古墳に対面する中尾山古墳






高松塚から石舞台へ向かう途中にある天武・持統天皇陵。ここを過ぎるときき酒できますとカンバンのある地酒屋さんがあるが、今日はとても暑いのでパスしました(^_^;)。



亀石のそばを通って石舞台へ向かうと川原寺跡がある。




川原寺跡と道を挟んで橘寺があります。
橘寺は聖徳太子誕生の地とも、太子創建七寺とも伝えられている。



入場せず裏道の低い塀から本堂を写しました(^_^;)



この散策路もはじめて・・・
いつも下調べなしの行き当たりばったりです。



石舞台の広場
中央木に挟まれて小さく見えているのが2300トンもの巨石の石舞台古墳ですが、今日は小学生の団体にかこまれて小さくなっていました。



昼食には黒米のカレーをいただきました。
古代米のカレーは普通の味、生ビールはおいしかったです(^_-)-☆




 昼食後、飛鳥川に沿って稲渕地区へ向かう。棚田の風景を描こうと出かけたが戻るのが辛いので手前で断念してしまう。棚田は下側からでは感じが出ないです(^_^;)。



畦で鮮やかな色のアザミを見つける。
戻り道を展望台のある岩井戸地区の高台に登る。




急階段を登ると稜線にでます。そこを右へ東展望台経由で再び石舞台へ戻る。




展望台といっても樹林の隙間からわずかにあるだけです。大和三山の耳成山(左)と天の香具山(右)が望めました。



古い家並みのある道を通って今日のメインイベント、奈良文化財研究所飛鳥資料館へ向かう。





途中ちょっと飛鳥寺へ立ち寄りました。ここも小学生の遠足の団体で占領されている。飛鳥大仏は前に来たとき拝観しているので境内を通り抜けて蘇我入鹿の首塚へでて資料館へ



飛鳥寺の本堂。この中に飛鳥大仏が祭られています。





飛鳥寺の裏、甘樫の丘を見上げる位置に蘇我入鹿の首塚があります。権力者にしてはとても小さな石塔です。




資料館入り口にあるカンバン



資料館とその庭



              キトラ古墳壁画「白虎」の一般公開

 混雑を予想して午後に時間をずらせたことが正解でした。到着した午後2時過ぎには行列もなくスムーズに入館できました。資料館前ではA新聞社の号外が配られていました。記事には「今日の一般公開初日は午前9時の開館から正午までに約1200人の考古学ファンらが訪れた。」とありました。

 壁画「白虎」はガラス容器に入れられ厳重に警備されていましたが、間近でゆっくりと見ることができました。ニュースで見ていましたが、オリジナルの壁画に出会えて感激しました。想像していたより小さなものでした。写真撮影できないのでチケットの写真を載せさせてもらいました。



飛鳥資料館の入館チケットより転載させていただきました。

飛鳥資料館 Tel 0744−54−3561



資料館の庭には猿石や亀石といった明日香の石像のレプリカが展示してある。



他の明日香村訪問記は
明日香村は歴史のかおり
2002・4・4(木)をご覧ください。