明日香村スケッチ散策

(2012・3・29)
 今日は素晴らしい天気、スケッチを兼ねて絵友達のグループ展を見に明日香へ。約束の時間がないので橿原駅で下車して、ここから散策しながらスケッチしようと明日香村へ向かって歩きだす。橿原からは何度も歩いている。いつもの甘樫丘への道をさけ、適当に方向を決めて初めての道を歩いてみる。住宅街を行くと、やがて見覚えのある池が見えてきた。近づくとそこは孝元天皇陵のある石川池でした。さらに住宅街を行くと突然こんもりとした森に出合う。案内地図を見ると「スサノオノミコト神社」とある。すぐ傍には植山古墳もある。この案内地図でどのあたりまで来ているかがわかる。



 とりあえず鳥居をくぐって登っていく。小高い森の上には小さな社があっただけで、案内板もないから神社の詳細は分かりませんでした。


これは神社にあった二額の絵馬のうちの一つです。いつごろ奉納されたのだろう?



 元に戻って次はここからすぐの植山古墳へ行ってみよう。以前来たときは古墳公園にする工事中だったが・・・・



植山古墳
来て見ると、まだ工事中でした。



一番上まで登らせてもらう。



大和三山の畝傍山
歩いてきた橿原神宮駅方面の眺め




丸山古墳
植山古墳は上からの眺めはよい。岡寺駅前の丸山古墳が展望できる。
ここでスケッチさせてもらう。後方には葛城山が望めます。


スケッチを終えて、さて次は何処へ行こうかと歩き出したら絵友達から電話が・・・
いま画廊に来ているとの連絡で、急遽方向転換して近鉄飛鳥駅の傍の画廊飛鳥を目指す。
久々にオーナー龍ちゃん、営業部長のUさんと再会する。「花と風景スケッチ」グループ展にはUさんも参加している。皆さんの頑張って描いた作品を見せてもらっていると、そこへこのグループ展の真屋好孝先生が見えられました。しばしスケッチ談笑する。さて、午後はどうしようかと思っていたら龍ちゃんから橘寺で「平成円空彫りと南画展」をしていると教えられ、見に行くことに・・・。


橘寺本堂




岐阜県郡上市の小学生作品の円空彫り
橘寺の往生院で開催されている「平成円空彫りと南画展」を見せてもらう。
円空上人と円空仏

 今から380年ほど前、江戸初期に現在の岐阜県(美濃国)に生まれ、32歳のとき岐阜県旧郡上郡美並村で、初めて天照皇大神像を造顕、その後中部地方をはじめ、東北地方から北海道、関東地方、近畿地方等に足跡が残っている。円空仏のその作風は荒々しくて力強く、鎌倉時代の仏像とは異なり素朴さを感じます。また、時には慈愛、優しさに満ちた顔の表情等で人の心を和ましてくれます。抽象的で美術的にも評価が高く、海外でも人気があり現在岐阜県内の小学校の授業にも取り入れられています。64歳で入定され、生涯十二万体にも及ぶ像を造像したといわれており、いまでも約5千数体が国内に残されています。東日本災害での犠牲者の冥福、復興を祈って造像、作品展を開催されていました。
・・・・天空会の案内チラシより概略を抜粋しました。
橘 寺

 聖徳太子生誕(572年)の地として有名、当時ここには「橘の宮」という欽明天皇の別宮があった。606年に天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間にわたりご講讃になった。その時、大きな蓮の花が庭に1mも積り(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるよう太子に命じられた。そこで御殿を改造して造られたのが橘樹寺(たちばなのきでら)で、聖徳太子建立七ヶ大寺の一つに数えられてた・・・・中略。
現在は天台宗になり、比叡山延暦寺の直末で仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺とも言われています。(橘寺のチラシから抜粋)。
咲きだしていた桜



橘寺境内
 展覧会を見終えて境内を散策していたら、本堂横には桜が開花していました。歩くと汗ばむほど、明るい日差しに春を感じる。このお寺は少し高台になっているので見通しがよい。正面には河原寺、右側の山手には岡寺の三重塔が見える。先ほどのグループ展で真屋先生の描いた塔の作品を見ていたので、急に描きたくなってUさんに岡寺まで車で送ってもらう。



西国三十三札所の岡寺
今日は拝観せず、三重塔の見える場所を探す。 岡寺は下記のページをクリックしてご覧ください。
明日香村は歴史のかおり(2002.4.4)


三重塔
参道を少し下ったところから写す。
ちょっと描きづらいなあ・・




岡寺参道から三重塔をスケッチしました。






急坂の参道にある趣のある茶店です。


スケッチした場所から下の景色です。
スケッチした後、気持がよい日なので橿原神宮駅まで歩くことに
飛鳥寺、甘樫丘、と散策しながらもう一枚くらい描きたいと思いつつ、
でも気に入った構図が見つからずそのまま橿原神宮駅まで歩いてしまいました。