久しぶりの法隆寺

2007・3・15



青春18キップを有効利用して、玉造駅から環状線で天王寺へ。そこから加茂行きの大和路快速に乗って法隆寺駅に着きました。以前来た2002年約3年前と大違いの駅舎にびっくりしました。

 その時の様子は法隆寺から大和郡山まで矢田丘陵を歩いてきましたを見てね。

法隆寺駅に着いたのは16:20 いそがないと日が暮れてしまう。

ひなびた駅舎の法隆寺駅でした(2002年)



 新築なったばかり?の法隆寺駅に面食らいました。法隆寺へのアプローチ全く覚えていなくてうろちょろしました。






 国道25号線を横断すると松並木の参道になる。ここまで来てやっと前回来たときの感じを思い出しました。さすがにここは変更されることはないでしょう。



法隆寺の玄関にあたる総門(南大門)です。
国宝(室町時代)
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。



警備員さんに閉門時間を聴くと午後5時30分との返事、いそいでもう一枚をスケッチする。



山門をくぐると正面に国宝が・・・
中門とその左に五重塔、右に金堂の屋根が見える。





中門の前で右へ、ひろい境内の道をまっすぐ東大門に向かってあるく。




 この東大門をくぐると道はさらに直進して、その正面に夢殿が見える。


 その夢殿には八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置されているが、法隆寺ともども拝観時間が過ぎていて門は閉まっていました。

 5時を回ってますます空は薄暗くなってきた。夢殿前で左折して細い道を法起寺へ。何とか明るいうちに法起寺にたどり着きたものだ。
突き当りのT字路に道標がありました。
法隆寺 0.3km
JR法隆寺駅 1.7km
法輪寺 0.7km
法起寺 1.2km

何とか間に合うだろう・・・





法輪寺が見えてきた。
ここを右に曲がって法起寺へ・・・



途中右手に低い台地がありました・・・


山背大兄王(やましろおおえのおお)の墓所

 地元では岡の原と呼ばれているこの丘陵は、聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所と伝えられて、現在、宮内庁の富郷陵墓(とみさとりょうぼ)参考地となっている。
 
 山背大兄王は、法輪寺、法起寺を建てられたとされ、聖徳太子の後継者として皇位継承をめぐって田村皇子、のちの舒明天皇(じょめいてんのう)と争われた。
 皇極2年(643)11月に斑鳩宮(いかるが)が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、太子一族は滅びました。大化の改新の2年前の出来事でした。
・・・ 案内板より ・・・





とうとう法起寺に着いたが、すでに夕闇せまって薄暗い。デジカメは感度が良いのか何とか映っていましたがスケッチはできない。

とにかく道に迷わないように駆け足で法隆寺駅へ・・・
小雨も降ってきて寒〜い

帰りは奈良駅で都路線の京都行快速に乗り換えて帰宅しました。窓外はもう真っ暗でした。