伊庭の水辺景観を訪ねる
(滋賀県東近江市能登川)
2023年4月20日(木)

 この日は京都のギャラリー2カ所を訪問しようと出掛けたが、守山駅でタイミングよく来た米原行に乗ってしまった。京都は近いので何時でも行ける・・・行先を”敦賀の海”と”岐阜の町”が思い浮かんだが、でも出掛ける時間がちょっと遅いと気づいて、彦根駅で下車して下り線の快速で引き返す。思いついたのが能登川でした。久しぶりに猪子山から五個荘へウオーキング兼てスケッチに行こうと・・・・

  能登川駅で手に取った東近江市近江の国”ここたび”という案内パンフレットに紹介されていた「伊庭の水辺景観」写真に魅かれて、行先を伊庭に決める。



東近江市近江の国”ここたび”のページ
一番上左が、「伊庭の水辺景観」の写真です。
 伊庭といえば 「伊庭の坂下しまつり」で知られている。以前に一度見に行っているが、水路のある集落へは初めての訪問です。

 ・伊庭の坂下し祭り(いばのさかくだしまつり)
(2008/05/04)をご覧ください。




 
 能登川市はけっこう広いので、掲載されていたマップのJR能登川駅から琵琶湖岸までの箇所を切り取りました。
 今日は真夏日、汗をかきながら約一時間の歩きで伊庭集落に着きました。思いつきで来たから伊庭についての情報は持っていない。大濱神社の傍にあった案内板で初めて知る伊庭の状況です。。
 

大濱神社
 

マップをクリックすると拡大します。
  水郷の里 伊庭町伊庭は、湖東平野に残る水郷集落のひとつです。その歴史は古く、“保元元年(1156年)、源為義が崇徳上皇からこの地を賜った”という記録が確認されています。 伊庭川から引かれた水路は町中を縦横に巡り、豊かな水量と清らかな水質が内湖と繋がり、 人々の生活を今も支えており、人々の生活が水とともにあったことも実感できます。 石垣でつくられた水路には鮮やかな錦鯉が泳ぎ、またとない風情を醸し出す風景です。
 日本遺産に認定!平成27年日本遺産「琵琶湖とその水辺景観 -祈りと暮らしの水遺産-」の構成文化財として認定されました。(滋賀・びわ湖観光情報HPより転載)
 

大濱神社の左手には重厚な茅葺建物(仁王堂)がある。
 

大濱神社本殿と拝殿
   
  大瀧神社から少し歩くと水郷に出合う。
 

  先ほどの水郷の橋を渡って約100mほど行くと二本目の水郷に出合う。橋を渡って川に沿って左へ、すぐにこんな景色に出合いました。田舟もあって、ここの水郷の中では一番広い場所で、傍には正厳寺がありました。後はこの水路に沿って内湖に向けて辿って行きました。
 

 上の写真所をお寺側から見ると二か所からここで一つの水路になって下流へ流れていることが、よくわかります。
 
 

 この石垣は「伊庭城址の石垣」と石碑にありました。横の石柱には室町連歌師、伊庭氏出身「宗祇法師出自地」と刻まれていました。
 

 絵になる風景でしたが、スケッチせずに内湖に向かいました。
 

右手は「伊庭湊と金毘羅さん」 ここにも、伊庭集落入口の「大濱神社」にあった”伊庭の水辺景観”の案内板(地図)がありました。
 
 

 金毘羅さんのすぐ先は伊庭内湖だ。ここには大きな石灯籠と、大濱神社、繖峰三神社、望湖神社の「御旅所」と刻まれた石碑がありました。
金毘羅さんの所にあった案内板
  現在、伊庭集落の西に広がる伊庭内湖は、昭和43年に干拓拓される以前は、琵琶湖最大の内湖「大中の湖」の一部で、伊庭集落の西端には湊があった。
 伊庭庄では、湖上交通の安全、漁業の繁栄を祈って、安政四年(1857)、四国の金毘羅宮より分霊を勧請し、伊庭蛇塚の地に小祠を迎えた。鳥居は元治元年(1864)七月に建立された・・・。  このあたりには漁港と魚の販売所があり、伊庭内湖をはじめ、沖島周辺から琵琶湖の魚介類が集められ、セリが行われていた。(概略を抜粋しています)


 

伊庭内湖




朽ちた小舟が絵になりそうなので、休憩兼て描きました。


 
 


こちらは写真から描いた絵です。
現地ではこの柳の巨木に腰掛けて描いています。





帰り道で描いた「伊庭の水辺景観」です。


 いつものことながら、何処へ行くにも急に思いついて訪問なので・・・
この日の「伊庭の水辺景観」散策も、現地で入手したパンフレットを流し読みして、気の向くままの散策でした。