特別史跡 重要文化財の・・・ 2024年4月2日(火)
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14:26 一乗谷駅に着く。ここからは一乗谷駅散策のページとなります。 下の写真は福井駅の観光案内所で入手したパンフレットです。 |
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このパンフレットのマップ(右上の写真)をもとに、一乗谷での見処を案内してくれました。 〇案内してもらった一乗谷での”見処”は右上の写真をクリックして拡大図で見てください。
帰りの電車は17:50 ・・・急ごう。 |
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一乗谷駅から足羽川沿いの県道31に出て右)へ ここの案内板委は「朝倉氏遺跡へは2kmと表示 |
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「一乗谷朝倉氏遺跡」の石柱 家並みを過ぎると県道18に合流する。 |
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下城戸の説明板
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一乗谷朝倉氏遺跡の中心部へ遊歩道を歩いていく。 |
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瓢町地区 (ふくべまちちく)
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さらに遊歩道を進んでいく。 |
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平面復原地区
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平面復原地区 一乗谷朝倉氏遺跡の「復原町並」に到着する。 |
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このマップをクリックすると拡大します。 わたしが散策した場所がよくわかりますよ。 |
こちらは復原町並み(有料エリア)の案内です。 クリックして拡大図をご覧ください。 |
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復原街並みへは北側入り口から入る。 道を挟んで右側は上級屋敷群デリアでした。 |
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中級武家屋敷主殿の内部の模様です。 |
ここは町屋群、手前の建物は染物屋、紺屋野の”のれん” |
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復原街並みを見ながら通り抜け・・・・ | ||||
一乗谷川を渡って 朝倉館跡エリアへ入って行く。 |
一乗谷川の向こうに見える復原街並み |
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朝倉館跡を散策。 | ||||
朝倉館跡 朝倉氏は但馬(たじま)の国朝倉庄(現兵庫県養父市)の豪族で その地を名前の由来としている。南北朝時代に越前守護斯波(しば)氏に従って越前に入国し、地頭として一乗谷近隣を支配の拠点としていた。 戦国大名朝倉氏の初代当主の孝景(たかかげ)は1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに、1471年に幕府から越前守護に関する要望を認められ、以後、氏景、貞景、孝景、、義景と5代にわたって越前を統治した。 北陸の小京都ともよばれるほど隆盛を誇った。しあし、天下統一を目指す織田信長と対立し、1573年に朝倉氏は滅び、城下町も焼き払われました。 |
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朝倉氏館跡 |
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休憩か寝て「朝倉氏館跡」をスケッチしました。 |
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山を背にした朝倉氏館跡を少し登った「諏訪館跡庭園」から所から写しました。 もう午後4時だ。そろそろ引き上げよう。本歩いてきた道を戻る。 |
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17:20 右へ行くと永平寺11kmとある。直進・・・ |
17:40夕闇迫る越前東郷駅に着く。 |
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足が痛い、けっこうよく歩いたなあ。 17:50 時間道理に福井行きの電普通電車と車が来る。 福井駅で敦賀行きの「北陸新幹線」、敦賀で「特急しらさぎ」、 米原から琵琶湖線の普通電車と乗り継いで守山駅に帰り着きました。 なが~い一日を楽しみました。でした。 ・ハプニングの「越前大野城」訪問 へ戻る。 |