鎌掛の低山「城山(鎌掛城跡)」へ
滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)
2022年5月8日(日)

 正法寺の藤見物と、その後裏山の「正法寺山」へ登った後、「正法寺山散策案内図」で気が付いた隣りの低山、城山の鎌掛城跡に魅かれて、登って見よう。

   
 右の低山が「正法寺山」です。左の台形の山が城山です。10年前に正法寺を訪れた時はなかった真新しい「鎌掛城跡散策案内図」が設置してありました。城跡に期待が膨らむ。
 

左の台形の山が城山。右の低山が「正法寺山」です。
 

 城山表登山口、山屋屋敷の道案内に従って、ここから小さな谷川を渡って入って行く。
 

 丸太二本の細い木橋を渡ると、鬱蒼とした台地が広がっている。ここが山屋屋敷跡らしい。 
 
  鎌掛城(かいがけ)は蒲生氏の本城であった「音羽城」の支城として、南北朝期に造られたと伝えられている。この城山(標高373m)の山頂から伸びる尾根(東西約400m、南北約250m)に、約20箇所の曲輪(平坦地)を設けている。山麓には「山屋敷」と呼ばれる、塀と土塁で守られた広大な舘の跡(東西約70m、南北180m)が残り、石組で区画された屋敷跡が見られる。遺構が良好な状態で残っている貴重な遺跡。・・・・真新しい現地の「案内板」より


 

期待をもって鎌掛城跡にトライしたが、急斜面の上、案内板も登山道も明確でなく登りがきつい。


 

登りだしたが、きつい傾斜がまだまだつづく。
 

振り返ると、下るにも怖いくらいの傾斜だ。
 正法寺山を歩いた後なので、その疲れもあり、 わずか十数分登っただけで暑さと急坂にギブアップ、残念だけど今日の蒲生城城跡探索はあきらめよう。九社目にスリップしてしりもちをつきながら下山する。
 

城山を見ながら最初の案内板まで戻る。
 

そこからこの林道歩きで天然記念物「屏風岩」へ
城山「裏登山口」まで行ってみることにしましたが、まずは「天然記念物「鎌掛の屏風岩」に立ち寄ろう。
 

案内板から5~6分ほどで屏風岩分岐に着く。
沢に沿った左の道を行くと「屏風岩」を見るスポットに着く。
 

沢を挟んだ向い側、城山側に見える屏風岩です。

「天然記念物「鎌掛の屏風岩」
  滝谷川右岸に位置する城山の山腹にあるこの屏風岩は、底辺31m、幅7m、厚さ約4mの一大巨岩であり、岩石は粘板岩と珪岩より成っている。この付近一帯は鈴鹿山系の造山活動による褶曲作用を受けているが、この付近のみがその作用をを受けず、幅2~3cmで交互に重なる淡青色とねずみ色の岩層はすべて直線的。以前は現在の3倍の大きさで、六曲屏風を山腹に立てたような形だった。江戸時代に石垣用などに切り出され、「鎌掛石」と称して神社や寺院、一般家庭にも多くこの石が用いられた。日野地方ではここだけのみに産する奇岩と言われている。
 

「屏風岩」説明の立派な銘板がありました。

 

屏風岩から林道に戻って、
坂っ道を登って、裏登山口を目指す。
 

 約15分坂道を歩くと平坦な道になる。「口の堤池」、「城山裏登山口」の道標がある。
 ここは分岐点になっている。直進は「口の堤池」、「城山裏登山口」へ。右手へ行く道には「正法寺山裏登山口」とある。先ほど正法寺山頂で、その先に道があったことを思い出す。そのまま歩いたらこの分岐点にこれるんだ。、「正法寺山散策案内板」には頂上から先の道は書かれていないが、真新しい「鎌掛城跡散策案内図」板には書かれている。
 

「口の堤池」に着く。道標に従って「城山裏登山口」へ。
 

口の堤池横の「城山裏登山口」です。


  

左が先に登った正法寺山です。右側が鎌掛城跡がある城山です。
 今日はお天気も最高、暑さも手伝って疲れました。鎌掛城跡探索は次回のお楽しみとして、ここで引き上げました。


※午前中訪問した藤の「正法寺」と登った正法寺山のページへもどる。

・鎌掛の藤と正法寺山