観音寺城跡を訪てふたたび繖山へ

2015・12・1

 OB仲間の月曜コーヒー会で、K氏から”11月30日付朝刊に「観音寺城跡の石垣が東海道新幹線から見える」という記事と石垣の写真が載っていたという話が出ました。私は先週繖山に登ってきたばかり、観音正寺は麓から見えるが、観音寺城跡の石垣なんて見えないとよと反論しました。まさかと気になって、帰宅してすぐ確認したら、確かにその記事がありました。見えないと強く否定した手前、翌日再確認しに繖山へ登ってきました。

--- 観音寺城について ---

  近江守護、佐々木六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。標高432mの繖山の山頂から南山麓にかけて郭が広がる大城郭で、中世五大山城の一つに数えられています。しかし、永禄11 年(1568) に織田信長の観音寺城攻撃であっさり落城しました。観音寺城の特徴は石垣を多用している点です。城郭への石垣の本格的な導入は安土城以後のことであり、それより古い観音寺城に石垣が多用されているのは例外的で、戦国時代としては唯一の城だそうです。





安土駅方面からの繖山(観音寺山)
 観音正寺も城跡の石垣もはこちらの面でなく、裏側になります。今日は峠(写真の右端の一段低い所)を越えて石寺集落へ行き、そこから佐々木氏の御舘跡を訪ねてから、参道を登って観音寺へ。その後、観音寺城跡をめぐる予定です。
 

観音正寺遠望
峠を越え、石寺集落へ向かう途中から撮影しました。


 

 石寺集落へ向かう道からは観音寺城跡の石垣は見えませんでした。麓の道から離れている新幹線路付近まで行って確認はしていません。後ろ右手は先日登った岩戸山・箕作山です。
  


安土駅から約1時間、やっと石寺集落につく。
観音正寺への参道(赤坂道)から集落を振り返る。


石寺集落を過ぎ、参道(赤坂道)を登って行くと
日吉神社の鳥居が見えてきました。
 

参道途中にある日吉神社
 この神社は、もと十禅師権現と呼ばれ、観音正寺の守護神として近江坂本の日吉神社より勧進された。
 

 日吉神社から左へ、天満宮の石碑が見えている。ここが観音寺城の主だった佐々木氏の御館跡だという。正面突当りを右へ、大石段を登ると御舘跡です。
 

御屋形跡に建っている天満宮の小さな社
石垣の高さは6mもあるそうです。
 

御屋形跡(天満宮)から日吉神社まで戻って
石段がつづく巡礼道を登って行く。
 

観音正寺の石碑が見えてくる。
この左手が石寺林道終点で駐車場がある。
 

石段が終わり境内となる。
石寺林道の駐車場から境内まで
330段の石段があります。


  

観音正寺

 料金小屋で、お寺の方に城跡石垣の「新聞記事」を見て城跡を見に来たと話をしたら、「観音寺城跡散策図」を提供していただけました。城跡の資料も持たずに来たので幸運でした。拝観料500円を払い境内へ。中ほど左手、登山道に下りていく道から城跡散策へと急ぐ。


 この日のルートは・・・

①JR安土駅から石寺集落へ、石寺から参道歩をする。

②途中、佐々木氏の御館跡へ

③観音正寺から観音寺城跡へ。
 観音正寺で城跡めぐり図を入手、それを頼りに城跡へ。

④本丸横を通過して平井丸へ

⑤池田丸跡

⑥大石垣を経て石寺林道へ。

⑦再び観音寺へ、

⑧本丸跡を見てから分岐まで戻り繖山頂上へ

⑨山頂から国道2号線へ下る。

⑩JR安土駅がゴールです。

赤い線が今日歩いた城跡めぐりのルートです。
観音寺城跡の散策図を観音寺でもらったが紛失してしまいました。
この略図はネットで ”埋蔵文化財活用ブックレット11 (近江の城郭6) 観音寺城跡”を参照しました。
刊行:平成23年9月12日 制作・刊行:滋賀県教育委員会事務局文化財保護課

※観音寺城跡の散策図から、一週間前に歩いた青線の道も観音寺城跡だったことを知りました。
その時の山行報告をご参照ください。

・紅葉の繖山から紅葉の教林坊へ 2015-11-25


 

境内中ほどから木戸を開けて左下の登山道へ。本堂裏を回り込んで進むと三角点への分岐点がある。
 

境内一番奥にある観音正寺の本堂です。
 

 境内から5分弱で繖山頂上(三角点)への分岐点に着く。標識には観音正寺から城跡までは330mとある。三角点へは行かずに直進、「桑実寺、観音寺城本丸跡、屋敷跡(平井、落合、池田)」へと向かう。
 さらに次の道標(分岐点)で桑実寺への道と分かれ、左折して城跡へ向かう。


これが大手口石段だろう。上がると本丸に出るはずだ。本丸は何度か訪れているのでパスして平井丸へ。
 

三の丸を通って平井丸跡へ・・・
 

右手が平井丸跡です。
 

平井丸の虎口
 平井氏は観音寺城主、佐々木六角氏の重臣6家老の一人(平井加賀守定武)です。他の重臣5人は後藤但馬守賢、進藤山城守貞冶、目加田摂津守清綱、蒲生兵衛太夫賢秀、三雲三郎左衛門です。
 

平井丸跡
虎口の石段を上がるとこんな広場になっている


 
 平井丸からこの細い道(写真上左)を「池田丸」跡へと下って行く。さらに石垣がつづく。 
   
  広いフラットなエリアの池田丸跡


池田丸跡からさらに下っていく。道が新しい、
やはり大石垣が見えるようにするための作業が行われていたようだ。 


大石垣の隣にはこんな岩が・・・
これが女郎岩なんだろう。
 

大石垣にたどり着けた。
新聞の写真がこの石垣だったんだ。
 

大石垣の下方にまだ道は続いている。テープやナイロン紐で迷わないように案内してくれる。何処へ下れるのか試してみよう。
 

  下り道の左手に谷筋を挟んで観音正寺の境内一部が見えている。ずいぶん下ってしまったなあ。さて、この下り道はどこへでるのだろう?
 

 林道に出合う。ここは見覚えのある道だ。地図で確認したら、やはり石寺林道のようだ。この道を行くと再び観音正寺へ登り返せる。今日の目的通りのルート、繖山経由して安土へ下れる。
 

 林道を行くと観音正寺が見えてきた。もうすぐ林道終点の駐車場だ。330段の石段が待っている。




 林道終点から石段を登って再び観音正寺の境内へ着く。その時、ちょうど受付へ出てこられた観音正寺の住職さんに約10年ぶりに出会いました。初めて出会ったのは沖島へ渡る通船の上でした。この出会いが縁で観音正寺を訪れるきっかけになりました。お話をした後、もう一度境内をぬけさせてもらって、本丸跡へ向かいました。
 

先ほど通過した大石段を上がり、本丸跡に着く。
 

本丸跡にあった遺構、井戸の跡だろうか・・・
 

観音寺城本丸
観音寺山の標高は440m、この本丸は標高395mで面積は1950㎡もあるそうです。 


 

 本丸跡から観音正寺手間への三角点分岐に戻り、そこから繖山頂上(三角点)をめざして登って行く。
 

登り切ったところで、こんな石垣が現れる。
これも観音寺城の石垣なんだろう。

 

繖山頂上を越えて下山。
頂上直下の道はこんな急な木段道がつづきます。

 

分岐
左へ下って行くと、安土城考古博物館裏に下ります。
今日は直進して、通常の登山道を歩きました。
 

近江風土記の丘碑
やっと長い山歩きが終了しました。
ここが繖山への登山口になっています。

 

いま、下ってきた繖山の稜線です。
右端が繖山頂上です。安土駅へ向かう道から振り返って写しました。ちょうどJR東海道線の電車が安土城考古博物館の前を通過して行きました。
 
今日は山歩きと城跡散策を楽しみながら、一日けっこう歩きまわりました。