勝部の火祭と住吉の火祭
(滋賀県守山市勝部)
2015・1・10(土)
 毎年1月の第2土曜日に我が町守山市勝部の勝部神社で行われる県の無形文化財の勇壮な火祭です。祭の起源は鎌倉時代、土御門天皇(つちみかどてんのう)のご病気が重いので占わせたところ、この地に数千年も生きている大蛇(おろち)がその元凶だというので切り殺して火に焼いたところ、天皇が全快されたことに始まるといわれています。勝部神社は自宅から徒歩約15分、これまでに何度も見ています。大松明に着火されるのは午後8時半ころですが、スケッチ兼て午後4時半過ぎに出かけました。 






 午後5時過ぎ、夕闇が迫る勝部神社と宮入を待つ大松明をスケッチ、描いているうちにどんどん暗くなってくる。


勝部神社

お参りする警備の消防隊員




 拝殿の前は広場になっていて、ここで十二基の大松明が勢ぞろい、一斉に火がつけられる。あらかじめ6基の大松明が置かれている。午後8時ころから残りの大松明6基が褌姿の若衆に担がれて宮入りする。まだ着火まで3時間もあるのにすでに大勢のカメラマン達が場所取りをしている。
  


静かな大松明の宮入前の神社境内をスケッチしました。



 3時間も寒い境内でじっと待つのはつらいし退屈だ。そこで勝部の着火の30分前に行われる隣町、浮気町(ふけちょう)の住吉神社でも行われる火祭を先に見に行くことにしました。住吉神社で同じ火祭があることは以前から知っていましたが、まだ一度も見たことがありません。大松明への着火は住吉神社が8時ころ、勝部神社は午後8時半となっているので両方の火祭が見られる。二つの神社の火祭り起源は、先に書いたように、退治された大蛇の頭が住吉神社へ、胴体が勝部神社へ、尻尾が瀬田の建部大社へ飛んで行ったといわれ、各々の神社で火祭が行われるようになりました。残念ながら建部神社での火祭は現在行われていないと住吉神社で説明されていました。

 
午後6時半過ぎ住吉神社に着いた。
 神社はまだ静寂の中、消防団員が神社の木々に消防ホースを使って防火のための水をまいていました。


 

 境内におかれた6基の大松明は大蛇の頭になぞらえている。材料は藁や菜種殻を使って作られており、直径2m、長さ5mもあります。初めて見た住吉神社の大松明は見慣れた勝部のものとは形が違う。松明に乗っているのは大国さまと説明がありました。
 

 午後7時、祭の開始。集まってきた年寄衆が太鼓を打って・・・
 

拝殿前に勢ぞろい。

 

勝部神社の宮司さんが来て祈祷



 

 暗い仮屋の中、蝋燭一本だけの火の中で行われる年寄り衆 若衆の礼儀、挨拶 は昔ながらの伝統に基づいている。その儀式が終わると、褌姿の若衆が壁をたたいて囃し立てる・・
 住吉神社の火祭りは、より古式を伝えているといわれ県の選択無形民俗文化財に指定されています。ダイナミックな勝部の火祭を見慣れているので、実際に住吉神社の火祭神事を見て、伝統のある厳かな雰囲気を強く感じました。
 

 午後8時過ぎ、仮屋の火床から競って火を取った奉火をもって飛び出してくる。
 

大松明の着火

 

燃え上がる大松明
 

神社の境内からの引き松明、これで火祭りの終わりを迎える。


 さあ、次は勝部神社の大松明だ。急いで勝部神社へ戻る。夜8時半過ぎ、ちょうど残りの大松明6基が若衆に担がれて境内に運び込まれている所でした。
 

 少年の持つ提灯に先導されて一基づつ宮入するが、重いためなかなか進まない。


 

 勝部で使われる大松明は、先の松明部の直径が4メートル、菜種殻を使って作られており。軸が長さ5m~6m、直径40cmの長い円柱で、材料には柴が用いられています。
 

 退治された大蛇の胴体を表した大松明、若衆と比べると松明の巨大さがわかるでしょう。
 

 境内に勢揃いした12基の大松明と点火を待つ大観衆。住吉神社の火祭とは大違いの賑やかさです。
   
午後9時前、若衆によって奉火された大松明は 一斉に燃え上がる。その熱気は凄い・・・
 

この絵は火祭のクライマックスを撮った写真から描きました。
早描きが得意といっても、この大観衆でごった返している中ではスケッチブックも広げられません(^^;)。



今年は勝部神社と住吉神社の関連する両方の火祭を見られてよい体験ができました。

一昨年に行った勝部の火祭のページも下記をクリックしてご参照ください。

※ 勝部の火祭り (2013・1・12)