曼陀羅山古墳群と小野散策
(まんだらやま:標高191m)
2014・2・24



曼陀羅山
「曼陀羅山古墳群」現地説明会(2月22日)のとき撮影しました。
曼陀羅山古墳群現地説明会レポートと合わせてご覧ください。
 今回の出かけるきっかけは、京都新聞の記事を見て行った「曼陀羅山古墳群現地説明会」です。案内説明係の方が、古墳の向こうに見えているのが曼陀羅山(標高191m)で、山頂には全長72mの前方後円墳の大塚山古墳があり、山歩きもできると教えてもらったことでした。 守山から山科駅乗換で湖西線の小野駅で下車する。まず、駅前の案内板でだいたいのコースを確認、写真をとる。徒歩20分ほどで前回の訪問時に登山口だろうとチェックしておいた金比羅宮参道に着く。今日歩いたルートは下の写真に示しています。




JR小野駅前の案内板より
赤ラインが今日歩いたルートです。
曼陀羅山古墳群
曼陀羅山丘陵とその西方にひろがる、総数117基から成る群集墳である。





金比羅宮の参道
 ここを曼陀羅山登山口に選ぶ。少し登っただけで汗ばんでくる。ここのピークが最高峰と思っていたが、帰宅後チェックしたら標高184mとありました。いつもながら大雑把な下調なので、こんなことはしょっちゅうあります。


頂上の金比羅宮社前からは琵琶湖方面の展望が開けている。びわ湖対岸(湖南)の近江富士(三上山)と琵琶湖大橋をズームアップで写す。





遠く琵琶湖の対岸は大津市街です。
(金比羅宮からの展望)


近江八幡市の長命寺山と津田山
(金比羅宮からの展望)
金比羅宮からはほぼ平坦な尾根歩きがつづく。



小春日和の中、上着を脱いで尾根歩き




霊仙、権現山、蓬莱山、打見山
標高1000mの比良の山並みが美しい。






冠雪した比良の山並みが美しい。
 おもわず座り込んで眺めを楽しみながらスケッチをしましたが、いつものスケッチブックより小さなF4のため、こんな部分的な構図になってしまいました。ザックが小さかったためとの言い訳です(^_^;)。



金比羅宮から少し下って登り返した所から振り返ると金比羅宮のあるピークが見えている。



金比羅宮のあるピーク

 景色に見とれ歩いていたので、この高台が曼陀羅山の最高峰(標高191m)だったことに気がつきませんでした。ここが「大塚山古墳」だったようだ。しかし、現地には古墳の痕跡がなかったように思う。それにもう一つ、進行方向の尾根道に右手へ下って行く道にも気づいた、気にせず尾根道を直進する。あとで案内図でチェックしたら、どうもこの道がゼニワラ古墳へのルートだったようだ。いつも思いたったら飛び出してしまう性格なので、こんなミスはしょっちゅうです(^_^;)。


大塚山古墳・ゼニワラ古墳

 曼陀羅山の最高所にある古墳時代の前方後円墳で、全長72m。前方部を南東に向け、その側面は小野の集落やびわ湖の沖合からよく見られる。前方部の先端はバチ形に開く。明治時代に鏡、勾玉、管玉、銅鏃(どうやじり)甲冑等が出土。墳形がきれいに残っている。



一昨日見学した「曼陀羅山古墳群」現地説明会場の古墳が眼下に見えてきた。この場所は真野北小学校校舎のすぐ横です。曼荼羅山は大きく造成された住宅街の真ん中にあります。


 歩いてきた方向を振り返ると、金比羅宮のあったピークが小さく見えている。曼陀羅山は東西に長くのびている低山だ。だいぶ歩いてきたなあ。







比良山系が目前に迫ってくる
シャツ姿でも汗ばむ春陽気、気持のよい風景を眺めながらもう一枚描きました。






この近くの住宅街に住んでいる人だろう。
散歩する数人に出合いました。




古墳の石か?
ここも古墳の跡のようだ。石室だろうか
左下の写真をご覧ください。



これも古墳群の一つだろう。
ここまで尾根を歩いてきたが初めての出会いだ。







下山道の道標
 曼陀羅山の北端から下ってきた所に道標がある。左はヨウ古墳群、右は道風神社とある。なぜか気にせずに道風神社へ下ってしまった。ここでのミスがヨウ古墳群と石釜古墳群を探してのなが〜い迷い道をしてしまう。帰宅してから分かったことです(^_^;)。


小野道風神社
 先ほどの道からすぐに住宅街へ入る。この道は以前に歩いているのでよく分かっている。左手には「比良ゴルフ場」だ。かなり歩いて、この道風神社に着く。


道風神社から石神古墳へ








 古墳は4基あると説明されているが、それらしきものは右の写真の1号墳?だけが目に入る。



1号墳?


石神(いわがみ)古墳群
小野の集落の背後の丘陵地に総数4基からなる古墳時代後半の古墳群。石神神社には、家形石棺の石材がある。




小野神社
 小野神社、小野篁(おののたかむら)神社 (重文建造物)
わが国最初の遣隋使として知られる小野妹子が推古天皇のころ創建したと伝えられている。米づくりの始祖米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)が祀られている。

 まだ時間的な余裕があるので、小野神社から石釜古墳群、ヨウ古墳群へ行こうと略図を便りに和邇川沿いに上流に向けて歩く。天皇神社までは道標があり迷うことなく行けたが、そこからかなり先の湖西道路まで歩いたが石釜古墳群への道はなく、進行方向左手はづっと比良ゴルフコースにさえぎられている。ここまで来て道風神社にあった古い案内板の概略図がアバウトなものと気づく。しかたなく同じ道を歩いて小野道風神社神社へ戻る。ここから道標にしたがい唐臼山古墳(小野妹子公園)に向かう。道は大きな住宅街の中へ入って行く、やがて公園らしきものが前方に見えてきた。そのよう壁に沿うように右へ行くと公園入り口(下の写真)がありました。

 




唐臼山古墳(小野妹子公園)

時間はもう午後5時前、公園の色も夕日に赤く染まっている。さあ、ラストの訪問先、小野妹子神社へ急ぐ。道標にしたがって右手へ。




小野妹子神社

 唐臼山古墳
遣隋使小野妹子の墓で、巨大な箱型石棺状石室が露出している。このような墓はヤマト朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もある。県内では4例だけ確認されている。



 小野妹子神社の小さな社の後ろの盛り上がったところがある。どうもここが古墳のようだ。礎石も少しだが見られる。





小野妹子神社の広場の先に展望所がある。琵琶湖が望める。眼下には住宅街が広がっている。こんもりした森の右に湖西線が見えている。ちょうど北陸からの特急電車が走ってくる。

 暖かい陽気に誘われて一日よく歩きました。携帯電話付属の万歩計は約2万歩を記録していました。