真夏の長崎スケッチ旅
2009年7月7日〜9日(3日間)
1日目(新大阪−博多−柳川−雲仙)

 「寺田みのる先生と行く平戸・長崎」というPTSトラベルナビのスケッチツアーに参加して梅雨の晴れ間の3日間を楽しんできました。寺田先生との旅は3年前のローマスケッチ旅行以来です。


新大阪7時42分発「ぞみ97号」で博多へ向かう。スケッチの話、旅行の思い出などワイワイ盛り上がっていると時間のたつのが早い。あっという間に博多に着く・・・





 博多駅から出発して、また博多へ戻るスケッチの旅、この3日間は西肥バスがチャーターされている。まず最初のスケッチ場所の柳川へ向かう。ガイドさんは歌がうまくて爽やかな感じのるみさんです。


柳川名物は水郷と鰻のせいろむし
 柳川は博多から意外と近かった。九州自動車道を通って約一時間半でした。まずスケッチ&散策の前に名物の「せいろむし」を食べに若松屋に入る。腹ごしらえした後、今度はどんこ舟に乗って川下り(お堀めぐり)。蒸しかえるような暑さだが川面を走る風が癒してくれる。

 ゆっくりしすぎて残り時間があまりない。いつもの早描きでなんとか本命のスケッチ3枚は出来たが散策する時間はなくなる。それでも名物を堪能できて柳川を満喫しました(^o^)


お堀めぐり(川下り)のどんこ舟をスケッチ
掘割にはどっしりとしたなまこ壁の倉庫がありました。
(水溶性のペンと水)



乗せてもらったどんこ舟の船頭さん。
素朴な語りで水郷の案内をしてくれました。地元水郷の歌を聞きたかったが、歌は苦手という・・・残念

居眠りしながら客待ちをしているどんこ舟の船頭さんをスケッチする。
(水溶性のペンと水彩)

水郷風景
観光客を乗せたどんこ舟
(水彩鉛筆と水彩)

 ゆっくりスケッチした後、バスで長洲港へ、約30分のドライブで着きました。ここから有明海をフェリーで多比良港へ渡る。そこから雲仙岳の中腹にある今日の宿泊地・雲仙温泉(標高約750m)へ。

  長洲港のフェリー乗り場。後方にうっすらと雲仙岳が望める。ここから有明海を渡り多比良港までは約40分と近い。


雲仙岳がだんだん近づいてくる。



左端が眉山、中央の一番高いのが平成新山。普賢岳より少し高くなっている。
・・・・フェリー船上にあった普賢岳案内板より・・・・

 島原半島の真ん中にそびえる雲仙岳は東西16km、南北15kmの広がりを持つ複数の火山群の総称。雲仙岳の噴火はおよそ50万年前にはじまり、その後およそ10万年前頃より野岳、妙見岳、眉山、普賢岳などの山容が形成されました。有史以来の噴火は寛文3年(1663年)、寛政4年(1792年)、そして平成2年から7年)がある。噴火でできたドーム(溶岩で隆起)、大火砕流のTVニュースを見たのははついこの前のように思っていたがもう19年も経過していたのだ・・・

 予定時刻どおりに雲仙温泉に着く。今夜の宿・九州ホテル(写真右上)は最高のロケーションに建っている。ホテルを出るとすぐに地獄めぐりが出来る。夕食まで1時間あるのでさっそく散策に出かけました。地獄とは噴気や温泉の集まっているところをいうと書いてある。ごつごつした岩、硫黄の匂いと水蒸気がただよい、ブクブクと音を立てて湧き上がっている。

 地獄めぐりコースにはいろいろの名前が付けられた地獄がある。その途中に真知子岩というのがあった。1952年一世を風靡した菊田一夫作のラジオドラマ「君の名は」を映画化したときのロケ記念(昭和二十九年三月)のレリーフでした。ラジオ放送の冒頭の「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」の有名なナレーションが刻まれていました。・・・といってもストーリーはよく知りませn(^_^;)。

 その少し上に矢岳登山道がある。案内板にたしか「頂上まで400m?」とある。時間がないが近そうなので急に登ってみたくなって足を踏み入れました。時間があったら普賢岳に登ってみたいところだ。


矢岳への登山道かあら見える雲仙温泉郷



登山道の中間にある広場から矢岳の頂上
(標高970m)
 矢岳は雲仙地獄地帯の東側にある山で、その山容が三角錐になっていることからこの名がついたらい。妙見岳、平成新山を望みながら急な登山道を25分のぼると見晴らしの良い頂上に着くと案内板にある。だが夕暮れ時にガスもかかっていて温泉街を望むのがせいいっぱいでした。午後7時前、小雨も振り出して頂上直下の樹林の中は暗くてよく見えない。心残りだが宴会場で皆が待っている。大急ぎで下山して汗だくの体をシャワーで流し宴会場へ飛び込んだが15分遅刻。初日から団体行動を乱してしまって信用失墜、長い一日目が終わりました(^_^;)。


・真夏の長崎スケッチ旅(2日目)へつづく