中津川、苗木城跡ハイキング
夏の青春18キップの旅-1

 今日から夏の青春18キップが使える。5回分の行先はまだ決めてい。とりあえず、今日はこれから名古屋へ、FBで知り合った”古川常夫さんと伊藤英生さんの「二人展」を見に行こう。その後名古屋をぶらり歩きしてスケッチできればいいなあと思い出かけました。
(2014・7・20)

今年は¥1,1850円に値上げされている。



 9:30 ローカル列車乗り換えで2時間で名古屋駅に着きました。地下鉄に乗り換え栄駅へ。会場は名古屋市民ギャラリー、すぐ近くなのでありがたい。この日が二人展の最終日、幸運にもお二人にお目にかかることができました。素晴らしい原画を見せてもらいながら絵談義が弾みました。自分の絵と違う作品なのでとても参考になりました。話し込んでしまい写真を撮らせてもらうことを忘れてしまいました。作品を拝見しながらお二人のスケッチポイントいろいろ教えてもらいました。その中にあった古川さんの「寝覚ノ床」が目にとまり、さっそく出かけることにして、JR名古屋駅へ戻る。
 中央線のローカル列車まちにプラットホームのお店で”冷やしきしめん”で腹ごしらえ、とても美味しかった。その後、11:46発の中津川行快速に乗る。



 13:07 中津川駅についたが、来る車中で車内放送があり今月初旬の大雨で線路の橋脚が流されて不通という。中津川から二つ目の坂下駅からは代行バスで連絡しているという。気楽な気持ちで乗り換えて坂下駅まで行きました。そこでやっと寝覚ノ床はまだまだ遠いということに気づきました(^^;)。何度も中央線で松本まで行っているので近いと勘違いしていました。諦めて中津川まで戻ることに・・・・


 さて、中津川のどこを散策しようかと、駅前の観光案内所で資料をもらう。前回,、奈良井宿へスケッチに行くとき、乗り継ぎ列車町で中津川宿を散策している。思案した結果、苗木城跡を歩くコースが目につきました。駅から約3kmほどの距離、時間的にはなんとか行けそうだ。城跡にも興味があるが、城跡の高台からの恵那山の眺望も楽しみだ。

 


 


 恵那山と中津川市街
恵那山頂上は雲の中。
中津川駅から北へ10分ほど歩いたところからの展望
 


木曽川に架かる「玉蔵橋」

 


玉蔵橋上から木曽川下流を見る。
老朽したこの架橋はなんの橋かな?
 

玉蔵橋上から木曽川上流を見る。

 

苗木城跡のある高森山が見える(玉蔵橋上から)。
橋を渡って木曽川添いの道に降りて行く。
 


あと少しで苗木城本丸への登り口だ。
 


やがて道は鬱蒼とした樹林の中へ…
 


 
鉄道の廃線跡?が現れる。帰宅してから調べたら
「北恵那鉄道線」で1978年(昭和53年)9月18日 廃止された路線だ。
  
 北恵那鉄道線は、かつて、岐阜県中津川市の中津町駅と恵那郡付知町(現中津川市付知)の下付知駅を結んでいたという。愛称は「恵那電(えなでん)」。営業キロは中津町駅 - 下付知駅間 22.1km。1978年(昭和53年)9月18日 廃止。先ほど玉蔵橋上から木曽川下流を見たとき見えていた老朽した架橋も北恵那鉄道線のものでした。
 


15:11 苗木城への登り口に着く。
 ここから苗木城へ登るつづら折れ道を”城坂四十八曲り道”といわれている。三の丸までの距離は約600m、標高差150mを一気に登ることになる。本丸まで48回曲がる道です。(別名、大手口道)
 


いきなり登山道沿いに石垣が現れてくる。




   
  つづら折れ道に沿て石垣が現れる。



城跡入り口
鬱陶しい樹林帯から明るい光が見えてくる。
 
 


苗木城の石垣が現れる。やっと頂上に着いたのだ。



 展望も開けて、 苗木城跡の石碑に迎えられる。天守は左上だ。
苗木城跡は「国指定の史跡」になっています。
  苗木城城主の遠山氏は戦国の動乱の中で一度は城を追われるが、関ヶ原の戦いで徳川家康公にその献身ぶりを買われ、再び城主となる。以後、明治維新まで12代にわたり苗木領を治めた。

城主、遠山氏のルーツ(ウイキペディアより抜粋)
 鎌倉幕府の有力御家人であった加藤景廉の子孫の遠山昌利が、広恵寺城(現在の岐阜県中津川市福岡町の植苗木)から(1532年)に美濃国恵那郡高森(現在の岐阜県中津川市苗木町)に館を移し、恵那郡の木曽川以北と加茂郡の東部を支配したのが始まりである。

 

綿蔵門跡





 

千石井戸・本丸口門
 高所にもかかわらず、どんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝えられている。千人の用を達するということから名づけられた。この右(西側)にある本丸口門は本丸と二の丸の境となる門で、総欅で建てられていたことから、欅門とも呼ばれていた。
 

苗木城の古図
(案内チラシより転載)
 

本丸玄関

頂上の大岩の上に木枠で組んだ展望台がある。
この木枠の所に天守が建てられていたという。

 本丸玄関は、天守台より一段低い位置にありました。そのため玄関に入ると。苗木城の特徴の一つである掛け造りの千畳敷を通り、回り込むようにして南東側から天守台に入りました。
15:30  登り口より約20分で頂上に着きました。
展望を楽しみながらスケッチもしてゆっくりと時間をとる。






苗木城本丸跡からの展望(南側)
 木曽川を天然の堀とした苗木城の本丸は、巨岩重なる岩山である高森山の頂上部(432m)一帯にあり、眼下の木曽川からの標高差が約170mです。正面には旧中山道の中津川宿場の町並みとその背後に恵那山(2,191m)が展望できます。右側は根ノ上高原がある保古山(969m)に連なり、左側には木曽山系の山並みと東山道の上坂峠を望むことができる。(説明板より)




頂上の案内板

 




恵那山スケッチ

 今回はSMサイズのスケッチブックしか持ってこなかったのので、二枚つないでなんとか描きました。頂上から真正面に見える恵那山は、木曽山脈(中央アルプス)の最南端の標高2,191mの山です。日本百名山なので一度登りたいと思っていたが実現していません。


 


南東方向の眺め
 


南西方向の眺め
 


木曽川
玉蔵橋から今歩いてきた道が眼下に見える。
 

 ※今月9日の土石流で大きな被害が出た長野県南木曽町では、JR中央線の線路に大量 の土砂が覆いかぶさって一部の区間が不通となり、14日からこの 区間で代行バスの運行をしています。いつも思いつきで行動するので今回のようなことにはよく遭遇します。それに加えて、寝覚ノ床は中津川のちょっと先くらいに思い込んでいました。松本へ行くとき車窓から眺めて知っていたが、最寄り駅が中央線の上松なんだ。ローカル列車では中津川乗り換えで約3時間もかかることを後で知る。半日で行くには無謀な思いつきでした。反省・・・