秋のOB会ハイキング
2017・10・26

 今年の秋のOB会ハイキングは京都、新撰組ゆかりの地を散策するという企画です。今年は大政奉還150周年に当たるということで二条城見学からスタートです。その後、壬生寺→島原・角屋見学→西本願寺→JR京都駅(ゴール)です。
  ・・・・ だが、うかっとしていて、この日の朝になってハイキング日だったことを思い出しました(^^;)。さっそく時刻表でチェック、守山の自宅をすぐに出かけてもJR山陰線の二条駅10時集合には間に合わない。30分遅れると幹事さんにTel、最初の見学地の二条城で合流すると連絡して急いで駅へ向かう。


JR二条駅に10:40着、すぐに後を追っかけ二条城へ・・・。
 

最初に出合う二条城の西南隅櫓(重文)と外堀
 

東へ進み東南隅櫓(重文)へ。
  二条城には寛永期に建てられた隅櫓が本丸や二の丸の隅にありましたが,天明8年の大火の際に多くの櫓が焼失してしまい,今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけです。
 

二条城の東大手門

  11:00 東大手門前着いたので、幹事さんにTelする。わるいけど個人券を購入して入場してくださいとの返事。入場券は600円もする、ここは何度か見学しているので、勝手ながら倹約して入場はパスすさせてもらい、この付近を散策してして午後から合流させてもらうことで了解をもらいました。 

 メンバーが二条城見学を終わる12時半までは約1時間半ある。どこで時間つぶしをしようかと思案しながら堀川通を横断して堀川に架かる二条橋に着く。ふと橋下を見ると人工的につくられた堀川の小さな流れと遊歩道がある。


堀川と遊歩道
いままで気がつかなかったこの遊歩道を散策するのもいいかな・・・



こんな案内板があり、なんだか面白そうなので一條戻り橋まで歩いてみよう。
※ここからはOB会のハイキングコースと違うので別ページとします。

  現在の堀川は、琵琶湖疏水第二疏水分線の水を賀茂川を下越させ、紫明通・堀川通の中央分離帯の中に整備された水路を経て、今出川通で既存の開渠部に繋がっている。一条通の一条戻り橋を経て、御池通までが開渠部である[1]。 そこから南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。(ウイキペディア フリー百科事典より抜粋)

※堀川遊歩道散策はここ→ ・秋のOB会ハイキング(番外編) をクリックしてご覧ください。



12:40 二条城東大手門前でOB会メンバーと合流して、記念撮影をすませて、午後のコースへ。
二条城から壬生寺への道すがら、大宮通りに入ってすぐに「二上陣屋(小川家住宅)」がある。
 

12:55 二上陣屋(重要文化財小川家住宅)

              二上陣屋
 ここは豊臣秀吉に仕えて伊予今治(愛媛県)七万石の城主になった小川土佐守は、関ケ原の合戦に敗れた出家し、その長男千橘(せんきつ)が、萬家平右衛門と名乗って、この地で米穀商、両替商及び生薬屋を生業とした家です。
 この建物は、その住宅として寛文十年(1670)頃に創建されたものです。当家は、二条城や京都所司代に仕候する中小の大名の陣屋として、また京都町奉行所の公事宿としても利用された。
 

 今回は見学コースには入っていないので、写真を撮っただけで通り過ぎる。次の訪問先は少し離れたところにある新選組屯所のあった「八木邸」と壬生寺に立ち寄る予定です。

大宮通りを南へ、四条大宮交差点を通過して、綾小路通りを西へ歩いて京都市指定有形文化財の八木家住宅へ。
 

13:20 新選組屯所のあった京都市指定有形文化財の八木邸に着く。
 ここの奥に八木邸(新選組屯所跡)があります。右の建物は和菓子のお店、京都鶴屋鶴寿庵さんです。
 

新選組屯所跡
 ここは浪士たちを世話したとされている、八木源之丞のお屋敷(京都市指定の有形文化財)だ。
 

季節の和菓子が並ぶ
京都鶴屋鶴寿庵さんのウインドウ

新選組屯所跡(八木邸)は写真を撮っただけで、すぐ隣の壬生寺へ・・・。
 

13:23 壬生寺の正門に着く
 

境内にある水掛地蔵堂
 

千体仏塔(左)と本堂(右)

 壬生寺は律宗の寺院で、本尊は地蔵菩薩立像(重文)です。正安二年(1300)円覚上人が仏の教えを身振り手振りの無言劇に仕組んだ「壬生念仏狂言」を創始し栄えました。新撰組ゆかりの寺でもあり、境内の壬生塚には新選組隊士の墓塔がまつられています。



 このスケッチは二年前の節分の日(2015・2・3)に有名な「壬生狂言」を見に行った時のものです。でも、あまりも人が多くて、狂言を見るのは諦めました。水掛地蔵堂をスケッチをしただけに終わりました。

 壬生寺の境内では少休憩しただけで出発。少し歩いた所にある公徳公園でもう一度トイレ休憩をして、五条同里を横断して見学を予定している島原の角屋(すみや)へ向かう。その道筋に新選組ゆかりの島原に現存する唯一の置屋さん輪違屋(わちがいや)がありました。


14:20 輪違屋(わちがいや)の前を歩いて行く

 輪違屋は大夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(1688~1704)の創業と伝える。現在の建物は安政四年(1857)に再建されたといわれるが、その後増改築がなされて、明治四年(1871)にほぼ現在の姿になりました。(案内板より抜粋)


二つの輪で描かれた文様

 現在も揚屋さんと置屋さんを兼ね備えた現役の店で、日本で唯一「太夫」さんが居る所だそうです。
 表に「観覧謝絶」の札があるのは見落としましたg、いわゆる「一見さんおことわり」の店だそうです。

 

14:25 やっと角谷に到着です。歩き続けでけっこう疲れが・・・
 角屋(すみや)は、もと京都・島原花街(現・京都市下京区)で営業していた揚屋(料亭・饗宴施設)で、建物は国の重要文化財に指定されています。1998年より「角屋もてなしの文化美術館」として公開されている。
 

玄関を入ったところ
 

雰囲気のある建屋内から見える中庭
 

建物内は蛍光灯などがなく薄暗く昔の家屋を感じさせます。
 

大座敷の松の間(1回の奥座敷)から望む庭の臥竜の松と茶室。
子の庭には三つの茶室もありました。
 


大座敷松の間の襖絵



角谷見学を終えて花屋町通りを歩いて島原大門へ。
 
島原大門(下京区西新屋敷町)
 わが国最古の公許遊廊島原の正門で、花屋町通にある。一間幅、本瓦ぶき、切妻の高麗門。門内は通りの左右に格子造りの古い揚屋、置屋が整然と並んでいたという。門前に通称「出口の柳」「さらば垣」、門前の道筋には、「思案橋」と粋に名づけられた橋もあった。



大門をくぐって、さらに花や町通りを歩き西本願寺の太鼓楼を目指す。 

 慶応元年(1865)、壬生の屯所が手狭となった新選組は、西本願寺に移り、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北集会所と太鼓楼を使用していたという。


太鼓楼


西本願寺は門から覗いただけ・・・(^^;)

次はリーガロイヤルホテルの入り口にある近藤勇の歌碑を訪ねる。
 

近藤勇の歌碑
(リーガロイヤルホテル)
ここは 新撰組最後の不堂村屯所跡だと聞く。
ボランティアガイドさんのおかげでここを知りました。
 京都駅への帰り道、ホテル、ハトヤ瑞鳳閣の前にある石碑、”此付近 新選組最期の洛中屋敷跡”(2009年に建てられた石碑)を確認してゴールの京都駅に到着、秋のOB会ハイクは無事終了しました。
 

JR京都駅