ポンポン山
(678.9m)
2012・10・14

 今日は第二日曜写生会で高槻市の原地区へ田園風景を描きに行ってきました。JR高槻駅前からバスで20分ほどで「上の口」に着いたが・・・・ポンポン山へ登ってみたくなって皆さんと別れてバスを乗り継いで神峰山寺口へ。またまた写生会メンバーがいう”歩く人”になってしまいました(^_^;)。車中にはポンポン山へ登るという方たちが、地図を持っていないので一緒させてもらうことにする。まえにここから登ったことがあるがルートはハッキリとは覚えていないので安心だ。




9:40 神峰山寺口バス停下車
こんな田園風景が広がっている。



バス停から舗装路を歩いてポンポン山へ




ほとんどの田では稲刈りが終わっている。
黄金色の風景を描けると思っていたが残念。



ここに登山道標が・・・覚えていないなあ
皆さんについてきてよかった。





今回歩いたルート
自家製手打ちそば”秀”の看板にあったポンポン山への略図(写真右上)を拝借






建物の間に入るとこんな山道に・・・
でも、ほんの少し歩くと舗装路に飛び出す。





舗装路を行くと神峰山寺の勧請掛が・・・
 その案内には、”勧請掛(かんじょうがけ)は縄に樒(しきみ)を結びつけたもので、聖地との境界を意味している。大阪商人らは、その長短などで米価や株価を占ったといわれている”とありました。



神峯山寺到着
登山路はかなり上まで車が通れる舗装路だと
出会った僧侶が教えてくれる



ポンポン山への中間に本山寺があり
その看板が・・・


 神峯山寺(かぶさんじ)は、天台宗の仏教寺院で、山号は根本山。日本で最初に毘沙門天が安置された霊場と言われており、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。晩秋は紅葉の名所として知られる。開山の祖とされる役小角(役行者)。
 本来の目的は写生会、下山してから一枚でもスケッチしないと恰好がつかない。神峯山寺は門から参拝して、登山道(門の右の舗装路)へ急ぐ。



いままでなんとかついてきたが、ここへきて本山寺への道は急になり置いて行かれる。


なんとか気合を入れ直して追いつく。本山寺への町石はあと二丁とある。





11:00 やっと本山寺に着く。
以前に登っているが、1時間30分もかかったのかなあ。ここから頂上までまだ1時間はかかる。登れるかだんだん自信がなくなってきた。とにかく参拝はして行こう。



中の門
この門は1603年(慶長8年)豊臣秀頼が伏見桃山城内の門を移築したという。



本堂へは急な石段が・・・・


本殿でお参りする。
ポンポン山への道はこの本堂右横にある



本山寺境内図
 寺伝によると、持統天皇10年(696年)に役小角が葛城山で修行中に北西に紫雲のたなびくのを見て霊験を感じ、北摂の山に来て自ら毘沙門天像を彫り、堂を建てて修験の道場として開山したのが始まりと伝えられている。





本山寺を出るとすぐ山道になる。
またまたついて行けず置いて行かれる(^_^;)



きつい坂道を登ると登山道に合流する。
もうここでバテバテ、昼食をとってしばし休憩


登山道にある大杉
あとから追いすいてきた女性が一気に抜いて行く
負けられないと必死でついて行く。


競争心をかきたてられて・・・
気がつくと頂上に着いていた。ホッ!
12:15

狭い頂上は登山者でいっぱいでした。
今日は霞んでいて素晴らしい展望とはいかない。
写真を撮ってすぐに下山する。





頂上からの展望



下山は本山寺境内を通らずに、東海自然歩道をあるく。



13:00 本山寺への分岐に着く。
登るとき、ここから左の道で本山寺境内へ。今下ってきた東海自然歩道は右の道です。





14:00 登山口の鳥居に着く
ここにあった案内板には「ポンポン山 7.6KM、本山寺 4.1KM、神峯山寺 0.8KM」とありました。簡単に登った記憶があったので思いつきで登ったがこんなに距離があったんだ。


かなり足にきているので原地区の秋景色を楽しむ余裕もなく上の口のバス停へむかう。この道はバス道より少し高台にあるので展望がきく。寒天小屋や橋が見えてきたので降りて行って、とにかく一枚を描くことにする。





原地区を流れている川のある風景を描きました。
写生会から脱線してしまい、今日描いたのはこの一枚だけでした。




(参照)
以前歩いた山行報告です。

・ 京都西山の吉峯寺からからポンポン山へ 2005・10・16