紅葉見物で奈良の談山神社へ
奈良県桜井市多武峰
2020・11・11
 三日前、醍醐寺へ紅葉見物に行ったことから、さらに紅葉の名所へ行きたくなる。思いついたのが奈良県桜井市多武峰の「談山神社」でした。多武峰は以前、ハイキングで明日香から歩いたり、逆に桜井から多武峰を経由して明日香村へ下ったりしています。この日は桜井駅から談山神社行バスに乗る。バスは紅葉見物客でほぼ満員、終点手間への多武峰バス停から参道を歩く人は一人で、ほぼ全員が終点の談山神社で下車しました。(バス料金は500円)

 

バス停から談山神社へ。土産物屋さんが並んでいる。
 

談山神社入口には食堂もあり賑わっている。
 

ここで入山料600円を払って入山する。
 

いきなり急な石段が・・・。
 

石段途中の石垣と紅葉
 

やっと石段が終わる。右手に拝殿が見えてくる。


  

談山神社のシンボル十三重塔(重文)と紅葉
※本殿楼門前から写す。


 談山神社について
※下記は公式ホームページより転載です。

御祭神 藤原鎌足公

 舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

 たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

 ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。

 足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。


詳しくは「談山神社」の公式ホームページをご参照ください。

談山神社
〒633-0032 奈良県桜井市多武峰319
TEL: 0744-49-0001

 

先ずは本殿を参拝するために楼門へ進む。
 

楼門右には拝殿がある。
   
  楼門を入ると、本殿(写真左)と拝殿(右の写真)が見える。
本殿参拝は靴を脱いで右手の拝殿に上がる。
 

拝殿の中
 

拝殿の周りに灯篭と欄干がある。


 

総社拝殿前の広場と紅葉



紅葉見物と参拝はひとまずおいて、
せっかく談山神社まで来たので、神社の名の由来になった「談山」とご破裂山へ行ってみよう。
 
  談山、ご破裂山へは境内の小さな社(写真左)横の山道を登って行きます。って行く。

 ※案内板に 談山へは約10分。ご破裂山までは約20分 とある。

 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足公)が、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
   

ここは道標のある分岐
(写真は今登ってきた道を写しています。)


御破裂山(藤原鎌足公墓所)は左へ250m 
談山(かたらいやま)は右へ30m
 

道標のある分岐で右手を見ると石段がある。
この石段を上ったところが「談山」でした。
分岐まで戻って左へ御破裂山へ登って行く。
 

二つ目の道標がある分岐に着く。
(※写真は登ってきた「談山神社」からの道です)

明日香方面、談山神社(西大門)からの道に合流してくる。
ここからすぐ御破裂山頂上です。(標高618m)
 

このすぐ上が山頂で、藤原鎌足公墓所です。
 

回り込むとほんの僅か、木々の間からの展望がある。
御破裂山から下山して談山神社の境内に戻る。



 

神廟拝所(右)前の”けまりの庭”から十三重塔をふり返る。


 

紅葉を満喫して談山神社を後にする。
 

談山神社から西大門を目指して登ってきた道を振り返る。


この後、明日香までハイキングをしました。
※このページからのつづきです。下記ぺーで覧ください。

・談山神社から明日香へ歩く