鞆の浦スケッチ
2010年3月25日〜26日

 思いがけず青春18切符を2枚ゲットしたが、気候・天候の変化が激しいので遠出スケッチへ出かけるタイミングがつかみにくい。今朝まだ雨が降っているが天気予報をでは西へ向かえば午後から雨が止みそうだ。尾道か鞆の浦を想定してJR網干行きの新快速に乗り込む。姫路、相生、岡山と各駅停車の電車を乗り継いで昼近くになったがまだ雨は止まない。どちらか迷ったがまだ行ったことがない鞆の浦に決めて福山駅で下車する。小雨だが傘をさすほどでもない。駅の案内所で福山と鞆の浦の案内マップをもらってから、まず駅横の福山城を見物する。桜の花もまだ一分咲きかな。昼食は鞆の浦行きのバスに乗る。30分ほどバスに揺られて鞆の浦バス停に着いたころには雨が上がる。曇っているがスケッチ散策はできそうだ(^.^)。

瀬戸内の景勝 鞆の浦
 JR福山駅から南へ14km、半島の先端に位置する鞆の蒲。国立公園として日本で最初に指定された場所のひとつ、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地です。古くから潮待ち風待ちの港として万葉集にも詠われ、国内外との公益で栄えた港にふさわしく、歴史に名高い旧跡や遺構が多く残されている。(案内パンフレットより)


左間近に弁天島のお堂が見える。




今日泊まる鞆シーサイドホテルを過ぎて先に進むと
仙酔島への渡船乗り場がある。渡船は龍馬ゆかりの
”いろは丸”を模している(原寸の1/3らしい)
 バス停には「鞆の浦観光情報センター」がありパンフレットや地図がそろっている。土産物もいろいろ販売している。ここで詳しい案内マップをもらって、まずは海岸通りから町を散策してみよう。



 渡船(往復240円・所要時間5分)で仙酔島へ向かう。船上から景は左が弁天島、中央の小高い所に円福寺(大可島城跡)、右のビルが宿泊予定の鞆シーサイドホテルです。


鞆の浦マップにスケッチした場所を記入しています。
まずは仙酔島で一番高い大弥山へ登ろう・・・
国民宿舎横から登って行くと途中にT字分岐があり
左の中弥山経由して渡船場へ戻るショートコースを行く。
樹林の中で展望はない。



下り道で1から2箇所こんな展望がある程度でした。
一旦渡船場へ戻って案内板から御膳山展望台を知る。
ほんの高台程度だが、下に貼り付けたスケッチのように
素敵な展望がありました。



仙酔島の国民宿舎の浜からの鞆の浦




仙酔島の御膳山展望台から弁天島と鞆の浦を描く
今日は鞆の浦偵察なので、仙酔島はこの程度で切り上げ、鞆の浦の町へ戻ることにする。



渡船乗り場から南、すぐそばの高台のお寺、円福寺へ。
大可島(たいがしま)城跡でした。
 1342年(康永元年)四国伊予を拠点とする南朝と備後一帯に勢力をもつ北朝足利方が燧灘(ひうちなだ)で合戦となり大可島にこもる南朝方は全滅。その後、戦国時代村上水軍の一族が大可島を拠点に、海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎる。 慶長年間(1600年ころ)鞆城を築いたとき陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺はこのころ建てられた。


円福寺の高台からの鞆港
(北側の眺め)



左の写真の位置から鞆港をズームアップ
中央に鞆港のシンボル常夜灯が見えている。
白壁の大きな建物は「いろは丸展示館」です。
左端後方は医王寺です。ここからの展望もいいよ。


弁天島(前方)と仙酔島
円福寺境内からの南側の眺めです。



円福寺の境内から北側に下ると鞆港の県営桟橋に出る。


鞆港の風景




鞆港の風景
常夜灯といろは丸展示館が正面に見える。






いろは丸展示館
後方高台の寺は医王寺です。







常夜灯がある船着場
鞆港の定番の風景です。



重厚なつくりの鞆の津の商家



古い町家がつづく


 途中、鞆の浦名産の保命酒のお店へ立ち寄る。十六味保命酒の歴史は江戸時代初期1659年(万治2年)に始まる。試飲したらすごく甘い、養命酒のような感じだ。中には高麗人参・甘草・桂皮等十六種の薬味がとけこんでいるとか。


この町家はレストランでした。
覗いてみたかったがまだ準備中でした。




 午後4時にチェックイン予約を入れているので、古い町家のある通りを散策しながら鞆シーサイドホテルへ向かう。チェックインして部屋に荷物を置いてから、夕食までの時間を利用して再度町の散策に出かける。まずは町の中心にある鞆城跡の高台へ。ここには鞆の浦歴史民族資料館があり、展望もよい。鞆港のスケッチポイントの一つだなあ。

南側にみえる鞆港
夕暮れ時なので町の偵察だけと思って出かけたので残念ながらスケッチブックは持っていない。
もう午後5時、鞆の浦民族歴史博物館も閉館している。明日の朝スケッチ兼ねて来よう


鞆の浦歴史民族資料館の高台から一旦下って西へ。ふたたび坂道を登って医王寺へ向かう。


医王寺への登り道

桃林山医王寺(真言宗)
この高台からは瀬戸内海が一望できる。また冬には石鎚山をはじめ、四国連山の積雪が遠望できるらしい。


平賀源内生祠
 蘭学者(1728〜79)で、、植物学、科学、劇作など多くの分野で活躍。長崎で学んだ帰り、鞆の浦の溝川家に立ち寄りました。その時、ここで陶土を発見して、オランダや中国の陶法を取り入れた源内焼きの製法を伝えた。生祠(せいし)とは生存中に神としてまつることをいう。

医王寺の境内から鞆の裏の町とその向こうに仙酔島が・・・
ここもスケッチポイントになるなあ。

左の写真から鞆港の部分を拡大しました。
医王寺から右へ。途中に平賀源内の生祠(写真2段上の右)に立ち寄って、海辺まで下る。・




こちらは砂浜が・・・



鞆港へ戻る途中にあった古そうな蔵


大田家住宅(鞆七卿落遺跡)
 江戸時代初めから保命酒の醸造を始め、藩から一手に醸造販売権を与えられた「旧保命酒屋」の建物群で、18世紀中期から19世紀前期にかけての母屋と7棟の蔵が路地に囲まれた広大な敷地に立ち並んでいる。


鞆のシンボル常夜灯といろは丸展示館の建屋
大田家住宅はこの手前にある。



古い建屋が多い町並みがつづく


変わった名前と外観にひかれて写真を撮りました。
営業中でしたがもうすぐ食事の時間なのであきらめる(^_^;)。



めずらしい壁


坂本龍馬宿泊跡



26日早朝ホテルの窓から




朝日に赤く染まった早朝の鞆港
朝食前にホテルの部屋(8階)から描きました。



 朝食後チェックアウトの10時まで荷物を置いて、スケッチブックだけ持って昨日歩いていない安国寺から沼名前神社(ぬまくま)、鞆の浦歴史民族資料館、対潮楼をめぐろう。



安国寺


沼名前神社
安国寺から始まり山麓にはお寺が数珠繋ぎ、そんなに広くない鞆の浦の町には多すぎるなあ。





仙酔島と鞆の浦の町

 高台にある沼名前神社の境内から描きました。スケッチしながら鹿児島の桜島の光景に似ているなあと思いながら・・・


次は歴史民族資料館のある鞆城跡の高台へ。




 資料館を見学してから展望を楽しみながらスケッチしする。たが、風が強くて強烈に寒い・・・そのおかげであっさりと描くことが出来ました(^_^;)



次も昨日時間切れで見学できなかった対潮楼(福禅寺)へ。

 江戸時代の元禄年間(1690年ころ)に創建された客殿で国の史跡に指定されている。座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年(正徳元年)朝鮮通信使李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛し、1748年延享5年)洪景海は対潮楼の書を残している。

仙酔島への渡船場前からの対潮楼

対潮楼殻の眺め

正面に弁天島、その後ろに仙酔島が襖絵のように見られる。


 早朝から歩き回ってホテルへ帰る。午前10時、荷物を持ってチェックアウトしたが寒さに負けてスケッチする。気力がなくなり鞆の浦を後にすることにしました。せっかく一泊してここまで来たのだからと欲張って尾道へ立ち寄ってみよう(^.^)

この旅のつづき ぷらっと尾道ハイキング もあわせてご覧ください。