打下し城跡から長法寺跡トレッキング
(うちおろしじょう・ちょうほうじ)
(滋賀県高島市)
2020・11・21(土)

  今日も先週の・田中城跡ハイキングにつづいて高島市へ。今回も”びわ湖高島「戦国・紅葉ハイキング&トレッキング」イベントの・打下し城跡から長法寺跡トレッキングに参加です。  

 

これから行く「打下し城跡と長法寺跡」は高島駅から西側にあるこの低山です。
 

高島駅での受付
 参加費を払って、お弁当とコース地図をもらう。9:00 コースの説明、ガイドさんとボランティアの方の紹介があり、準備体操をして、登山口のある日吉神社へ向かう。
 

今日のトレッキングマップです。
※クリックすると拡大します。
 

9:20 約6分で日吉神社に着く。
 

日吉神社から左へ、すぐに谷川に沿った山道になる。
 

少し登って行くと金網の柵に、回り込むと扉がある。
 

登山道は「防獣柵」の扉を開けて入って行く。
 

約20分、ここから谷と別れて、左のジグザグ坂道へ。
 

 いきなりの急なジグザグへ向かう。坂、汗をかきながら約25分、やっと尾根に着く。ここが打下城跡への分岐でした。小休止の後、打下城跡へ
 
 
 小休止の間に打下城址についての説明を受けて出発。中主郭から北主郭まで下って行く。
 

北主郭を散策
 その先にある”畝掘”へも案内される。その構造は、土塁と竪堀(空堀)が交互に隣り合っている構造の、戦国時代に築かれた城の防御設備だそうです。




現地案内板
 

現地にあった坂下城の配置図
 打下城跡(うちおろしじょう)
   戦国時代
 この城は大溝古城とも呼ばれ、標高378mの山頂一帯にある。東西270m×南北300mの城域を持つ大規模な中世山城の遺構。直下を通る北国街道を見渡せる交通の要衝。。打下城の建設は永禄年間以前にに国人領主の林氏、また高島氏が関与したものとされるが、元亀年間((1570~1572)、江北の浅井氏か越前の朝倉氏による改修の跡が認められる。その後、織田信長の陣所となったこともある滋賀県下有数の縄張りをもつ山城の一つです。
(※現地案内板より抜粋)
11:15 北主郭散策を終えて、下ってきた城跡を登り返して元の分岐へ戻る。
今度は「長法寺跡」を目指して、一旦山道を登って行く。


 

途中、「馬の足」と名付けられた大岩がありました。
 

11:40 展望のある鉄塔下に着く。

 

鉄塔下からの琵琶湖の展望です。



 この展望の素晴らしい鉄塔下で注釈タイムとなりました。お弁当はオプションで注文した「高島竹の腰弁当」です。竹の皮に包まれたおにぎり弁当を展望を楽しみながらいただく。

12:15 昼食&休憩の後、 長法寺跡を目指して下って行く。
 


琵琶湖の展望
対岸は近江八幡市、左手に沖島と津田山、長命寺山が見えている。
(長法寺入り口近くです。)


 

一気に下ってきた方向をふり返る。
 

 下山道右手の展望です。遠方に霞んで見えているのは比叡山です。晴れ間が戻って暑い。


長法寺跡に到着する。

  

庭園跡?


 

現地にあった案内板より

長法寺跡(平安~室町時代)
  、長法寺は山門三千坊の中でも特に高島七ケ寺中の名刹です。創建は「比叡山護国縁起」によると嘉祥二年(849)とあります。往時は大伽藍で所領も多かったようだが、約100年後、織田信長に焼き討ちされて廃寺となったとする説がある。
 本尊といわれる木造の薬師如来坐像(重文)は近隣の音羽村に伝えられ、現在は大津の琵琶湖文化館(※現在休館中)に寄託されている。
 寺跡(150m×150m)には、本堂跡をはじめ、小牢跡、参道の石垣、坊跡や石造り遺物が数多く残されている。 ・・・高島町観光協会の案内板より抜粋。
 

現地にあった案内板より




※この長法寺跡全体図はイベントの参考資料です。
 

四角形に石積で囲まれている。水槽跡?
 

案内のボランティアガイドさんは手水と説明
   
石垣が続いている。



長法寺跡を散策した後、その下側に位置する「長法寺城跡」を歩いてから下山する。
   
 長法寺城跡からは、どんどん下って行く。七町坂を下りきると、今度は急坂のジグザク道、七曲りでした。ジグザグ道が終わると、一気に視界が開ける。





棚田と琵琶湖が見える風景

(※現地で撮った写真から、自宅で描いた絵です。)


 

  ここはトレッキングのゴール(JR近江高島駅)手前で、下山してきたところの風景です。琵琶湖、その手前にある”乙女ヶ池”が望めます。対岸は湖東地区、日本百名山の「伊吹山」が見えている。



14:30 今日の史跡めぐり&トレッキングは無事に近江高島駅に帰り着きました。 
けっこう歩きごたえがありました。