青春18切符旅ー4
2018・3・24
青春18キップの4枚目は、醤油発祥の地で知られる和歌山県の湯浅にきめました。目的は湯浅にある「重要伝統的建造物群保存地区」でのスケッチです。午前6時過ぎの電車で守山を出発、大阪で紀州路快速に乗り換えて和歌山へ。そこから御坊行きの電車で約3.5時間かかって湯浅駅に着きました。以前に一度訪問している湯浅なので観光案内の資料やマップなどは用意していない思いつき旅です。そこで湯浅駅で観光案内のパンフレット数種をゲットゲットして今日の予定を立てる。案内資料で目を引いたのは湯浅の街散策ではなく、「有田地域・駅からウオーキング」でした。それは”熊野古道と万葉の道(11km)”ウオーキングでした。もう、出発時の目的、町中スケッチは飛んでしまいまいました。 |
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10:00 JR紀勢本線の湯浅駅に着く。
湯浅へは12年前に一度”青春18キップ旅”で来ているので町の様子はだいたい憶えている。その時は熊野古道のことよく分からず見逃してしまいましたが、「久米崎王子跡」だけは訪れていました。その時の旅日記「醤油のふるさと湯浅」(2006/04/04)を参照ください。 |
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歩こうと決めた「湯浅のウオーキングマップ」です。
上図をクリックすると拡大図になります。 |
駅からすぐにあった果実店で水分補給用にミカンを買う。
沢山の種類のミカンが並んでいる。さすがミカン県だなあ。 |
町中にはこんな道標があり、わかりやすい。
まずはマップにある立石茶屋をめざす。 |
弁当と水かお茶を買いたいが、町中にはコンビニはないと聞く。路地を行くと”つるや”というお店があり、店頭に饅頭が並んでいる・・・。覗き込むと弁当が別コーナーにあった。 |
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後はお茶か水を買いたいが、町中には自販機が見つからない。駅から10分ほどで立石茶屋に着きました。湯浅名産品の展示販売とあるが、覗いてみたが誰もいない。 |
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立石茶屋の斜め向かいに熊野古道の石柱があり、「東:きみいでら・すぐ熊野古道」と刻まれている。説明板には「熊野道は江戸時代 熊野三山への参拝道として栄えた街道である。当町内では、糸我(いとが)峠-逆川(さかがわ)王子(吉川)-方寸峠(方津戸(ほづと)峠-道町(この地点)-久米崎(くめざき)王子を経て、広川町鹿ヶ瀬峠を越え遠く熊野に至る。この一角は、昔、聖護院熊野及び三宝院の門跡が熊野入峰の道中、護摩を修した跡と伝えられている。 この道標(立石)は、天保九年(1838)の建立で、紀三井寺、伊勢、高野への参詣道を表示したものである。」 |
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深專寺(じんせんじ)
立石道標から西に入ると、法皇、上皇の熊野行幸の際に仮行在所として充てられたお寺があるので立ち寄りました。 山門の左側には「大地震津波心得の記」の石碑がありました。
※嘉永7年(安政元年・1854年)11月4日(新暦12月24日)の「安政東海地震」(M8.4)とその32時間後の「安政南海地震」(M8.4)が連続して和歌山を襲いました。強烈な揺れを繰り返し、ついには、ここ湯浅地区や隣町の広村も大きな津波に襲われました。
地震発生2年後、安政三年、深専寺住職善徴上人(承空上人)の代にこの碑が建立されました。全文528文字は平易な仮名交じり文です。 |
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深專寺の境内
お寺のすぐ先を右折して重伝建地区へ向かう。 |
湯浅おもちゃ博物館
重伝建地区へ向かう途中にありましたが、パス。 |
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重伝建地区の北町の通りに着く。はじめの目的はここでゆっくりスケッチをするつもりでした。お茶を探していたら通りの中の古民家があり、ガラス戸越しにお茶やジュースが並んでいる。ご主人に自販機やコンビニが見つからないというと、景観を大事にしている湯浅の中心部では、外には置けないのですよとの返事が返ってきました。納得。
さあ、もう一つの湯浅の顔、大仙掘にある醤油蔵を見に行こう と山田川沿いに出ました。ここは湯浅湾に注ぐ山田川河口の内港で、建物は江戸時代のものだそうです。 |
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大仙掘の醤油倉
醤油を倉から積み出し船に積むための堀でした。 |
大仙掘と道路を挟んで流れている山田川
このすぐ先は湯浅港になっている。 |
湯浅の町中見物はこれでおわり、いよいよ熊野古道歩きに・・・。 |
山田川に架かる北栄橋を渡って山田川の右岸を行く。 |
道標に従って川から離れて山手へ |
逆川王子へ向かう熊野古道の途中で出会った満開の桜。
ここは南紀、滋賀より暖かいから桜の開花も早いなあ。
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登り道を約15分、方寸峠(方津戸(ほづと)峠に着く。
歩いてきた古道は左の道です。返り撮っています。先ほど散策した湯浅の町が見えている。 |
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方寸峠から逆川王子までは下り道。
湯浅の一つ手前の駅、藤並の町が望める。 |
道標に従って湯浅町吉川へ入って行く。
熊野古道は正面の山を越えていくのだろう。 |
熊野古道は直進。
逆川王子はここを左折するとすぐにある。 |
逆川王子
お参りをして熊野古道に戻る。 |
登り坂の古道から振り返ると
先ほど超えてきた方寸峠が見える。 |
ミカン畑が左右につづく山道
勾配がきつくなって汗が噴き出してくる。 |
右端の山上にはミカン畑の灌漑用水タンクだろう
まだ登りがつづくんだ。 |
ふり返るとこんな展望が・・・
ずいぶん登ってきたのだなあ。 |
右手には湯浅湾が望める。
マップを見ると頂上の糸我(いとが)峠はもうすぐだ。 |
12:16 糸我(いとが)峠に着く。
道標にはここを左へとある。 |
道は糸我峠からまだ少し登って行くようだ。いままでしっかりした熊野古道の道標も見当たらない。案内板には道標には万葉の熊野古道、栖原海岸へ約5.5kmとある。
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その横の新しい案内板と、あらっぽいウオーキングマップの現在地とは少し違っているみたいだが、とりあえず栖原海岸を目指して進もう。 |
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山道から右手に紀伊宮原方面らしい展望がある。湯浅に戻らず、紀伊宮原へ向かう熊野古道を歩こうと気持ちが変わるが、手持ちのウオーキングマップにはこの先の熊野古道が書かれていない。探しながら歩いてくことにする。 ※後から確認したら、見えている橋は宮原橋で、その向こうが紀伊宮原駅で推測どおりでした。 |
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12:28 マップにある鹿内坂に着く。
万葉の熊野古道の道標には鹿内坂峠(昔の登り口)とあるが、ここからのルートはマップには書いていない。案内板の右手に小さな祠があり、役行者の石像がありました。熊野古道も見つからないので、紀伊宮原へ下山するのはあきらめてマップに従って栖原海岸へ下ることにする。 |
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さらに道なりに下って行くとマップにある「和同開珎」発掘の地に着く。和同開珎は奈良時代の通貨、11枚が貝の中に保管された状態で発掘された。当時奈良、飛鳥時代に都人が遠方に旅をするとき、無事に家に帰れることを願って、銭を土中に埋めて旅立ち、遠距離に及ぶときには旅の途中にも埋めたことがあったという。 |
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マップにある道に従ってミカン畑の中のややこしい道を下山してきたが、ちょっと様子がおかしいことに気づく。マップにはこんな池がない。 |
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湯浅湾が望めているので、このまま下ることにしました。 |
ミカン畑で見えるオレンジ色はミカンそのものではなく、一個づつオレンジ色のネットをかぶせている。ミカンづくりも大変だなあ。 |
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スケッチしたくなる風景ですが、ここは歩きに徹してどんどん下って行く。
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施無畏寺が見えてきた。
マップにあるコースではこのお寺のそばの道だから、ちょっとコースを外れていたのだなあ。施無畏寺は13世紀創建の古刹です。 |
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ウオーキングマップでは施無畏寺から栖原海岸へでて海辺を歩いて湯浅の町へ帰るコースですが、おおざっぱなマップでは道がよく分からない。地元の人に湯浅の町への道を教えてもらって、県道20号線を歩いてショートカットで湯浅に戻りました。 |
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湯浅港
栖原から歩いてきた県道20号線が通っている峠道が見えている。 |
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湯浅港
山田川上流方向を写しています。右手の建物が大仙掘の醤油倉です。まだ時間もあるので、ここで遅い昼食をとりました。 |
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廃船
湯浅港で昼食の鮓弁当を食べながら、傍にあった漁船(廃船)をスケッチしました。
この日描いたのはこの一枚だけ、湯浅へ来た最初の目的の「重伝建地区」でのスケッチはできませんでした。
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湯浅の海
気持ちの良い海風に吹かれて海岸を散策してから湯浅駅へ |
15:55 湯浅駅から和歌山行きの電車で帰宅の途に就きました。 |
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