繖山から観音正寺

2005・2・25

 
標高432.9メートルの繖山(きぬがさやま)、別名観音寺山にある西国三十二番札所・観音正寺で副住職さんと3年ぶりのうれしい再会ができました。沖島でお会いしたのが縁でお寺を訪問したときは、平成5年に焼失した本殿の復興中で建設中の本殿を案内してもらいました。
 今回は本殿が完成、昨年(平成16年5月)落慶法要されたされていました。その本殿で、世界でもほかに例をみない総白檀、丈六の千手観音菩薩さまをご好意でスケッチさせていただき感謝しています。






落慶法要された本堂






総白檀、丈六の千手観音菩薩さま

観音像は白檀にて像形を作るべし
されば全ての罪障を除滅し、

一切の不吉祥は吉祥に転ずるなり


観音正寺のHPはこちら





近江風土紀の丘、安土城公庫博物館前から繖山



 
 繖山の三角点は蒲生郡安土町、神崎郡五個荘町、能登川町の三町をまたいでいる。山頂近くには観音正寺、佐々木六角氏の観音寺城跡がある。

今日は桑実寺から登ろうと、その石段を行くと山門があり鎖がかかっている。拝観と山頂へは少し手前の住職宅へ申し込みに行かなければならない。面倒なので近江風土紀の丘へ戻り、安土城博物館の駐車場へ車を止めて、繖山遊歩道から登りだす。





桑実寺の山門
ここまで登り引き返す。

2000年10月にこのコースを歩いています。


繖山遊歩道入り口(13:55)
3年前は今日の逆コースを歩いてここへ下山しました。
桑実寺1.5km 観音寺城跡2.9kmの表示がある



左図は今回歩いたルートです。
登りだしは竹藪だが少し登ると日当たりと展望のある裸山になる。3年前に歩いたときよりだいぶ回復はしているが・・・・
そのときの様子はここをクリックしてください。
(2002年3月30日)





登りだしの竹藪道









すぐに裸山の道になる。真下に安土城考古博物館の建物が見える。中央遠方に霞んでいるが三上山が・・・(14:08)
この少し先に送電線の鉄塔があり、T字の分岐になっている。左へ行けば稜線をたどり安土城城址へ下れる。




14:14 頂上近くまではこんな山肌です。禿山と急な木段が見える(右の写真)。その奥の木立辺りが頂上のようだ。少し歩くと桑実寺・観音寺城跡への分岐(右へ)がある。






中央に横たわっているのは織田信長の安土城があった安土山。その後方に西の湖、長命寺山と津田山が霞んで見える。(14:17)

14:27 桑実寺への分岐を右に見てさらに急な木段の道を登る。





禿山の急な登りの末、樹林帯に入るとすぐに三角点がある。繖山の頂上だ(14:41)。

 三角点からは須田方面へ下山する道、雨宮竜神・猪子山(北向き岩屋十一面観音3.4km)、観音寺城本丸跡・観音正寺(0.6km)、地獄越え1.2kmで石馬寺方面へとバリエーションに富んでいる。



三角点からはこのようなフラットな道が続きます。

14:47
 ちょっとした砂地の広場に出会う道は左右に分かれているが、ごとらも観音正寺への道でとありループになっているようだ。わたしは右の観音寺城跡のコースをとりましたが、荒れていて表示もなくわからないまま観音正寺に着きました。





観音正寺に向かって少し下ってくると荒れた竹薮の中に石垣が現れてくる。佐々木氏の城跡なのか・・・



観音正寺の境内。昨年5月に落慶法要された本殿がまぶしい。
(14:58)


 本堂のスケッチをしていたら修行僧の方が声をかけてくださいました。3年前の副住職さんとの出会いのお話をしたら、副住職さんが連絡を受けて会いにきてくれました。

そこで本堂の千手観音さまをスケッチするご好意を頂き、
はじめて仏像を描く貴重な経験をさせていただきました。
感謝




観音正寺の護摩堂、修験根本道場








16:00 寒くなってきたので下山する。
石寺への正面参道の急な石段を300mほど下り、九丁目の駐車場から舗装路を歩いて鳥打越えから近江風土紀の丘へ戻りました。

16:38 駐車場着