秋のOB会ハイクで光秀ゆかりの亀岡へ
2019・11・20

 来年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公・明智光秀ゆかりの地・京都府の亀岡市でした。”ふるさと亀岡ガイドの会”のボランティアガイドさんの案内で、光秀が築城した亀山城跡と、市内に残る・内堀・外堀・惣堀遺構などを散策してきました。奇麗に整備された亀山城跡、紅葉がとても綺麗でした。




10:30 JR亀岡駅出発、駅前の道を直進する。


突当りに見えている森が亀山城跡です。
 

案内いただく亀岡散策コースと見どころです。
”ふるさと亀岡ガイドの会”


 

明智光秀公の銅像としゃちほこ
南郷池の後ろが亀山城跡の杜です。


 

お堀を思わせる南郷池
中の島の紅葉が目に鮮やかです。
 

丹波亀山城跡の入り口
とても綺麗に整備されている。
丹波亀山城の由来
 天正5年(1577)頃、織田信長の命を受けた明智光秀が、丹波攻略の拠点として築城した。本能寺の変後、豊臣政権下では、その重要性から城内や城下町の整備がなされ、次いで江戸時代に入り、幕府が西国大名に命じ、天下普請により近世城郭として大修築がなされた。
 しかし、三百年余り続いた丹波亀山城も明治初頭の廃城令を受け、天守はもとより、全てが払下げられ、多くの遺構や石垣までもが切り売りされ、各地へと散っていった。

 荒れ果てた城址を大正8年(1919)、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖・出口王仁三郎師が買い取り、信徒を動員して、残った石を掘り起こして、元の亀山城石垣を復元した。そして、自然あふれる大本の聖地「天恩郷」として亀山城址としてよみがえらせ、現在に至っている。
 
 ※ いただいた宗教法人「大本」の案内よりチラシより一部転載させていただきました。 
 

宗教法人「大本」の施設
 ここを左へ行き、”みろく会館”でゆっくり休憩・昼食をさせてもらいました。とても立派な施設でした。
 

天下普請の石垣
ガイドさんの説明を受けるOBメンバー
どこの大名か、石に刻印が刻まれていました。
  

素晴らしい紅葉の中にたたずむ教団の施設「万祥殿」
 

「万祥殿」の向い側にも素晴らしい紅葉が見られる。
 

天守への石段
残念ながらここからは、教団の聖域になっていて入っては行けなかった。
 

天守への回り道
 

ここも紅葉が綺麗でした。
天守間近まで行けるが、ここからも入って行けませんでした。
 

いい雰囲気ですが、ここから先へは入れない。


丹波亀山城本丸跡の石垣散策コースを終わって城下町へ。
  城下町散策では王地山稲荷・古世親水公園(外堀跡)・称名寺(和泉式部の墓)・宗堅寺のお土居(惣掘跡)・聖隣寺(信長の供養塔)・坂部児童公園(惣掘跡)・光忠寺の河岸段丘(天然のお土居)を回って、14:30予定通りにJR亀岡駅に着きました。



 この後、トロッコ列車に乗って、紅葉見物しながら嵐山へ行く予定でしたが、紅葉シーズンで40名の団体では予約切符がとれませんでした。・・・ということでここJR亀山駅で解散となりました。幹事さんからトロッコ列車の代わりに嵐山の「天竜寺の紅葉見物」を案内しようという提案があり、有志15名ほどで行くことにしました。


 

ここまでは何度も来ているが、拝観はしたことがない。
 

はじめて入った天竜寺・・・
 

時代劇の映画などで見ていた光景が・・・。


天竜寺境内でも、色鮮やかな紅葉が見れました。


******* 参 考 ******

明智光秀が織田信長を討つため、丹波亀山城から京都本能寺へ三つの道で進軍しました。
・唐櫃越(山本城跡(如意寺))・明智越(保津峡跡)・老ノ坂峠越です。

私は「明智越」と「唐櫃越」の二つの道を歩きました。

・明智越 2005年11月3日

・GPSナビゲータで唐櫃越 2004年3月23日