山の辺の道を歩く
奈良県桜井市から天理市へ
2020・10・27

 三日前、思い立って”山の辺の道”にある黒塚古墳、崇神天皇陵、長岳寺から龍王山を歩きました。帰宅してから、私のホームページの記録をチェックしたら、以外にも山の辺の道を通して歩いていない。ということで、今日は”山の辺の道”基点の桜井駅からゴールの天理駅までを完歩しようと出かけました。 

 

近鉄桜井駅
10:20 近鉄の”てくてくまっぷ”をゲットして出発。
(山の辺の道美化促進協議会の案内チラシより転載)
 山の辺の道は、三輪から奈良へと通じる上古の道。大和平野には南北に走る上・中・下ツ道の官道があり、それぞれ7世紀の初めころに造られた。上ツ道のさらに東にあって、三輪山から北へと連なる山裾を縫うようにして伸びる起伏の多い道が”山の辺の道”である。現在、その道をはっきりと跡付けることはできないが、歌垣で有名な海柘榴市(つばいち)から三輪、景行、崇神陵を経て、石上から北上する道と考えられている。その大部分は東海自然歩道にに指定されている。中でも古代の面影をよく残し、万葉人の息づかいを伝えるのが桜井市金屋から天理市石上神宮までの約12キロ。古社寺、古墳、万葉歌碑、多彩な伝承の舞台などが展開し、知らぬ間に歩く者を古代の幻想の世界へと誘ってくれる。

 

 近鉄の”てくてくまっぷ”
※マップをクリックすると拡大できます。
 

今日は快晴、ラッキー
ルートマップに従い、駅前の大通りを北へ向かって歩く。
 

 桜井駅から約25分、大和川に架かる大向寺橋に着きました。これから向かう大神神社のご神体、三輪山がよく見える。
 

 大向寺橋の上から右手、大和川上流方面の眺めです。橋を渡ったところにある「道標」には長谷寺へ5.7kmと案内されていました。
 

仏教伝来之地碑
 

海柘榴市観音堂(老朽で立て直された)
  橋を渡って右折、少し行くとこの碑があります。欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金剛仏一体と経論などを献上、日本へ最初に仏教を伝えたと言われている所だそうです。
 仏教伝来之地碑から集落の中の細道を行くと海柘榴市観音堂(つばいちかんのんどう)がある。この一帯を日本最古の市があった海柘榴市跡と呼び山の辺の道の南の起点、到着点だそうです
 

集落の中の道からを細道に入って行く
と金屋の石仏が納めてある小さなお堂に着く。
 

金谷の石仏
 

格子窓から覗いて写した石仏(高さ2m)の写真です。
左:弥勒如来像 右:釈迦如来
 

金谷の石仏を過ぎるとこんな鬱蒼とした道になる。
 

11:20 三輪山「平等寺」に着く。
 

 平等寺は、聖徳太子の開基と伝えられている。立派な本堂前からの不動堂と二重塔(釈迦堂)です。
 

大神神社
平等寺から約5分で大神神社に着く。


 

大神神社の本殿
ご神体は本殿後ろの三輪山です。

 

大神神社境内にある狭井神社(さいじんじゃ)に向かう。
 

狭井神社に着く。
 狭井神社は三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いといわれている。 この時は登山する時間な余裕がなくてパス。興味のある方は、2004年1月にこの神社境内から三輪山へ登った記録をご覧ください。 ⇒ ・神体山として信仰されている三輪山  




  狭井神社から近くの智恵の神様、久延彦神社 (くえひこじんじゃ)に立ち寄る途中、展望台から眺めた光景です。 大神神社の大鳥居と山と三山の一つ、耳成山が眼下に見える。その後方は葛城山です。

 

展望台から久延彦神社 へ下り、お参りして石段を下る。
 

石段下にあった茶店で名物「三輪ソーメン」の昼食です。
展望につられて、山の辺の道からそれてしまいました。そのお陰で、三輪名物のソーメンを満喫できました(^^;)。
茶店の方に聞くと、”山の辺の道”に合流するには、ここからもう一度登りなおして狭井神社まで行くことになりました。

 

  12:30 昼食後、山の辺の道に戻って、桧原神社へ向かう。ここから0.8kmとある。
 

すぐにこんな山道になる。

 

 12:45 茶店から約25分、桧原神社に着く。神社前には広場があり、ハイカー達が休憩していました。
 

 桧原神社では急消せず、先を急ぐ。道標には「景行天皇陵」まで3kmとある。
 大和の青垣
 「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和し 美(うる)わし」と古事記にうたわれた。奈良盆地は遠くに見える生駒山地や矢田丘陵すぐ手前の景行天皇陵、さらに右手の巻向(まきむく)、三輪の山々など幾重にも緑のより垣根に囲まれたようになっています。こうした環境を守るために、このあたりは大和青垣国定公園に指定されています。・・・・この道にあった案内板からの転載です。
 

上記の「大和の青垣」カンバンのあったところの風景です。
 

登り道はここで終わり、Uターンして下って行く。
 

集落沿いに下って行くと二股があり、道標に従って右へ。


下ってきた道をふり返ると巻向山が見える。
山の辺の道は、ここからまた登り道になる。  
 

13:10 開けた小高い場所になると展望が開ける。
 

景行天皇陵の横を行く。


 

景行天皇陵


 

※景行天皇陵傍にあった案内板です。
 

景行天皇陵から約10分、今度は崇神天皇陵が見えてくる。
 

休憩ベンチがる。
 

左は景行天皇陵正面へ、ルートは陵墓の上側を直進。
  崇神天皇陵手前はこんな高台で見晴らしがいい。ここは三日前、龍王山から下山してきた地点だ。
ここから長岳寺までは二度目の道となる。案内板には行燈山(あんどんやま)古墳となっていてまぎらわしいが、
詳細を読むと現在は宮内庁管理の「崇神天皇陵」とありました。
   

案内板にあったの崇神天皇陵の航空謝意です。
道から目線で見ると、陵墓はこんもりとした森にしか見えないが、航空写真では一目瞭然ですね。

  崇神天皇陵右横の小型の陵は案内板に、「史跡 櫛山古墳」とありました。昭和23年(1948)からの発掘調査で、後円部の墳上から竪穴式石室と石棺の一部と埋葬品が見つかる。昭和63(1988)年の前方部北側での発掘調査では掘割の遺構が検出され、口縁(こうえん)を鋸歯状に整形した楕円筒埴輪がまとまって出土した・・・とありました。


 
 

櫛山古墳と龍王山頂上
 

13:45 長岳寺山門
 

長岳寺山門から集落を通り抜けて野道へ・・・。

 

「衾道の歌」柿本人麻呂の万葉歌碑
後方の山は龍王山です。
  「衾道を 引手の山に妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」

※妻を亡くした柿本人麻呂の悲しみが歌われています。


 

念仏寺
山の辺道はこのお寺の右側を抜けて行く。
 

14:00 萱生(かよう)環濠集落に着く。
左手は西山塚古墳です。


 

生駒山展望
萱生(かよう)環濠集落から次の竹之内環濠集落へ向かう途中での展望です。



14:20 次の環濠集落、竹之内に着く。
   
 萱生と竹之内の環濠集落は奈良盆地内で最も高い場所に造られた「環濠集落」だそうです。環濠集落とは、外敵から身を守るため周りに濠を巡らせた集落のことで、その始まりは室町時代に遡ると言われています。





竹之内環濠集落スケッチです。写真(左上)の場所です。


 

ルートはこの夜都伎(やとぎ)神社を左手から回り込む。
 

夜都伎神社を過ぎると登り坂になる。
 

かなり急坂の道、ここでちょっと道に迷ったが・・・
かなり疲れていて足が重い。
 

柿畑が広がる。
何とか高台の坂道を越えて下り道になってホッとする。
 

下ってきた内山永久寺跡から下ってきた方向をふり返る。
 

15:00 やっとゴール「石上神宮」の境内へ。




石上神宮

  石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
                       ※石上神宮のHPより転載させてもらいました。


 

石上神宮の本殿にお参りする。
 

石上神宮の参道と大鳥居
 

天理教本殿を通り抜けて天理駅へ。

  15:40 ゴールの天理駅に着きました。天気も気分もよく十分に山の辺の道を楽しめました。しかし、山の辺の道と呼び名はロマンチックですが、けっこうきつい山道もあって約16kmの距離は、コロナ禍で体力低下の身ではかなり参りました。