日本三大山城「美濃岩村城」を訪ねる。

2018・3・3

  三月に入ったので「青春18キップ」が使える。遠出も交通費を気にしないで済む・・・。ということで、さっそく名古屋へ。守山区にある”ギャラリーカフェヌノ”で開催されている”のりづきとしお”さん(絵友達&FB友)の「新春水彩展」を見に行くことにしました。この時点では午後の予定は未定でした。
 7:25 JR守山駅から快速米原行で出発。米原駅で豊橋行新快速で名古屋へ向かう。名古屋で中央本線の高蔵寺行きに乗って大曾根駅に着く。すぐ傍の名鉄瀬戸線の大曾根駅から普通電車に乗り換え、約3時間かかって、最寄りの印場駅につきました。



印場駅から北に向かって歩くこと約20分で守山区百合丘のギャラリーカフェヌノに迷わずに無事到着しました。


カフェヌノさんのお洒落な玄関



 カフェヌノでは絵友達の井手典子さんの絵教室中でした。来週、名古屋市栄のギャラリーで開催する教室展の作品の追い込みで忙しくされていました。



 美味しいコーヒーをいただきながら、今日が最終日というのりづきさんの「新春水彩展」の素敵なタッチの作品を見せてもらいました。
  午後には法月さんが来られるようだが、一日を有効に使うため次の目的地へ行くことにしました。井手さんに挨拶してカフェヌノをでる。ここから徒歩約1時間でJR中央本線の「神領駅」へ行けると聞いたので、愛知へ来たら前から行きたいと思っていた恵那の「岩村城跡」を訪ねよう。

 

県道213号線を多治見方向へ向けて歩きだす。
 

途中、庄内川を渡る。
 

やがて、JR中央本線に突き当たる。
神領駅はここからJR線路に沿って右へ・・・。
 

JR神領駅
12・25 予定通り約1時間歩きで着きました。

 タイミングよく来た電車で多治見へ。中津川行に乗り換えて恵那へ向かう。・・・しかし、途中で居眠りしまい恵那駅を乗り越してしまう。しかたなく、終点の中津川まで行って引き返しました。やっと恵那駅に着いたが、乗り換える「明智鉄道」の列車は午後2時台はない。次の電車は3時5分発だ。岩村までは30分かかる。山城に登るにはちょっと時間的に遅いが、せっかくここまで来たのだから諦められない。行くことに決めて、約一時間の待ち時間を中山道「大井宿」散策で時間つぶしをしよう。
 

恵那駅前のメイン通り
降り立った恵那駅は正面、突当りです。
 駅前通りから左へ折れて中山道に入る。



大井橋(阿木川)から望む恵那山
                          中山道大井宿
 大井宿は江戸から87里(344Km)、46番目の宿場で、京都へは47里余(188Km)のところにある。中山道と名古屋・伊勢に向かう下街道の分岐点である槙ヶ根追分に近く、中山道の旅人のほか、伊勢参り・善光寺参りや尾張商人、尾張に向かう木曽の牛馬の荷などが通り、美濃16宿中随一の繁栄を誇っていた。
 大井宿は、東から横町・本町・竪町・茶屋町・橋場という5町に別れ、東の高札場から西の大井橋まで6丁半(710m)あった。それぞれの町は街道が直角に曲がるいわゆる枡形によって区切られていた。大井宿ではこの角が6ヶ所あって、中山道随一の整然とした町割りを形成していた。


宿役人の家 戸長役場跡
 

大井宿本陣
 戸長役場(こちょうやくば)とは、明治時代初期に戸長が戸籍事務などを行った役所のこと。現在の町村役場の前身にあたるそうです。
 

五妙坂と大井宿高札場 
 

上宿石仏群  
 

大井宿の甚平坂(高台)からの恵那市街展望
中央の道は今歩いてきた旧中山道です。
 

旧中山道を横切る明智鉄道のディゼルカー
このディゼルカーに乗るので恵那駅へ急いで戻る。


  JR恵那駅と隣り合わせの明智鉄道のプラットホームに着くと、
先ほど見た明智行のディゼルカーが待っていました。
 

明智行のディゼルカーは一両編成です。
15:05 こんな遅い時間でもお客でいっぱいだ(@_@)
 

明智鉄道の線路は岩村まで結構な勾配がつづく。
両サイドの田の段差を見ればその勾配がよくわかる。




明智鉄道の線路は 標高500mまで登って行く。


15:35 岩村駅に着く。
駅で案内マップをゲットしてお城跡へ急ぐ。

 

駅から城跡への岩村城下町を行く。
道は緩やかな上り坂です。
 

今日は3月3日ひな祭り
あちこちの古民家にはお雛様が・・・
 

その中で、珍しい舘(やかた)びなが目についた。
こんな飾りの雛飾りは初めて見ました(@_@)。
 

この城下町の突当りの山頂に岩村城跡がある。





岩村本通り・城下町
ここ商家の町並は「重要伝統的建造物群保存地区」になっている。



時間がないので、商家の見学はパスして、岩村城址へと急ぎました。
美濃岩村城
(岐阜県恵那市)
  岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城です。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。
この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。
700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものなのです。 出典: いわむら観光協会のHPより
 

岩村城址の案内マップ

本丸は標高717mの山頂にある。
(岩村駅からの標高差は約200m)
時間は午後4時、急いで登らないと日が暮れてしまう。
 

藩主邸表御門と太鼓楼が見えてきた。



登城口
城跡への石畳がはじまる。
 

本丸まで400m(標高650m)の道標がある。
 

一の門
 

急坂の石畳道から鬱蒼とした道になる。
 

16:20 本丸まで200m(標高680m)
 

大手門
すぐ先右手に霧ヶ井がある。


 

霧ヶ井
 霧ヶ城といわれるもととなった井戸。敵が城を急襲したとき、この井戸へ城に秘蔵の蛇骨を投げ入れると忽ち霧が立ち込め城を覆い隠したという伝説があります。岐阜の名水50選に認定されている。





六段壁
 岩村城の特徴ともいえる「六段壁、もともとは段差のない高石垣だったが、崩落を防ぐために格段に犬走が設けられた。この上が本丸です。



 
 

本丸
江戸時代の府城の中では、最も高い標高717mに位置している。




時間は午後5時、あたりが薄暗くなってきた。急いで下山する。
 

城下町にはもう人影がなく、明かりが着いていました。
 

岩村駅まで無事戻れる。
 普通列車を乗り換え乗り換え、午後10時過ぎに守山へ帰り着きました。
なが~い青春18切符旅の一日でした。


***** 参照ページ *****

日本三大山城の旅HPをご参照ください。

・高取城跡と高取山 奈良県高市郡高取町(2017/05/18 )

・18切符で天空の城、備中松山城へ 岡山県高梁市 (2013/08/22 )

・壺阪寺から高取山(高取城跡) 奈良県高市郡高取町(2005/05/11)

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※ お城に興味のあるかたへ、
下記ページ目次より、私の訪問した「お城と城跡訪問記」をご覧いただけます。

 お城と城跡めぐり