スケッチ画家・寺田みのるさんと行く
”早春の瀬戸内スケッチ旅”
室津(むろつ)
一泊二日2日目(2013・3・17)
 3月16日~17日、スケッチ画家・寺田みのるさんの”早春の瀬戸内スケッチ旅”に参加してきました。早朝、素晴らしい朝日がホテル万葉岬の窓から見える。今日も素晴らしいお天気になるだろう。午前中の訪問先は兵庫県たつの市御津町室津です。そこは播磨灘に面する港町・漁港です。




日の出
早朝、ホテル万葉岬の部屋からスケッチしました。
3月17日(日)





万葉岬の朝
お天気も良く気持ちもよい朝だ。
8:30 ホテルで朝食をすませて室津へ向けて出発。


国道250号線で海岸沿いに30分ほど走るとあっという間に室津港に着きました。昨夜泊った「ホテル万葉岬」が金ヶ崎の小高い稜線に見えている。

室津漁港の風景




滞在は2時間ほどなので後悔しないように、街並みを散策する前に一枚スケッチをしました。




漁船にとまっているアオザギは室津港の主を主張しするように、まるで銅像のように動かない。








室津の観光マップ
散策したルートを赤線で示しています。





左手の古い建物は「室津海駅館」です


室津の街並み
廻船問屋で富をなした豪商「嶋屋」の建物を修復し、平成九年に資料館として開館。失われて行く文化財を保存し、活用することを目的した建物です。海の宿駅として栄えた室津を知ってもらうように、廻船、参勤交代、江戸参府、朝鮮通信使を展示している。

室 津」


 室津湾の、更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられる。 奈良時代に高僧行基によって摂播五泊「河尻(尼崎)、大輪田(兵庫津)、魚住(明石)、韓(的形)、室津」の一つに定められた。

 江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となった。通常、宿場におかれる本陣は1軒から2軒なのに、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。






参加メンバーのM氏が熱心に街並みをスケッチしている。私もう一枚くらい描こうと街並みを歩いていく。



徳乗寺
 左の路地奥に狭い急坂が見える。なんとなく上まで登ってみよう。階段がつづいていて絵になりそうだ。





室津の街並みでであった坂道
 坂道に入るとお地蔵さん?が迎えてくれる。スケッチしていると野菜の苗をかごと小さな鍬をもったおばさんが声をかけてくれる。これからこの坂道の上にある畑へこの苗を植えに行くところらしい。住んでいるのは下の街並みなので畑作業は大変ですとの返事でした。
私も絵を描いてから坂道を登ってみよう。





お地蔵さんの少し下でスケッチしてました。


坂を登るにつれて室津の町や港が開けてくる。



坂の頂上付近まで上ってくると、なかなかの展望だ。






街並みを行くと小高い森(明神山)が見えてくる。この森のてっぺんに加茂神社があるらしい。


鳥居をくぐると立派な表門(四脚門)があり、本殿のある境内に入る。



平清盛もお参りしたという威厳のある加茂神社の本殿

 京都の上賀茂神社と同じ五社造りで、同じ祭神を祀っている。紋章も同じ二葉葵です。本殿は三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)、高床、桧皮葺で五社が並んでいる。1180年、高倉上皇や平清盛が厳島詣での折、この地に立ち寄り、神前に祈願した際、古びた五・六棟の社殿が立ち並んでいたと「高倉上皇厳島御幸記」に記されています。岬のうっそうとした森につつまれた五棟の社殿は流造り、檜皮葺きで、それを囲む回廊と唐門とともに国指定重要文化財です。



 江戸参府時にシーボルトが訪れ参籠所から播磨灘の展望を絶賛するなど景勝地としても有名です。




賀茂神社と室津港に浮かぶ帆船が描かれている。
境内にあった「播州名所巡覧図絵」から転載
大阪から赤穂までの地名や旧跡の由来を書いた、当時の旅行案内です。名所には和歌や古典などが紹介されています。






ちょっとクラシックな木造船、その名も室津丸でした。


造船所から港を見る。




※午後のスケッチポイントはこの旅のラストの訪問地「龍野の城下町」です。
途中の新舞子で昼食をとってからの訪問でした。

・早春の瀬戸内スケッチ旅-2日目(兵庫県たつの市・龍野)3月17日へ。


・早春の瀬戸内スケッチ旅-1日目(岡山県備前市・日生)3月16日 へ戻る。

・早春の瀬戸内スケッチ旅-1日目(兵庫県相生市・坂越)3月16日 へ戻る。