OBハイキングの下見一回目です。

大和三山回遊コース

参考:近鉄「てくてくまっぷ」

2006・4・12



 コースは「てくてくまっぷ」のとおりに歩くことにしよう。昨年、私は2回に分けて大和三山を歩いているので、今日のコースチェックとナビゲーターはUさんにお願いしました。レポートも写真も手抜き、ウォーキングを楽しむことにしました。ただ心配なのは歩く距離が14kmと前回のOBハイクよりちょっと長いことです。まあ歩いてからコースの検討をするということで話がまとまり出発。

昨年のレポートがあるので参考にしてくださいね。
大和三山の一つ畝傍山から飛鳥の里へ(2005・5・20)
天の香久山と耳成山(2005・7・18)



10:30 近鉄橿原神宮駅出発、静かな参道を通って橿原神宮に向かう。
南神門から本殿前を通過して北神門を抜ける。



畝傍山山頂からの葛城山と二上山
下山は同じ道を歩くのはいやだとDさんが言う。さっそくコース変更、直接橿原公苑へ下山する。雨の後なのでちょっと急な坂道は滑りやすい。注意をしようといっていた私が転んでしまう(^_^;)。
この道はOBハイクに使うのは危険かも・・・



麓の枝垂桜が見ごろでした。

橿原公苑の中を歩き近鉄畝傍駅へ向かう。かなりショートカットしててくてくまっぷの所定のコースに合流しました。






ここははじめて立ち寄った本薬師寺跡







往時の建物はなく露出した礎石が並んでいるのみ。ここも桜は満開を過ぎて地面をピンク色に染めている。桜見物の床がそのままになっている。そこを借りて散りゆく桜を見ながら昼食タイムとしました。


 奈良には有名な西ノ京の薬師寺と奈良公園近くの新薬師寺があるが、このコースを歩いて本薬師寺というのが先にあったことをはじめて知りました。               

             特別史跡 本薬師寺跡(もとやくしじあと)

 日本書紀によると天武九年(680)に天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を祈念して発願された寺です。完成は天武天皇崩御のあと持統二年(688)の仏事には堂塔の一部が完成、持統十一年(697)に開眼会が開かれ、翌年文武二年(698)続日本書紀に伽藍がほぼ完成したと伝えられています。 寺域は藤原京右京八条三坊をしめていたが、平城京遷都に伴い養老二年(718)平城京右京八条に移転されたようです。伽藍は平安時代中頃までその存在が確認され、この頃平城京の薬師寺に対して本薬師寺と呼び区別するようになった。(案内板より一部転載)



 昼食後案内コースどおりに進むと飛鳥川に出会う。橋を渡ってしばらく行くと広場があり、紀寺跡という史跡の案内板がある。建物等はなくて下左の写真のような原っぱでした。



 香具山と飛鳥川にはさまれたところにある紀寺跡。礎石などが出土したがその全容は謎らしい。そばには藤原京の八条大路があったいう・・・



大和三山二つ目の天の香具山が近づいてくる。山よりなだらかな丘のようだ。




 南浦の集落奥、香具山の裾に天の岩戸神社がある。大きな洞窟があるのかなあ・・・と訪ねてみたら小さな社があるだけでした。



 南浦の集落の家並みの細い道を抜けると登山道になる。




頂上には小さな祠が祀られていている。
先ほど登ってきた大和三山の一つ目畝傍山が望めました。
 てくてくまっぷのコースは天香具山神社へ下るようになっていたが、直進して樹林の中のよい雰囲気散歩道がつづく奈良県万葉の森へ。



古池の後ろ、桜の咲いているところが今歩いてきた万葉の森です。右手へ登っていくと天香具山頂上になります。



 


天の香具山と古池





南浦の集落と香具山
案内コースでは天香具山神社のあるこの集落に下山してきます。ここも南浦町です。


 さあ次は最後の耳成山だ。ここからは交通量の多い舗装道路歩きになる。ここも団体で歩くには危険だなあ。ちょっぴり疲れてきたので、耳成山はあきらめて八木駅へ帰ることにしました。
駅前の喫茶店で休憩&今日歩いたコースについて話し合った結果、大和三山全部歩くのはシニアハイカーにはきついことがわかる。このときDさんが古い建物が残る町、八木と橿原の間にある今井町を歩いてはどうかと提案してくれました。
 コースを耳成駅から耳成山を登って八木駅、今井町、畝傍山から橿原神宮駅ということにして4時前に解散しました。私は今話題に出た「重要伝統的建造物群保存地区・今井町」に興味をそそられて近鉄八木駅で案内チラシを入手して偵察に出かけてきました。

 「重要伝統的建造物群保存地区・今井町」の写真ページはここをクリックしてください。

 近いうちに耳成からのコースを歩いてみようと思いを馳せながら京都行き特急に乗り込みました。