初冬の湖岸ドライブ
(2013・12・25)

 今日は久しぶりに良いお天気になった。なんとなく琵琶湖岸を走ってみたくなり、スケッチブック持って出かけました。とりあえず近江八幡を目指して湖岸道路を走る。車窓から見えてくる湖西・湖北・湖東の山々はみんな雪化粧をしていて、もう真冬の景観だ。八幡市街へ入らず、湖岸道路から長命寺港へ。







長命寺港
 長命寺港で車を止める。降りてみたが外はそんなに寒くはない。青空が広がり、湖面はおだやかでとても気持ちが良い。長命寺へお参りしようかと思ったが、車窓から見えていた真っ白な伊吹山が描きたくなり、スケッチポイント探しながら湖岸道路を彦根へむかう。途中で描きたい場所があったが、車の流れに乗っていたので通過してしまった。そうこうしているうちに彦根港まで来てしまった。





 琵琶湖観光船の乗り場の後ろに真っ白な伊吹山が顔を出している。この港から竹生島、多景島への船が出ている。




 何処かよいアングルがないかと港をあちこち散策したが描きたい構図が見つからない。でも、真っ白い伊吹山はなかなか雄大でしょう。



遠方中央に先ほど通ってきた近江八幡の山が見えている。




彦根港から近くに浮かんでいる多景島。
堤防の向こうに点のように見えています。

 多景島(たけしま)は彦根市街から西北西約6.5kmの位置にある小さな無人島です。見る方向によって多様な島影を見せるところから「多景島」と呼ばれています。古くから島そのものが御神体として崇められてきたそうです。多景島は以前から一度行きたいと思っていたので、ちょうどよい機会だと思って観光船乗り場へ行ったが閉まっている。案内板を見ると、「多景島めぐり」の船は冬季は運行していないという。残念。(運航期間:3月〜11月 毎日運航)  ただし、竹生島便は12月〜3月初旬 も土・日・祝日のみ運航とありました。

 多景島めぐりはあきらめて、さらに湖岸道路で長浜を目指しながら伊吹山が描けるポイントを探そう。米原から長浜に近づいてくると伊吹山がどんとせまってくる。ここらでスケッチしようと思っていたら、ちょうど良い所に道の駅「近江母の郷」がある。ここに車を止めて伊吹山を描くことにしました。






「白い伊吹」




 伊吹山をスケッチしたあと、道の駅「近江母の郷」で食事をとって、長浜まで足をのばすことにしました。
長浜駅手前で湖岸道路から豊公園へ入り無料駐車場に車を止める。すぐ傍に長浜城が見えている。長浜へは何度も来ているが、まだ天守へは入場したことがありません。今日は雲一つない最高の天気、素晴らしい展望が見れるだろうと天守閣(長浜城歴史博物館)へ。





長浜城
秀吉が小谷城攻めの功で、初めて一国一城の主となった出世城
 この長浜城は歴史博物館になっている。古くは今浜城といい、南北朝時代、足利尊氏の重心で「バサラ大名」として有名な京極導誉の家臣、今浜六郎左衛門が創築し、その後、上坂氏が守将として在城したといわれている。天正の初め、一国一城の主となった秀吉がこの地に城を築き、地名を長浜と改め、城下町を造営して約7年間居城とした。天正11年(1583)4月の賤ヶ岳の戦には、ここを根拠地として大勝し、威名を天下にとどろかせた。
 天正13年から同18年までは山之内一豊が在城、慶長11年(1606)、内藤信成が入城し、その子信正が元和元年(1615)摂津の高槻城に移ってからは廃城となり、建築物および石垣の大半は彦根城に移された。市内大通寺の台所門、知善院の表門、彦根城天秤櫓は、長浜城の遺構と伝えられる。
 現在の長浜城は昭和58年(1983)に再興された天守閣である。
                (長浜城歴史博物館の入場券裏面の説明文より)


以下4枚は天守閣5階の望楼よりの写真です。




東方面の展望
 中央の一番高い山が伊吹山(1377m)です。その左の丘陵の上には秀吉の横山城跡があります。その麓には石田三成の出生地の石田町がある。

以下は風景に見える場所の関連ページです。
伊吹山 (2005・5・20)
伊吹山山頂散策(2000・8・15)
戦国の攻防の跡、横山城跡を歩く(2002・8・15)






南方面の展望
左後方の高い山は鈴鹿山系最北端の霊仙山です。
大きなのビルの右遠方は彦根市街です。佐和山城や彦根城があります。
霊仙山(りょうぜんやま)(2002.5.19)
佐和山から彦根城へ(2007・4・6)
石田三成の古城跡・佐和山2002・8・15)






西方面の展望
正面遠方は近江八幡で、安土城や沖島があります。






北方面の展望
中央におわんを伏せたような小さな凸が竹生島です。

琵琶湖縦断クルーズ(2008・11・2)
雪見船クルーズ&余呉湖一周ウオーク(2008・3・5)
竹生島、多景島の写真が見られます。



長浜城天守からの展望を楽しんだ後、市街散策に行く。



ここに「北こく道」の道標がある。
 近江米原より琵琶湖東岸を南北につないで越前今庄を経て直江津につながる北国街道だ。



モダンな建物が・・・
なんの建物かチェックはしていません。
スケッチしたいようには感じたけど、結局
眺めただけに終わりました(^_^;)。



昭和の雰囲気がある食堂



長浜名物、鯖そうめん
 名物というので以前に一度トライしたが、美味しいとは思わなかったです。もう一つ、のっぺいうどんというのもありました。こちらは美味しかったと記憶しています。




大通寺への通り
 大通寺(長浜御坊)へ行ってみようとここまで来たが、正面に見えるはずの山門が見えない。工事中なのかテントで覆われているようだ。確認せずにここで戻ることにしました。



 ながながと書いてしまいました。最後までお付き合いありがとうございました。このページ「初冬の湖岸道路ドライブ」の目的はスケッチというより、7年ぶりにマイカーを新車(同じ車種ですが)に更新したので、乗り心地を試してみようと思ったのがきっかけでした。普段は何処へ行くにも基本は「電車&ウオーク」なので、7年間での走行距離は4万kmでした。まだ車の調子はよいけれど、来年度は消費税がアップするので乗り換えを決心しました。

追記: 長浜城に気になる旗竿「黒田官兵衛」が立っていました。きっと来年度からはじまるNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」にちなんでいるのでしょうか? 私は黒田官兵衛といえば豊臣秀吉の軍師として仕えた人物というくらいの知識しかありません。そこで、長浜と黒田官兵衛がどう関係があるのか気になって帰宅してからネット(ウィキペディア)で調べてみました。それによると、出身地が現在の滋賀県長浜市木之本町黒田で、近江源氏佐々木氏(京極氏)の傍系である『江源武鑑』とありました。でも他の資料では、黒田官兵衛の生誕地は兵庫県西脇市黒田庄町黒田とありました。大河ドラマではどう描かれているのだろうと少し興味がわいてきました。来年1月の放映が楽しみです。