滋賀里から比叡山延暦寺へ
(2011・5・6)

 一週間前に高野山へ行ったことから、空海のライバル最澄を思い出して延暦寺へ行ってきました。高野山と違い近い存在なので比叡山は何度も登っていますが、今回は初めての滋賀里から東海自然歩道を歩いて行くことにしました。この道には志賀大仏や百穴古墳群、崇福寺跡など歴史的な場所もあります。
 いつも気まぐれ歩き今日は当初の計画通り歩けるかな・・・



  京阪電車石坂線の滋賀里駅からの道です。突き当たりに立派な八幡神社が見える。この道は以前に志賀大仏(石仏)へスケッチ会で来たとき歩いています。


 駅からの坂道を登って行く。振り返るとかなり高度が上がって琵琶湖が望める。民家が途切れると百穴古墳群があります。

滋賀里駅前の道標に、
志賀峠(山中越え)経由ふれあいの杜2.5km。
崇福寺跡1.35km、百穴古墳群0.8kmと地図付きで案内されている。


百穴古墳群
 いまから約1400年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。特徴は石室の天井がドーム状で、渡来人と深く関係するものと考えられている。穴が沢山あるから「百穴」という名がつけられたとある。先を急ぐので見学はパスしました。


  百穴古墳群から少し行くと志賀大仏の建屋が見えてきます。旧山中越(志賀越)の途中、祟福寺跡近くにある高さ約3mの石仏。室町時代の作で、峠の道中安全を守る道祖神として有名です。





滋賀大仏はご覧のような大きな石仏です。童顔のような柔和なお顔をされています。







 やがて東海自然歩道に入るとすぐに分岐に出会います。道標には(右)崇福寺、(左)志賀峠・ふれあいのもりとある。この道標を見て、急に志賀峠越え(山中越え)して京都北白川まで行ってみたくなり、早くもルート変更です。まあ私としては毎度のことだ・・・・
 峠道をを選択して左へ。少し行くと右手に崇福寺の案内板がでてくる。ここからも行けるのだな、ちょっと覗いてみようと急な坂道を登る。すると下の写真のような新緑いっぱいの明るい広場が現れる。

私が偶然に登ったのは、南の尾根上の金堂跡・講堂跡ですが・・・集福寺の詳細は下記をご覧ください。いまは記念碑と礎石だけが残っている場所でした。

 崇福寺(すうふくじ)は・・・・・

天智天皇の勅願によって、天智7年(668年)に創建された寺院で、志賀寺とも志賀山寺とも呼ばれていた。昭和3年、13・14年の調査によって三つの尾根上に建物が建てられていたことが明らかになった。南の尾根上の建物群は桓武天皇が建立された梵釈寺に、北・中の尾根上の建物群を崇福寺にあてる説が有力視されている。崇福寺は壬申の乱によって大津宮が廃墟になった後も繁栄を続け、平安時代には十大寺のひとつに数えられるほどになりました。しかし、平安時代末期の山門(延暦寺)と門前(園城寺)の争いに巻き込まれて衰退する。鎌倉時代後半にはついに廃寺になったようです。


崇福寺跡から林道に戻る。






途中に湧き水があり、聞くと地元の滋賀里から汲みにきているという。荷台いっぱいにポリタンクが並んでいた。この先に馬頭観音の道標があり、また寄り道です。




馬頭観音像
ここは展望があり気持ちのよい場所なので昼食タイムとしました。





 目の前に以前に近江神宮横から登った宇佐山が見えている。右手のほうはいまだに工事中だ。このときは山中越えの自動車道を延々と歩いて下山、とてもしんどかった記憶がよみがえりました。



宇佐山の左手には琵琶湖と眼科に大津市街が展望できる。
左の高層ビルは大津プリンスホテル、中央の白い建物は琵琶湖ホールです。




元の峠道へ戻って進むと、やがて林道終点になり山道に入って行きます。



林道終点





しばらく登ると比叡山ドライブウエイに出合う。ここが志賀峠のようです。



志賀峠からの展望
 先ほどの馬頭観音の場所から、だいぶ高度が上がったと感じるでしょう。



真新しい道標なので、コースはしっかりしているだろうとこの木段のジグザク道登っていく。

 ドライブウエイの下をくぐって山中町へ下ると、すぐに道標があり、直進:山中町を経て京都市の北白川へ、(左)ふれあいのもり 0.1kmとある。近い距離なのでどんな所かちょっと寄り道してみよう。急な坂道を登ると東屋がある。木々が繁っていて展望はない。あちこち道が分岐していて、偵察してみたが地図を持っていないためよくわからない。 うろうろしたが広場らしきものがどこにあるかわからず、志賀峠の道へ引き返す。本来の道に戻って山中町目指して再び下山していくと真新しい道標がでてくる。「中央広場」・「放牧場」方面とある。またまた気が変わって、つづら折れの木段道を登り返す。道標にしたがってなんとか「中央広場」、「放牧場」に着きました。でもイメージしていたようなかっこいいところではなくてガッカリ。それでも展望のあるふれああい広場に出会ってちょっとホッとしました。



寄り道ルートです。


放牧場(大津市の施設)


山側を見ると比叡山山頂がちらっと顔をのぞかせていました。山頂はここからかなりあるなあ・・・


反対側(南)の展望
手前の広い住宅街は比叡平です。

展望のよいふれあい広場



 
 さて、このあとのルートをどう取ろうかと思案しつつ、山中越えの県道まで出てみることにする。道路にでたときタイミングよく比叡山頂行きのバスが目の前の「田の谷峠」バス停で止まった。とっさに比叡山頂へこのバスで行こうと飛び乗る。でも結局山頂へは行かず、手前の延暦寺バス停(料金400円)で下車しました。

 ここから延暦寺境内ッを通過して無堂寺谷道を目指す。入門ゲートで”登山者です”といえば境内を無料で通過させてくれます。ただし、根本中堂などの寺内には入れませんよと念を押されます。


大講堂
延暦寺バス停から



石楠花の花が咲いていました。上には大講堂横の鐘楼が見えている。




延暦寺の中心的存在の根本中堂

 比叡山宴楽時は東塔・西塔・横川と三つのエリアに分かれています。東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂である根本中堂を中心とする区域です。他に大講堂や阿弥陀堂、文殊楼などがあります。先週訪問した真言密教の高野山とはまったく雰囲気が違いますよ。
 根本中堂から比叡山ケーブルの延暦寺駅までは約1kmの道です。多くの観光客や参拝者はこのケーブルで坂本へ下ります。





比叡山坂本ケーブルの延暦寺駅
この駅右手、石の鳥居がある所から無堂寺へ下る。これで当初の目的、東海自然歩道歩きで下山できます(^_^)


大津市街と琵琶湖
ケーブル延暦寺駅横からの展望




無堂寺の手前にある弁財天への分岐
この鳥居をくぐって無堂寺弁財天へ



無堂寺弁財天
東海自然歩道はこの弁財天左側の道を行く。



山腹を巻くように進む。



また比叡山ドライブウエイに出合う。
コースは直進。
この道標に、夢見が丘1.1km・崇福寺2.7kmとある。手持ちのガイドブックには桜茶屋の路傍休憩所があり、展望もよいとあったが、通り過ぎたようだ。ほんの少し前に開けた場所があり、石の鳥居があったところだろう。樹木が繁って展望はなかった。15年も前の山ガイドブックではしかたないか・・・


急な木段を下り切ったら沢に出ました。直進すると穴太駅、東海自然歩道は右の山腹に取り付く。きついジグザク道をヒーヒーいいながら登り返すことになる。登りきったらまたまたドライブウエイに出合う。ここがガイドブックにある夢見が丘でした。


今度は最後の下り坂、もう登りかえすことはないだろう。やがて樹林帯から治水堰堤がつづく明るい場所にでる。このまま下山していくとまた鬱蒼とした樹林帯へ入っていく。
 どんどん下っていくと岩壁に挟まれた道になり、左手に
崇福寺跡へ登る道がある。かなり疲れたのでパス。少し行くと今度は右手に崇福寺跡への道標が、はじめに書いたように、崇福寺は南・中、北と三つの尾根上に谷を挟んで存在していた。ここもパスして先を急ぐ。やがて朝登ってきたときの分岐に合流しました。


琵琶湖が見えてくる。百穴古墳群の分岐、登ってきた道は左。同じ道を避けてこの分岐で右にとり南滋賀駅を目指す。


京阪南滋賀駅からいま下ってきた
比叡山を望む。


気の向くまま途中途中で行き先変更の遠回り山歩きもやっと南滋賀駅でやっと終了しました。



思いつきで変更した
本日のルート図です。



・黄色線は往路です。

・ピンク色の線は山中越えの道で比叡山山頂息のバスに乗ったルートです。

・グリーンの線は延暦寺から歩いて下山した復路です。




これまでに登った比叡山の山行記録です。
下記の他にもレポート作成していない比叡山登山は何度もあります。


.・奥比叡の横高山、水井山縦走 2010.12.17

・比叡山”2009年登り納め 2009.12.18

・東山トレイルから比叡山越え 2004.11.23

・真夏の比叡山越え 2004.8.8

・松ノ馬場から比叡山(根本中堂) 2004.1.20